@かくてもなお続けて天の方へ目をあげなければならないか? そこに見える輝いたる一点は、消えうするもののなごりであろうか? 深みのうちに取り残され、見分け難く小さく孤立して、周囲に重畳|堆積《たいせき》してる大なる暗雲におびやかされながら輝いてる理想こそ、見るも恐るべきものである。しかしながらそれは、黒雲にのまれんとする星と等しく、特に危険に陥っているものではない。
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   第八編 歓喜と憂苦


     一 充満せる光

 読者のすでに了解するとおり、エポニーヌはマニョンに言いつけられてプリューメ街に行き、そこに住んでる娘を鉄門越しに見て取って、まず盗賊どもをその家から他にそらし、次に、マリユスを連れてきたのであった。そしてマリユスは、その鉄門の前に恍惚《こうこつ》たる数日を過ごした後、鉄が磁石に引かれるような力に導かれ、恋人が愛する女の家に引きつけられるような力に導かれて、ロメオがジュリエットの庭にはいったように([#ここから割り注]訳者注 セークスピヤの戯曲ロメオとジュリエット[#ここで割り注終わり])ついにコゼットの庭のうちにはいり込んでしまったのである。しかもそうすることは、ロメオの時よりも彼の時の方が容易であった。ロメオは壁を乗り越えなければならなかったが、マリユスの方は、老人の歯のように錆《さび》くれた穴の中に揺らいでる古い鉄棒の一本を、少しばかり押し開くだけでよかった。マリユスはやせていて、わけなくそこからはいることができた。
 街路にはかつて人もいなかったし、その上マリユスは夜分にしか庭にはいって行かなかったので、人に見られるような危険はなかった。
 一つの脣《くち》づけが二つの魂を結び合わしたあの聖《きよ》い祝福された夜以来、マリユスは毎晩そこにやってきた。もしその頃コゼットが、多少不謹慎なみだらな男に恋したのであったら、彼女は身を滅ぼしたであろう。なぜなら世にはすべてに身を任せる大まかな性質の者がいるもので、コゼットはそのひとりだったのである。女の寛容の一つは、物に従うところにある。絶対の高みにある恋のうちには、一種の潔い貞節の盲目さがはいっている。世の高潔な魂の女らがいかに多くの危険を冒すことか! 彼女らが心を与えるのに男はしばしばその肉体をのみ取る。心は彼女らのもとに残って、彼女らは戦慄しながらそれをやみの中にながめる。恋は中間の道を持たない。身を滅ぼすか救うかいずれかである。すべて人の生涯はそういう両端のうちにはさまれている。そして滅落や至福かの板ばさみは、いかなる場合よりも恋愛において最もよく迫ってくる。愛は死でなければ生である。揺籃《ゆりかご》か柩《ひつぎ》かである。人の心のうちでは、同一の感情がしかりとも言えば否とも言う。神の手に成るいっさいのもののうちで、人の心は最も多く光輝を放つものであるとともに、また悲しくも最も多く暗黒を出すものである。
 コゼットの出会う愛は救済の愛であらんことを神は欲した。
 一八三二年五月の毎夜、その荒れはてたわずかな庭のうちに、日ごとにかおりは高まり茂みは深くなるその藪《やぶ》の下に、あらゆる貞節と無垢《むく》とでできてるふたりの者、天の恵みに満ちあふれ、人間によりも天使に近い、純潔で正直で恍惚《こうこつ》として光り輝いてるふたりの者が、暗闇《くらやみ》のうちに互いに照らし合っていた。コゼットにとってはマリユスが王冠をいただいてるかと思われ、マリユスにとってはコゼットが円光に包まれてるかと思われた。彼らは互いに相触れ互いに見合わし、互いに手を取り合い、互いに相接していた。しかしそこには彼らが越えることをしない一つの距離があった。それははばかるところあってではなくて、それを知らないからであった。マリユスは一つの障壁すなわちコゼットの純潔を感じており、コゼットは一つの支柱すなわちマリユスの誠実を感じていた。最初の脣《くち》づけはまた最後のものであった。その後マリユスは脣《くちびる》を、コゼットの手か襟巻《えりま》きか髪の毛かより以上のものには触れなかった。彼にとっては、コゼットは一つのかおりであってひとりの女ではなかった。彼は彼女を呼吸していた。彼女は何も拒まず、彼は何も求めなかった。コゼットは幸福であり、マリユスは満足であった。互いに魂と魂とで眩惑《げんわく》し合うとでも言い得る歓喜の状態に、ふたりは生きていた。それは二つの処女性が理想のうちにおいてなす得《え》も言えぬ最初の抱擁だった。ユングフラウの頂で相会する二羽の白鳥だった。
