い。刑事はいきなり私の腕をつかんだ。
「バカヤロー。貴様がヨタモノでなくてどうする。そのステッキは人殺しの道具ぢやないか」
「これはハイキングのステッキさ。刑事が、それくらゐのことを知らないのかね」
「この助平」
女が憤然立上つた。
「この方はね、私が泊れと言つても泊つたことのない人なんだ。アパートをきいても教へてくれないほどの人なんだ。見損ふな」
そこで刑事は私のことはあきらめたのである。そこで今度は男の腕をつかんだ。男は前にも留置場へ入れられたことがあり、刑事とは顔ナジミであつた。
「貴様、まだ、うろついてゐるな。その腕時計はどこで盗んだ」
「貰つたんですよ」
「いゝから、来い」
男は馴れてゐるから、さからはなかつた。落付いて立上つて、並んで外へでた。そのとき女は椅子を踏み台にしてスタンドの卓をとび降りて跣足《はだし》でとびだした。卓の上の徳利とコップが跳ねかへつて落ちて割れ、女は刑事にむしやぶりついて泣き喚いた。
「この人は私の亭主だい。私の亭主をどうするのさ」
私はこの言葉は気に入つた。然し女は吠えるやうに泣きじやくつてゐるので、スタンドの卓を飛び降りた疾風のやうな鋭さも竜頭蛇尾であつた。刑事はいくらか呆気にとられたが女の泣き方がだらしがないので、ひるまなかつた。
「この人は本当にこの女の人の旦那さんです」
と私も出て行つて説明したが、だめだつた。男は私に黙礼して、落付いて、肩をならべて行つてしまつた。そのときだ、ちやうどそこに露路があり、露路の奥から私の女が出てきたのだ。女は黒い服に黒い外套をきてをり、白い顔だけが浮いたやうに街燈のほの明りの下に現れたとき、私はどういふわけなのか見当がつかなかつたが、非常に不快を感じた。私達のつながりの宿命的な不自然に就て、胸につきあがる怒りを覚えた。
私の女は私に、行きませう、と言つた。当然私が従はねばならぬ命令のやうなものと、優越のやうなものが露骨であつた。私はむらむらと怒りが燃えた。私は黙つて店内へ戻つて酒をのみはじめた。私の前には女と男が一本づゝくれた二本の酒があるのだが、私はもはや吐き気を催して実際は酒の匂ひもかぎたくなかつた。女は帰らないの、と言つたが、帰らない、君だけ帰れ、女は怒つて行つてしまつた。
ところが私は散々で、私はスタンドの気違ひ女に追ひだされてしまつたのである。この女は逆上すると気違
前へ
次へ
全20ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング