A仕事の邪魔をするな。」
エポニーヌは握っていたモンパルナスの手を放して言った。
「ではこの家《うち》にはいるつもりだね。」
「まあそうだよ。」と腹声の男は冷笑しながら言った。
すると彼女は、鉄門の前に立ちふさがり、すっかり身ごしらえして夜のために悪魔のような相好に見える六人の盗賊らの方へ顔を向け、しっかりした低い声で言った。
「いいわ、入れやしない。」
彼らはあきれて立ち止まった。腹声の男はそれでも冷笑した。彼女はまた言った。
「みんなお聞き。そんなことはさせやしない。あたしは言っておくよ。第一この庭にはいろうもんなら、この鉄門に手でもかけようもんなら、あたしはどなって、戸をたたいて、人を起こして、六人とも捕《つかま》えさしてやるよ、巡査《おまわり》を呼んでやるよ。」
「ほんとにやるかも知れねえ。」とテナルディエはブリュジョンと腹声の男とにささやいた。
彼女は頭を振り立ててつけ加えた。
「お父さんからまっ先だよ。」
テナルディエは進んできた。
「近くにきちゃいけない。」と彼女は言った。
彼は退《しざ》りながら口の中でつぶやいた。「どうしたっていうんだろう?」そして彼は言い添えた。
「犬めが!」
彼女は妙にすごく笑い出した。
「勝手になさいよ。だが入れやしない。あたしは犬の娘じゃない、狼《おおかみ》の娘だよ。お前さんたちは六人だが、それが何だね。お前さんたちは男だ。そしてあたしは女さ。だが恐《こわ》かないよ。言っておくがね、お前さんたちをこの家に入れやしないよ。なぜって、それはあたしの気に入らないからさ。寄ってきたら吠《ほ》えついてやる。犬がいるとあたしは言ったじゃないか。その犬はあたしだよ。お前さんたちなんか何とも思ってやしない。早く行っておしまい、うるさいよ。どこへでも行くがいい。だがここへはいけない、あたしがことわるんだ。そっちに刃物があるなら、あたしには足があるよ。どうだっていい。出てきてごらん。」
彼女は一歩盗賊らの方へふみ出した。恐ろしい姿だった。そしてまた笑い出した。
「へん、こわがるもんかね。夏には腹がすくし、冬には寒いさ。女の子だから嚇《おど》かせると思ってさ、この男のおばかさんたちはほんとにおかしいや。何をこわがろって言うのよ。なるほどそうね。大きな声をすれば寝台の下に隠れるような女ばかりを相手にしてるんだからね。だが人が違いますよ。あたしは何もこわがりゃしないよ。」
彼女はじっとテナルディエを見つめて言った。
「お前にだってこわがるもんか。」
それから彼女は、亡霊のような血走った眸《ひとみ》で盗賊らの方を見回して、言い続けた。
「父さんの棒で打ち殺されて、明日プリューメ街の舗石《しきいし》の上で身体を拾われようとさ、また一年たって、サン・クルーの川の中かシーニュの島かで、古い腐った芥《あくた》かおぼれた犬の死骸《しがい》かの中で拾われようとさ、それが何だね。」
そこで彼女はやむなく言葉を切った。乾燥した咳《せき》がこみ上げてき、狭い虚弱な胸から息が死人のあえぎのように出てきた。
彼女はまた言った。
「あたしが一声上げさえすりゃあ、人はどしどしやって来る。お前さんたちは六人だが、あたしの方には世界中がついてるんだ。」
テナルディエは彼女の方に出ようとした。
「寄ってきちゃいけない!」と彼女は叫んだ。
彼は足を止めて、静かに言った。
「安心しろ、近寄りはしねえ。だがそう大きな声をするな。おい、お前は俺《おれ》たちの仕事を邪魔するつもりなのか。だが食うだけの金はいるからな。お前はもう親父《おやじ》に親切を見せるだけの心も持っていねえのか。」
「お前たちの方があたしの邪魔をしてるんだよ。」とエポニーヌは言った。
「だが俺たちも生きてゆかなけりゃならねえからな、食ってゆかなけりゃ……。」
「死んでおしまいよ。」
そう言って彼女は、鉄門の台石に腰掛けながら、歌い出した。
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私の腕はまるまると。
