カンヌキをさすわけにいかなかった。そこで身にあまる歎賞の嵐のあとで、はからざる悲境に立つことになり、これが彼の命とりのガンとなった。

          ★

 お奈良さまの末ッ子に花子という中学校二年生があった。ところが春山唐七の長女を糸子と云って、花子とは同級生である。
 春山糸子は理論と弁論に長じ、討論会の花形として小学時代から高名があった。小学校では新学年を迎えるに当って受持教師に変動がある。そのとき「あの雄弁家のクラスは」と云って彼女が五年六年のころには各先生がその受持になることを避けたがる傾向があったほどである。母のソメ子にまさるウルサ型として怖れられていた。
 中学校二年の糸子は押しも押されもしない言論界の猛者であった。学内の言論を牛耳るばかりでなく、町内婦人会や街頭に於ても発言することを好み、彼女の向うところ常に敵方に難色が見られた。
 この糸子がソメ子にまさるお奈良さまギライであった。葬儀の直後、葬場から一室へ駈けこんで無念の涙にむせんだほどで、野人のかかる悪風は世を毒するものというような怒りにもえた。ソメ子の怒りも実は糸子にシゲキされた傾きがあったのである。
 そ
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