フ一事である。それは神聖なる祖国の土地の問題ではないが、聖なる思想の問題である。祖国はおそらく嘆くであろう、しかし人類は賛美するであろう。それにまた、真に祖国は嘆くであろうか。フランスは血を流す、しかし自由はほほえむのである。そして自由の微笑の前には、フランスはおのれの傷を忘れるものである。また、更に高い見地よりこれを見る時には、内乱を何と言うべきであろうか。
内乱? それはいったい何の意味であるか。外乱というものが存在するか。すべて人間間のあらゆる戦争は、皆同胞間の戦いではないか。戦いはただその目的によってのみ区別さるべきである。世には外乱もなく内乱もない。ただ不正の戦いと正義の戦いとがあるのみである。人類全体の大協約が締結さるる日までは、戦争は、少なくともおくれたる過去に対抗する進んだる未来の努力たる戦争は、おそらく必要であろう。この戦いに何の難ずべき点があるか。戦いが恥ずべきものとなり、剣が匕首《あいくち》となるのは、ただ、権利と進歩と道理と文明と真理とを刺す時においてのみである。その時こそ、内乱もしくは外乱は不正なものとなり、罪悪と呼ばるべきものとなる。けれども正義という聖なる一事を外にしては、いかなる権利をもって、戦いの一形式が他の形式を軽侮することができるか。いかなる権利をもって、ワシントンの剣はカミーユ・デムーラン([#ここから割り注]訳者注 バスティーユ牢獄の攻撃を指揮せし人[#ここで割り注終わり])の槍《やり》を否認することができるか。外敵に対抗したレオニダスと暴君に対抗したチモレオンと、いずれがより偉大であるか。ひとりは防御者であり、ひとりは救済者である。都市の中において武器を取ってたつ者を皆、その目的のいかんに関せず侮辱することができるか。ブルツス、マルセル、ブランケンハイムのアルノルト、コリニーなどに、みな恥辱の烙印《らくいん》を押すことができるか。叢林《そうりん》の戦い、街路の戦い、それが何ゆえにいけないか。それはアンビオリックスやアルトヴェルドやマルニックスやペラーヨなどがなした戦いであった。しかも、アンビオリックスはローマに対抗し、アルトヴェルドはフランスに対抗し、マルニックスはスペインに対抗し、ペラーヨはモール人に対抗して、皆外敵と戦ったのである。しかるに、王政は外敵であり、圧制は外敵であり、神聖なる権利([#ここから割り注]訳者注 専制君主の所謂[#ここで割り注終わり])は外敵である。専制が人の精神的国境を侵すのは、あたかも外寇《がいこう》が地理上の国境を侵すと同じである。暴君を追うもイギリス人を追うも、共におのれの領土を回復することである。抗議のみでは足りない時も到来する。哲理の後には実行を要する。はつらつたる力は思想が草案したところのものを完成する。縛られたるプロメシュース[#「縛られたるプロメシュース」に傍点]([#ここから割り注]訳者注 アイスキロスの戯曲、火を盗みてジュピテルより岩に縛られし所を取り扱えるもの[#ここで割り注終わり])は事を始め、アリストゲイトン([#ここから割り注]訳者注 ハルモディオスと共にヒッパルコスをくつがえせし者[#ここで割り注終わり])は事を終える。百科辞典([#ここから割り注]ディドローらの[#ここで割り注終わり])は人の魂を照らし、八月十日([#ここから割り注]一七九二年[#ここで割り注終わり])はそれに電気を与える。アイスキロスのあとにはトラジプロスがいで、ディドローのあとにはダントンが出る。およそ群集は首領をいただきたがる傾向を持っている。その集団は無感覚を産む。一群集は容易に一塊となって服従する。ゆえに彼らを振るい立たせ、つき進め、解放の恵みをもって刺激し、真理をもってその目を打ち、激しく光明を投げ与えなければならない。彼らは自ら多少おのれの救済によって雷撃されなければならない。その眩惑《げんわく》は彼らの目をさまさしむるものである。ゆえに警鐘が必要となり、戦いが必要となる。