 恋愛のかかる時期、肉感はすべて心の恍惚《こうこつ》の力の下に屏息《へいそく》している時において、天使のごとき純潔なマリユスは、コゼットの裾《すそ》をようやく踝《くるぶし》のところまでまくることよりも、むしろ売笑婦のもとに通うことの方を容易になし得たろう。ある時、月の光の下で、コゼットが地面に何か拾おうとして身をかがめ、その襟が少し開いて首筋がちらと見えた時、マリユスは目をそらしたのだった。
 それらふたりの間には何が起こったか。否何事も。ふたりはただ互いに欽慕《きんぼ》し合ったばかりである。
 夜、ふたりがそこにいる時、庭は生きてる神聖なる場所のようになった。あらゆる花は彼らのまわりに開いて香気を送り、彼らはその魂を開いて花の間にひろげた。放逸強健な植物は養液と陶酔とに満たされて無垢《むく》なふたりのまわりに身を震わし、ふたりは樹木もおののくばかりの愛の言葉を言いかわした。
 ふたりの言葉は何であったか。それはただ息吹《いぶき》であった。それ以上のものではなかった。その息吹だけですべて自然を乱し感動させるに足りた。木の葉の下を吹く風のままに、煙のように吹き去られ散らさるるそれらの睦言《むつごと》は、書物の中で読んだばかりでは、その魔術的な力を感ずることは難いだろう。ふたりの恋人のささやきから、魂より発して竪琴《たてごと》のように伴奏する旋律を取り去る時、あとに残るものはもはや一つの影にすぎない。「なんだ、そんなことか!」と人は言うであろう。まさしくそれは小児の言葉であり、幾度もの繰り言であり、ゆえなき笑いであり、無益なものであり、たわけたものであり、しかも世に最も崇高深遠なものである。語られ聞かれるに価する唯一のものである。
 それらのたわけた無用な言葉こそ、かつてこれを耳にせず、かつてこれを口にしなかった者は、愚人であり悪念の人であろう。
 コゼットはマリユスに言った。
「あなた知っていて?……」
(かかる愛のうちに浸り、その潔《きよ》い処女性を通して、互いにいかなる調子で語っていいかを知らないで、いつとはなくふたりはごくへだてのない口をきくようになっていた。)
「あなた知っていて? 私はウューフラジーというのよ。」
「ウューフラジー? いやコゼットだよ。」
「でもコゼットというのは、私が小さい時に何でもなくつけられたいやな名前なの。本当の名はウューフラジーというのよ。ウューフラジーという名はおいやなの?」
「好き。……でもコゼットというのも悪かない。」
「ウューフラジーよりそれの方がいいの?」
「でも……ええ。」
「では私もその方がいいわ。そうね、コゼットってかわいい名ね。コゼットと言ってちょうだい。」
 そして彼女が浮かべたほほえみは、その対話を天の森にもふさわしい牧歌となした。

 またある時彼女は、彼をじっとながめて叫んだ。
「あなたはきれいね、美しいのね、才気があって、よく物がわかってて、私よりずっと学問があるのね。でも愛するって方じゃ私あなたに負けないわ。」
 マリユスは蒼空《あおぞら》のうちに漂って、星に歌われる一節を聞くがように思った。
 あるいはまた、彼が一つ咳《せき》をしたというので、彼女は軽くその肩をたたいて言った。
「咳をしてはいけないわ。私の家では私の許しを得ないで咳をすることはなりません。咳をして私に心配させちゃいやよ。私あなたの丈夫な方がいいの。なぜって、あなたが丈夫でないと私はほんとに心配ですもの。あなたが悪かったら私どうしましょう。」
