ために、何かより高い人間であることを示すために、女に向つて無益な努力を重ねるなら、私はより多く馬鹿になる一方だ。事実私はすでにそれ以上に少しも高くはないのである。だから私はハッキリ生殖器自体に定着して女とよもやまの話をはじめた。
女は私が三文々士であることを知つてゐるので、男に可愛く見えるにはどうすればよいかといふことを細々《こまごま》と訊ねた。女は主として大衆作家の小説から技術を習得してゐる様子であつたが、その道にかけては彼等の方が私より巧者にきまつてゐるから私などそれに附け足す何もない、私がさう言ふと女は満足した様子に見えた。女は学生達の大半は物足らないのだと言つた。私がハズをだまし、あなたがマダムをだまして、隠れて遊ぶのはたのしいわね、と女が言つた。私は別にたのしくはない。私はたゞ陳腐な、それは全く陳腐それ自体で、鼻につくばかりであつた。
女の肉体は魅力がなかつた。女は男の生殖器の好奇心のみで生きてゐるので、自分自身の肉体的の実際の魅力に就て最大の不安をもつてゐた。けれども、さういふことよりも、自分の肉慾の満足だけで生きてゐる事柄自体に、最も魅力がないのだといふことに就て、女は全然さとらなかつた。
単なるエゴイズムといふものは、肉慾の最後の場でも、低級浅薄なものである。自分の陶酔や満足だけをもとめるといふエゴイズムが、肉慾の場に於ても、その真実の価値として高いものでは有り得ない。真実の娼婦は自分の陶酔を犠牲にしてゐるに相違ない。彼女等はその道の技術家だ。天性の技術家だ。だから天才を要するのだ。それは我々の仕事にも似てゐる。真実の価値あるものを生むためには、必ず自己犠牲が必要なのだ。人のために捧げられた奉仕の魂が必要だ。その魂が天来のものである時には、決して幇間《ほうかん》の姿の如く卑小賤劣なものではなく、芸術の高さにあるものだ。そして如何なる天才も目先の小さな我慾だけに狂つてしまふと、高さ、その真実の価値は一挙に下落し死滅する。
この女は着物の着こなしの技巧などに就て細々と考へ、どんな風にすればウブな女に見えるとか、どの程度に襟や腕を露出すれば男の好色をかきたてうるとか、そしてさういふ計算から煙草も酒も飲まない女であつた。然しながら、この女の最後のものは自分の陶酔といふことだけで、天性の自己犠牲の魂はなかつた。裸になれば、それまでだ。どんなにウブに見せ、襟足や腕の露出の程度に就て魅力を考へても、裸になれば、それまでのことだ。その真実の魂の低さに就て、この女はまつたく悟るところがなかつた。
私はそのころ最も悪魔に就て考へた。悪魔は全てを欲する。然し、常に充ち足りることがない。その退屈は生命の最後の崖だと私は思ふ。然し、悪魔はそこから自己犠牲に回帰する手段に就て知らない。悪魔はたゞニヒリストであるだけで、それ以上の何者でもない。私はその悪魔の無限の退屈に自虐的な大きな魅力を覚えながら、同時に呪はずにはゐられなかつた。私は単なる悪魔であつてはいけない。私は人間でなければならないのだ。
然し、私が人間にならうとする努力は、私が私の文学の才能の自信に就て考へるとき、私の思想の全部に於て、混乱し壊滅せざるを得なかつた。
するともう、私自身が最も卑小なエゴイストでしかなかつた。私は女を「所有した」ことによつて、女の存在をたゞ呪はずにゐられなかつた。私は私の女の肉体が、その生殖器が特別魅力の少いことに就てまで、呪ひ、嘆かずにゐられなかつた。
「あなたのマダムのからだ、魅力がありさうね」
「魅力がないのだ。凡そ、あらゆる女のなかで、私の知つた女のからだの中で、誰よりも」
「あら、うそよ。だつて、とても、可愛く、毛深いわ」
私は私の女の生殖器の構造に就て、今にも逐一語りたいやうな、低い心になるのであつたが、私自身がもはやそれだけの屑のやうな生殖器にすぎないことを考へ、私はともかく私の女に最後の侮辱を加へることを抑へてゐる私自身の惨めな努力を心に寒々と突き放してゐた。
「君は何人の男を知つた?」