偉大なる戦士が立ち上がり、その勇壮さをもって諸国民を照らし、いわゆる神聖なる権利、シーザー式の光栄、武力、盲信、責任を知らざる主権、絶対的権威、などのために闇《やみ》でおおわれてるこのあわれなる人類を、揺り動かしてやらなければならないのである。人類は実に、暗黒の影暗い勝利を、その偽りの光輝のうちに、ただ茫然《ぼうぜん》とうちながめてばかりいる烏合《うごう》の衆にすぎない。暴君を打ち倒せ! しかしそれはだれのことを言うのか。ルイ・フィリップを暴君というのか。否、彼はルイ十六世と同じく別に暴君ではない。彼らはいずれも、歴史が普通に善良なる国王と呼ぶところのものである。しかしながら、主義は細断することを得ないものである、真実なるものの論理は直線的なものである、真理の特性は追従を知らない所にある。ゆえに譲歩はすべて不可である。人間に関する侵害はすべて廃さなければならない。ルイ十六世のうちにはいわゆる神聖なる権利があり、ルイ・フィリップのうちにはブールボン家なるがゆえに[#「ブールボン家なるがゆえに」に傍点]が([#ここから割り注]家がらの特権が[#ここで割り注終わり])ある。両者は共にある程度まで、権利の簒奪《さんだつ》を代表している。そしてあらゆる簒奪を掃蕩《そうとう》せんがためには、彼らをも打ち倒さなければならない。フランスは常に先頭に立つものであるから、それが必要である。フランスにおいて主君が倒れる時には、至る所において、それが倒れるであろう。要するに、社会的真理を打ち立て、玉座を自由の手に還《かえ》し、民衆を本来の民衆たらしめ、大権を人間に戻し、緋衣《ひい》を再びフランスの頭にきせ、道理と公正とをその円満なる状態に返し、各人を本来の地位に復せしめながらあらゆる頡頏《けっこう》の萌芽《ほうが》を根絶し、世界の広大なる一致に王位がもたらす障害を除き、人類を正当なる権利の水準に引き戻すこと、これ以上に正しい主旨があろうか、また従って、これ以上に偉大な戦いがあろうか。かかる戦いは平和を確立するところのものである。偏見、特権、憶説、虚偽、強請、濫用《らんよう》、暴行、不正、暗黒、などの巨大な城砦《じょうさい》は、なおその憎悪の塔を聳《そび》やかして社会の上に立っている。それを打ち倒さなければならない。その奇怪なる塊《かたま》りを破壊しなければならない。アウステルリッツにて勝利を得るのは偉大なることである、バスティーユの牢獄を占領するのは広大なることである。
だれでも自身に親しく感ずることではあるが、魂こそは、普遍性と統一性とをともに有する驚くべきものであって、最も危急なる極端にあっても、ほとんど冷然と推理し得る不思議な能力を有するものである。そして慟哭《どうこく》せる感情と深い絶望とは、その最も悲痛な独語の苦悩のうちにあってもしばしば、問題を取り扱い論議するものである。論理は痙攣《けいれん》と相交わり、論法の緒《いとぐち》は思想の痛ましい動乱のうちにも切れることなく浮かんでくる。マリユスの精神状態はちょうどそういうところにあった。
かく推理し、圧倒せられ、しかも意を決し、しかもなお躊躇《ちゅうちょ》しながら、一言にして言えば、まさになさんとすることの前に戦慄《せんりつ》しながら、彼は防寨《ぼうさい》の中を見回した。暴徒らは身動きもせずに小声で語り合っており、期待の最後の局面を示す沈黙と騒擾《そうじょう》との中間の気が漂っていた。彼らの上方、四階のある軒窓には、妙に注意を澄ましてるような傍観者とも立ち会い人ともつかない男の姿が見えていた。それはル・カブュクに射殺された門番であった。舗石《しきいし》のうちに囲まれた炬火《たいまつ》の反映で、下からその頭がぼんやり認められた。色を失い、身動きもせず、物に驚いたらしい様子で、頭髪を逆立て、開いた目を見据え、口をぼんやりうち開き、好奇心に駆られたような様子で街路の上にのり出して、炬火《たいまつ》の陰惨なおぼろな光に照らされてるその顔ほど、世に異様なものはなかった。あたかも既に死んだ者がまさに死なんとする人々を見守ってるかのようだった。その頭から流れた長い血のしたたりが、赤い糸のようになって軒窓から二階の所までたれ、そこで止まっていた。