私の足はすんなりと、
それでも運は向いてこず。
[#ここで字下げ終わり]
彼女は膝《ひざ》に肱《ひじ》をつき、手に頤《あご》をもたせ、平気なふうで足をぶらつかしていた。穴のあいた上衣からは、やせた鎖骨が見えていた。近くの街灯はその横顔と態度とを照らし出していた。これほど心を決したまたこれほど驚くべき姿は、世にほとんど見られないほどだった。
六人の強盗らはひとりの小娘から邪魔されて、手の出しようがなく陰鬱《いんうつ》な顔をして、街灯が投げた影の中にはいり、忌ま忌ましそうな怒った肩をそびやかしながら、相談を始めた。
その間彼女は落ち着いたしかも荒々しい様子で彼らをながめていた。
「あいつどうかしてる。」とバベは言った。「何か訳がある。だれかに惚《ほ》れ込んでるのかな。だがこれをうっちゃるなあ惜しいな。女がふたりで、後ろの中庭に爺《じい》さんがいるだけだ。窓の布《きれ》も悪かあねえ。爺さんは猶太人《ジュウ》かも知れねえ。うめえ仕事だと思うがな。」
「よし、お前たちははいれ。」とモンパルナスは叫んだ。「やっつけろ。俺《おれ》はここに娘といっしょに残ってらあ。もしあいつが何かしたら……。」
彼は袖《そで》のうちに持っていた開いたナイフを、街灯の光にひらめかした。
テナルディエは一言も口をきかずに、何でも皆の言うとおりに従おうとしてるようだった。
いつも有力な発言者であり、また読者の知るとおり「事件を仕組んだ」発頭人であるブリュジョンは、まだ口を開かなかった。彼は考え込んでるらしかった。彼はいかなることにも逡巡《しりごみ》しないという評判を取っており、また、単に勇気を誇示せんがためのみではあったが、ある時警察署から物を盗んだということも、皆に知られていた。その上彼は、詩を作り、歌をこしらえ、いたく重んぜられていた。
バベは彼に尋ねた。
「お前は何とも言わねえのか、ブリュジョン。」
ブリュジョンはなおしばらく黙っていたが、それから種々なふうに何度も頭を振り、ついに心をきめて言い出した。
「実はね、今朝二匹の雀《すずめ》が喧嘩《けんか》するのに出会ったし、今晩はまた、女の反対にぶっつかった。どうも辻占《つじうらな》いがいけねえ。こりゃやめにしようや。」
それで彼らは立ち去っていった。
そこを去りながらモンパルナスはつぶやいた。
「かまうこたねえ、もし皆がしろって言うなら、俺《おれ》はあいつをやっつけてしまったんだがな。」
バベは彼に答えた。
「俺はいやだね。御婦人に手を下すこたあしたくねえ。」
街路の角《かど》の所で、彼らは立ち止まって、低い声で謎《なぞ》のような対話をかわした。
「今晩どこで寝よう。」
「パリーの下にしよう。」
「テナルディエ、お前、門の鍵《かぎ》は持ってるか。」
「うむ。」
彼らから目を離さなかったエポニーヌは、彼らが出てきた方へまた戻ってゆくのを見た。彼女は立ち上がって、壁や家に沿うて見え隠れにその大通りまでついて行った。がそこで男どもは別々になった。そして彼女は、六人の男が闇《やみ》の中にとけこむように没してしまうのを見た。
五 夜のもの
盗賊らが去った後、プリューメ街は再び夜の静穏な光景に返った。
街路で今起こったことも、森を驚かすことはできなかったのである。大木、蘖《ひこばえ》、灌木《かんぼく》、深く交差した枝、高い草、皆陰惨な存在を保っている。荒々しい群れはそこに、目に見えざるものが突然姿を現わすのを見る。人界以下のものが、靄《もや》を通して、人界の彼方《かなた》のものをそこに見いだす。われわれ生ある者の知らぬ諸々《もろもろ》のものが、夜のうちにそこで互いに顔を合わせる。毛を逆立てた粗野な自然は、超自然的と思われる種々のものが近づくのを感じて狼狽《ろうばい》する。諸々のやみの力は互いに知り合い、互いに不思議な均衡を保っている。牙《きば》や爪《つめ》も、つかみ得《う》べからざるものを恐れる。