 それはただ聖なる言葉であった。
 ある時、マリユスはコゼットに言った。
「ねえ、私は前には、あなたの名はユルスュールというのだとばかり思っていた。」
 それでふたりは、その晩中笑い通した。
 またある時、話の最中に、彼は突然叫び出した。
「ああ、ある日リュクサンブールで、私はひとりの老廃兵を踏みつぶしてやりたいことがあった!」
 しかし彼はにわかに言葉を切って、もうその先を言わなかった。先を話せばコゼットに靴下留《くつしたど》めの一件を言わなければならなかったが、それは彼にはできなかった。まだ知らない方面が、肉体のことがそこにあって、この無垢《むく》な大なる愛は、一種の神聖な恐れをもってその前から退いた。
 マリユスはそのようにしてただコゼットとふたりきりの生活を心にいだいていた。毎晩プリューメ街にやってき、あの法院長の鉄門のおかしな古い鉄棒を押し開き、石の腰掛けの上に相並んですわり、木立ちの間から暮れてゆく夜の微光をながめ、自分のズボンの膝《ひざ》の折り目とコゼットの長衣の広さとを交じえさせ、彼女の親指の爪《つめ》をいじり、彼女にへだてなく呼びかけ、互いに同じ花のかおりを永久に限りなく吸うのである。その間雲はふたりの頭の上を流れていた。そして吹く風も、空の雲より人の夢をより多く運んでいた。
 そのほとんど臆病な貞節な愛にも、絶対に媚《こ》びが欠けてるのではなかった。愛する女に「やさしい口をきく」のは、愛撫《あいぶ》の最初の仕方であり、半ば思い切った行ないである。その会釈は、ヴェール越しの脣《くち》づけにも似たものである。肉感は身を隠しながらそこにやさしい跡を刻む。肉感の前に、心はなお深く愛せんために身を退く。マリユスの追従は、空想にまったく浸されていて、言わば空色に染められたようなものだった。小鳥が天使の方へ高く飛び行く時には、そういう言葉を聞くに違いない。けれどもそれには、生命と、人情と、マリユスのなし得るすべての積極的なこととが含まっていた。それは洞穴《どうけつ》の中で語らるべきものであり、寝所のうちで語らるべきものの序曲だった。叙情的な訴え、歌曲の一節と叙情短詩の交じったもの、鳩《はと》のやさしい飾り言葉、花束に編まれて美妙な天国のかおりを発する精練された欽慕《きんぼ》の言葉、心より心へ伝える得《え》も言えぬさえずりであった。
「おおあなたの美しいこと!」とマリユスはささやいた。「私はあなたを目でながめることができない。ただ心でながめてるだけだ。あなたは美の女神だ。私は自分で自分のことがわからない。あなたの長衣の下に、ちょっと靴《くつ》の先が見えるだけでも、私はもう自分をとり失ってしまう。心の中にあることをあなたが少し見せてくれる時、私にはどんなに美しい光がさすことだろう! あなたはほんとにみごとな言葉を言ってくれる。私には時々あなたが夢のように思えることがある。さあ何とか言っておくれよ。私はそれに耳を傾けて、あなたを賛美する。おおコゼット、何と不思議な心楽しいことだろう。私はまったく気も狂いそうだ。あなたは何という尊い人だろう。私はあなたの足を顕微鏡《むしめがね》で研究し、あなたの魂を望遠鏡《とおめがね》で研究しているんだよ。」
 コゼットは答えた。
「私は今朝《けさ》から一時《ひととき》ごとにつのる思いであなたを愛しているのよ。」
 こうした対話の中では、問いと答えとはあちこちに飛び移るが、いつもきまって愛の上に落ちてゆくのであった。あたかも自動人形が盤の中心に落ちてゆくがようなものである。
 コゼットの全身は、無邪気と率直と透明と白色と純潔と光輝とであった。彼女は澄みきっているとも言えるほどだった。見る人の心に、四月の感じと曙《あけぼの》の感じとを与えるのだった。その目の中には露が宿っていた。彼女は曙の光が凝って女の形となってるものであった。
 マリユスが彼女を欽慕《きんぼ》し彼女を崇拝したのは、きわめて当然のことだっ
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