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第十四編 絶望の壮観
一 軍旗――第一|齣《せつ》
まだ何事も起こってこなかった。サン・メーリーの会堂で十時が鳴った。アンジョーラとコンブフェールとは、カラビン銃を手にして、大きい方の防寨《ぼうさい》の切れ目のそばにすわっていた。彼らは一言も口をきかずに、最もかすかな遠い軍隊の行進の音をも聞きもらすまいとして、じっと耳を澄ましていた。
突然、そのすごい静けさの中に、サン・ドゥニ街から来るらしい朗らかな若い快活な声が起こって、「月の光りに[#「月の光りに」に傍点]」の古い俗謡の調子で、鶏の鳴き声のような一語で終わってる次の歌をはっきり歌い始めた。
[#ここから4字下げ]
顔には涙。
どうだいビュジョー([#ここから割り注]訳者注 フランスの元帥[#ここで割り注終わり])
お前の憲兵|俺《おれ》に貸せ、
奴《やつ》らに一言言ってやる。
青い軍服に、
軍帽の牝鶏《めんどり》、
これぞ郊外、
コ、コケコッコー。
[#ここで字下げ終わり]
ふたりは手を握り合った。
「ガヴローシュだ。」とアンジョーラは言った。
「われわれに合い図をしているんだ。」とコンブフェールは言った。
駆け足の音がひっそりした街路に起こって、軽業師《かるわざし》のように敏捷《びんしょう》な者が乗り合い馬車の上によじ上ったかと思うまに、息を切らしてるガヴローシュが防寨《ぼうさい》の中に飛び込んできて、言った。
「銃をくれ! やってきたぞ。」
防寨の中は電気が流れたかのように振るい立って、銃を手にする音が聞こえた。
「僕の銃をやろうか。」とアンジョーラは浮浪少年に言った。「いや大きいやつがいい。」と彼は答えた。
そして彼はジャヴェルの銃を取った。
ふたりの哨兵《しょうへい》も退いて、ほとんどガヴローシュと同時に戻ってきた。それは街路の先端の哨兵とプティート・トリュアンドリーの見張り兵とであった。プレーシュール小路の見張り兵はその場所に止まっていた。それでみると、橋や市場町の方には敵が寄せてこないらしかった。
赤旗の上に投じてる光の反映で、舗石《しきいし》が少しほのかに見えてるシャンヴルリー街は、靄《もや》の中にぼんやり開いている黒い大きな玄関のように、暴徒らの目にはうつった。
彼らはそれぞれ自分の戦闘位置についた。
アンジョーラ、コンブフェール、クールフェーラック、ボシュエ、ジョリー、バオレル、ガヴローシュ、その他すべてで四十三人の同志は、大きい方の防寨《ぼうさい》の中にひざまずき、砦《とりで》の頂とすれすれに頭を出し、銃眼のようにして舗石の上に銃身を定め、注意をこらし、口をつぐんで、すぐにも発射せんと待ち構えていた。六人の男はフイイーに指揮されて、銃を構え、コラント亭の三階の窓に陣取っていた。
数分間過ぎ去った。それから、歩調をそろえた重々しい大勢の足音が、サン・ルーの方面にはっきり聞こえ出した。その足音は初めはかすかで、次にはっきりとなり、やがて重々しく響き渡るようになって、止まりもせずとだえもせず、静かに恐ろしくうち続いて、徐々に近づいてきた。聞こえるものはただそれだけだった。あたかも将帥の銅像が歩いてくるような沈黙と響きとだけだった。しかしその石のような足音には、ある巨大さと多数さとがこもっていて、一個の怪物だとも思われるとともに、一隊の群集だとも思われた。あたかも恐るべき一連隊の銅像が行進してるようだった。その足音はしだいに近づいてき、ますます近寄ってき、それから立ち止まった。街路の先端に多くの人の息が聞こえるようだった。けれども何も見えず、ただ、その奥に、濃い闇《やみ》の中に、ほとんど目につき難い細い針のような金属の光が無数に見えてるきりだった。その光は騒然
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