血をすする獣性、餌物《えもの》をさがす飢えたる貪欲《どんよく》、爪と顎《あご》とをそなえ腹のみがその源であり目的である本能、それらのものは、平然たる幻の姿をおずおずとながめまたかぎまわす。その姿は経帷子《きょうかたびら》に包まれて彷徨《ほうこう》し、おぼろなるうち震う上衣にくるまって直立し、死の世界の恐ろしい生命に生きてるがようである。ただ物質にすぎない獰猛性《どうもうせい》などは、凝って一つの不可解なる者となってる広大なる暗黒を相手にするのを、漠然《ばくぜん》と恐れている。道をふさぐ黒い形は、一挙に野獣の歩みをさえぎり止める。墳墓から出でたる者が、洞窟《どうくつ》から出でたる者を脅かし狼狽《ろうばい》させる。獰猛なるものは凄惨《せいさん》なるものを恐れる。狼《おおかみ》は幽鬼に出会ってあとに退く。
六 マリユスおのれが住所をコゼットに知らす
人間の顔をした番犬が鉄門をまもり、六人の盗賊らがひとりの娘の前から退却していった間、マリユスはコゼットのそばにいた。
かつてこれほど、空は星をちりばめて美しく、樹木はうち震い、草のかおりは濃まやかな時はなかった。かつてこれほど、小鳥はやさしい音を立てて木の葉の間に眠ってることはなかった。かつてこれほど、宇宙の朗らかな諧音《かいおん》は内心の愛の調べによく調子を合わしてることはなかった。かつてこれほど、マリユスは心を奪われ幸福で恍惚《こうこつ》たることはなかった。しかるに彼はコゼットが悲しい様子をしてるのを見て取った。コゼットは泣いたのだった。彼女の目は赤くなっていた。
それはこの楽しい夢の中における最初の雲であった。
マリユスはまず第一にこう言った。
「どうかしたの?」
彼女は答えた。
「あのね。」
そして彼女は踏段の近くの腰掛けにすわって、彼がそのそばに震えながら腰をおろしてる間に、先を続けた。
「今朝《けさ》お父さんが私にも用意をしておけっておっしゃったの。用があるので、私たちはここを出立することになるだろうからって。」
マリユスは全身震え上がった。
生涯の終わりにおいては、死ぬことはすなわち出立することである。生涯の初めにおいては、出立することはすなわち死ぬことである。
六週間前からマリユスは、少しずつ、徐々に、しだいに、日々コゼットを自分のものにしていった。観念的ではあるがしかし深い所有だった。既に説明したとおり、初恋においては肉体よりも先に魂を奪うものである。後になると、魂より先に肉体を奪い、時によると魂をまったく顧みないこともある。フォーブラやプリュドンムのごとき俗物は言い添える、「なぜなら魂なんぞは初めからないからだ。」しかしそういう嘲笑《ちょうしょう》は幸いにして冒涜《ぼうとく》なものである。でマリユスは、精神的所有においてコゼットを所有していた。そして自分の全心で彼女を包み、異常な確信をもってねたみ深く彼女をとらえていた。彼女の微笑、呼吸、かおり、青い眸《ひとみ》の深い輝き、皮膚のやさしい感触、首にあるかわいい痣《あざ》、あらゆる考え、それらをすべて彼は自分のものにしていた。眠ってもお互いの姿を夢みようと誓っていて、ふたりは実際そのとおり夢みた。それで彼はコゼットの夢をも自分のものとしていた。彼女の首筋のおくれ毛を、彼は絶えずながめ、時には息で触れ、そしてそのおくれ毛の一本たりとも自分のものでないのはないと自ら断言していた。結わえてるリボン、手袋、袖口《そでぐち》、半靴《はんぐつ》、すべて彼女の身につけてるものを、彼は自分の持ってる神聖な物のように、うちながめ大事にしていた。彼女が髪にさしてるきれいな鼈甲《べっこう》の櫛《くし》の所有者も、自分であると彼は夢想していた。彼女の長衣の一筋の紐《ひも》も、その靴下の一つの編み目も、その胸衣の一つの襞《ひだ》も、自分のものでないのはないと、彼は目ざめゆく肉感のひそかなそれとなきささやきにそそられて自ら言った。コゼットのそばにいる時彼は、自分の幸福、自分の所有物、自分の専制君主、自分
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