「ねえ、マダムのあれ、どんな風なの? ごまかさないで、教へてよ」
「君のを、教へてやらうか」
「えゝ」
女は変に自信をくづさずに、ギラ/\した眼で笑つて私を見つめてゐる。
私はそのときふと思つた。それは女のギラ/\してゐる眼のせゐだつた。私はスタンドの汚い女を思つたのだ。あの女は酔つ払ふといつも生殖器の話をした。男の、又、女の。そして、私に泊らないかと言ふ時には、いつもギラ/\した眼で笑つてゐた。
私は今度こそあのスタンドへ泊らうと思つた。一番汚いところまで、行けるところまで行つてやれ。そして最後にどうなるか、それはもう、俺は知らない。
★
私はあの夜更にスタンドを追ひだされて以来、その店へ酒を飲みに行かなかつた。そのころは十銭スタンドの隆盛時代で、すこし歩くつもりならどんな夜更の飲酒にも困ることはなかつたのだ。夜明までやつてゐる屋台のおでん屋も常にあつた。もつとも、この土地にはヨタモノが多く、そのために知らない店へ行くことが不安であつたが、私はもはやそれも気にかけてゐなかつた。
ある朝、私はその日のことを奇妙に歴々と天候まで覚えてゐる。朝といつても十時半、十一時に近い頃であつた。うらゝかな昼だつた。私は都心へ用たしに出かけるため京浜電車の停留場へ急ぐ途中スタンドの前を通つたのだが、私はその日に限つて、なにがしかまとまつた金をふところに持つてゐた。ちやうどスタンドの女が起きて店の掃除を終へたところであつた。ガラス戸が開け放されてゐたので、店内の女は私を認めて追つかけてきた。
「ちよつと。どうしたのよ。あなた、怒つたの?」
「やあ、おはやう」
「あの晩はすみませんでしたわ。私、のぼせると、わけが分らなくなるのよ。又、飲みにきてちやうだいね」
「今、飲もう」
私はとつさに決意した。ふところに金のあることを考へた。用たしも流せ。金も流せ。自分自身を流すのだ。私はこの女を連れて落ちるところまで堕ちてやらうと思つた。私は落付いて飲みはじめた。女は飲まなかつた。私は朝食前であつたから、酔が全身にまはつたが、泥酔はしてゐなかつた。
「泊りに行かうよ」
と私は言つた。女は尻込みして、ニヤ/\笑ひながら、かぶりを振つた。
「行かうよ。すぐに」
私は当然のことを主張してゐるやうに断定的であつたが、女の笑ひ顔は次第に太々《ふてぶて》しく落付いてきた。
「どうかしてるわね。今日は」
「俺は君が好きなんだ」
女の顔にはあらはに苦笑が浮んだ。女は返事をしなかつたが、苦笑の中には言葉以上の言葉があつた。私は女の顔が世にも汚い、その汚さは不潔といふ意味が同時にこもつた、そしてからだが団子のかたまりを合せたやうな、それはちやうど足の短い畸型の侏儒と人間との合の子のやうに感じられる、どう考へても美しくない全部のものを冷静に意識の上に並べなほした。そして、その女に苦笑され、蔑まれ、あはれまれてゐる私自身の姿に就て考へた。うぬぼれの強い私の心に、然し、怒りも、反抗もなかつた。悔いもなかつた。さういふ太虚の状態から、人はたぶん色々の自分の心を組み立て得、意志し得る状態であつたと思ふ。私は然し堕ちて行く快感をふと選びそしてそれに身をまかせた。私はこの日の一切の行為のうちで、この瞬間の私が一番作為的であり、卑劣であつたと思つてゐる。なぜなら、私の選んだことは、私の意志であるよりも、ひとつの通俗の型であつた。私はそれに身をまかせた。そして何か快感の中にゐるやうな亢奮を感じた。
私は卓の下のくゞりをあけて犬のやうに這入らうとした。女は立上つて戸を押へようとしたが、私の行動が早かつたので、私はなんなく内側へ這入つた。けれども女を押へようとするうちに、女はもうすりぬけて、あべこべに外側へくゞり出てゐた。両方の位置が変つて向き直つた時には私はさすがにてれかくしに苦笑せずにゐられなかつた。
「泊りに行かうよ」
と私は笑ひながらも、しつこく言ひつゞけた。
「商売の女のところへ行きな」
と女の笑顔は益々太々しかつた。
