ヘ自ら言った――
 自分は物を書くことができるからには、どうして書かずにおこう。しかし何を書いたらよいか。裸の冷たい石壁に四方とざされ、自由に歩くこともできず、地平線を見ることもできず、ただ一つの気晴らしとしては、扉ののぞき穴から真向いの薄暗い壁の上に投げられるほの白い四角な明るみが、徐々に移ってゆくのを一日じゅう機械的に見守ることだけであり、しかも前に述べたとおり、一つの観念、罪と罰との観念、殺害と死刑との観念と、二人きりでいて、私は、もうこの世になにもなすことのない私は、いったい何か言うべきことをもっているだろうかしら。罰を受けた空虚なこの頭脳の中に、書くだけの価値のある何かが見出せるだろうかしら。
 いやどうしてそうでないといえよう。たとい私の周囲ではすべてが単調で色あせてるとはいえ、私のうちには一つの暴風雨が、一つの争闘が、一つの悲劇があるではないか。私につきまとってるこの固定観念は、各時間に、各瞬間に、新たな形で、期限が迫るにつれてますます忌《いま》わしい血まみれの形で、私に現われてくるではないか。かく世間から見放された地位にあって私が感ずるあらゆる激越な未知なものを、どうし
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