「昼ひなか、だらしがないね。私はしつこいことはキライさ」
と女は吐きだすやうに言つた。
私の頭には「商売の女のところへ」といふ言葉が強くからみついてゐた。この不潔な女すら羞しめうる階級が存在するといふことは私の大いなる意外であつた。私はアキを思ひだした。その思ひつきは私を有頂天にした。アキなら否む筈はない。特別の事情のない限り否む筈は有り得ない。この侏儒と人間の合の子のやうな畸型な不潔な女にすら羞しめられる女がアキであるといふことをこの畸型の女も知る筈はなく、もとよりアキも、私以外に誰も知らない。この発見のたのしさは私の情慾をかきたてた。私はもう好色だけのかたまりにすぎなかつた。そして畸型の醜女《しこめ》の代りにアキの美貌に思ひついた満足で私の好色はふくらみあがり、私は新たな目的のために期待だけが全部であつた。
私は改めて酒を飲んだ。女は酒をだし渋つたが、私が別人のやうに落付いたので、意味が分らぬ様子であつた。私はビール瓶に酒をつめさせた。それをぶら下げて、でかけた。
アキは気取り屋であつた。金持の有閑マダムであるやうに言ひふらして大学生と遊んでゐたが、凡そ貧乏なサラリーマンの女房で、豪奢な着物は一張羅だつた。その気取りに私は反撥を感じてゐた。気取りに比べて内容の低さを私は蔑んでゐたのである。思ひあがつてゐた。そのくせ常に苛々してゐた。それはたゞ肉慾がみたされない為だけのせゐであり、常に男をさがしてゐる眼、それが魂の全部であつた。
私はアキをよびだして、海岸の温泉旅館へ行つた。すべては私の思ふやうに運んだ。私はアキを蔑んでゐると言つた。そしてこの気取り屋が畸型の醜女にすら羞しめられる女であることを見出した喜びで一ぱいだつたと言つた。さういふ風に一度は考へたに相違ないのは事実であつたが、それはたゞ考へたといふだけのことで、私の情慾を豊かにするための絢《あや》であり、私の期待と亢奮はまつたく好色がすべてゞあつた。私は人を羞しめ傷けることは好きではない。人を羞しめ傷けるに堪へうるだけで自分の拠りどころを持たないのだ。吐くツバは必ず自分へ戻つてくる。私は根柢的に弱気で謙虚であつた。それは自信のないためであり、他への妥協で、私はそれを卑しんだが、脱けだすことができなかつた。
私は然し酔つてゐた。アキは良人の手前があるので夜の八時ごろ帰つたが、私はチャブ台の上の冷えた徳利の酒をのみ、後姿を追つかけるやうに、突然、なぜアキを誘つたか、その日の顛末を喋りはじめた。私はアキの怒つた色にも気付かなかつた。私は得意であつた。そしてアキの帰つたのちに、さらに芸者をよんで、夜更けまで酒をのんだ。そして翌日アパートへ帰ると、胃からドス黒い血を吐いた。五合ぐらゐも血を吐いた。
然し、アキの復讐はさらに辛辣だつた。アキは私の女に全てを語つた。それはあくどいものだつた。肉体の行為、私のしわざの一部始終を一々描写してきかせるのだ。私の女のからだには魅力がないと言つたこと、他の誰よりも魅力がないと言つたこと、すべて女に不快なことは掘りだし拾ひあつめて仔細に語つてきかせた。
★
私は女のねがひは何と悲しいものであらうかと思ふ。馬鹿げたものであらうかと思ふ。
狂乱状態の怒りがをさまると、女はむしろ二人だけの愛情が深められてゐるやうに感じてゐるとしか思はれないやうな親しさに戻つた。そして女が必死に希つてゐることは、二人の仲の良さをアキに見せつけてやりたい、といふことだつた。アキの前で一時間も接吻して、と女は駄々をこねるのだ。
かういふ心情がいつたい素直なものなのだらうか。私は疑らずにゐられなかつた。どこかしら、歪められてゐる。どこかしら、不自然があると私は思ふ。女の本性がこれだけのものなら、女は軽蔑すべき低俗な存在だが、然し、私はさういふ風に思ふことができないのである。最も素直な、自然に見える心情すらも、時に、歪めら
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