だ。[#ここで割り注終わり])ところが、隠語は横から口を出してこう答える、「chandelle([#ここから割り注]蝋燭[#ここで割り注終わり])ではない、camoufle というのだ。」かくて日常の言語は、平手打ちの同意義語に camouflet(戯れに人の顔に吹きかける濃煙)というのを置いている。そして下部から上部への一種の浸透力によって、また不可測な道をたどる比喩の助けによって、隠語は洞窟《どうくつ》からアカデミーまでのぼってゆく。J'allume ma camoufle.([#ここから割り注]俺は蝋燭をつける[#ここで割り注終わり])といっていた盗賊プーライエは、アカデミー会員のヴォルテールに次のような文句を書かせる。〔Langleviel La Beaumelle me'rite cent camouflets.〕([#ここから割り注]ラングルヴィエル・ラ・ボーメルには百の平手打ちを喰わすべし。[#ここで割り注終わり])
隠語のうちを掘りゆけば、一歩ごとに発見物がある。この不思議な語法を研究し掘り深めてゆくと、ついには正規の社会とのろわれた社会との接触点に達する。
隠語は囚人となった言語である。
人の思考力がいかに底深い所につき落とされているか、そこで宿命の暗澹《あんたん》たる暴虐からいかにむごたらしく引きずられ縛り上げられているか、その深淵《しんえん》の中でいい知れぬ鈎《かぎ》にいかにしかと結び止められているか、それを見ては心おびえるほどである。
ああ、みじめなる者らのあわれなる思想よ!
悲しいかな、この影のうちにある人の魂をだれも救いにこないのであろうか。精神を、救済者を、ペガサス([#ここから割り注]翼馬[#ここで割り注終わり])やヒポグリフ([#ここから割り注]鷲頭怪馬[#ここで割り注終わり])などに乗った広大な騎者を、両翼をひろげて蒼天からおりて来る曙《あけぼの》の色に輝いた戦士を、燦然《さんぜん》たる未来の騎士を、かかる宿命は永遠に待っていなければならないのであろうか。理想の光明の槍《やり》に向かって救いを求むる声も、ただいたずらに響くのみであろうか。ドラゴン(竜)の頭が、泡《あわ》を吐く顎《あご》が、獅子《しし》の爪《つめ》と鷲《わし》の翼と蛇《へび》の尾とでうねり行く怪物が、悪の深淵の深みのうちを恐ろしく渡りくる音を聞き、恐るべき水の中に次第に近くやってくるのを見るように、永久に定められているのであろうか。光もなく、希望もなく、その恐るべき怪物の近づくままに放置され、その怪物からほのかに嗅《か》ぎつけられ、身を震わし、髪をふり乱し、腕をねじ合わしてひざまずき、永遠にやみ夜の巌《いわお》につながれて、そこに留まっていなければならないのであろうか、やみのうちに裸のままほの白くさらされたる悲惨なるアンドロメダ([#ここから割り注]訳者注 神託によって海の怪物にささげられペルセウスに助けられしエチオピアの王女[#ここで割り注終わり])のごとくに!
三 泣く隠語と笑う隠語
読者の見る通り、全部の隠語は、今日の隠語と共に四百年前の隠語も、各語にあるいは苦悩の姿を与えあるいは恐ろしい姿を与える陰惨な象徴的精神ですべて貫かれている。そのうちには、クール・デ・ミラクルの無宿者らからきた古い荒々しい悲哀が感ぜらるる。この無宿者らは特殊なカルタで賭博《とばく》をしていたが、その幾つかは今だに伝わっている。たとえばクラブの八は、クローバーの大きな葉の八枚ついてる大木が描いてあって、変な風に森をかたどったものであった。大木の根本には燃えてる火が見えていて、そこでひとりの猟師が串《くし》にさされて三匹の兎《うさぎ》からあぶられていた。その向こうにも一つ火が燃えていて、その上にかかって煙を出してる鍋《なべ》からは犬の頭が出ていた。そして密輸入者らを火あぶりにし貨幣|贋造者《がんぞうしゃ》らを釜揚《かまあ》げにする時代において、カルタ札《ふだ》の上に描かれたそれらの復讐《ふくしゅう》ほど、世に痛むべきものは存しない。隠語の世界において人の考えを現わす種々の形は、歌も嘲弄《ちょうろう》も威嚇《いかく》も皆、かかる無力な圧伏された性質を持っていた。歌の調子は幾らか今だに伝わっているが、それらの歌は皆謙遜なもので、涙ぐまるるほど悲しいものだった。盗賊仲間ということは 〔pauvre pe`gre〕([#ここから割り注]あわれな仲間[#ここで割り注終わり])と呼ばれている。そしてまた、身を隠す兎だの、のがれゆく二十日鼠だの、逃げ出す小鳥だのが、いつも出て来る。ほとんど抗議さえも持ち出さない。ただ嘆息するのみで満足している。その嘆声の一つが今に伝わっている。
[#ここから4字下げ]
〔Je n'entrave que le dail comment meck, le daron des orgues, peut atiger ses mo^mes et ses momignards et les locher criblant sans e^tre atige' lui−me^me.〕
(なぜに人の父なる神は、おのが子や孫を苦しめ、その泣き声を聞きても自ら心を痛めないか、私は了解することを得ない。)
[#ここで字下げ終わり]
悲惨なる者は、少しく思いめぐらす暇を持つごとに、法律の前に自ら小さくなり、社会の前に自ら弱くなる。彼はそこに平伏し、懇願し、憐愍《れんびん》の方を仰ぎ見る。あたかも自分の非をよく知ってるかのようである。
ところが十八世紀の中葉頃に、一つの変化が起こった。監獄の歌は、盗賊のきまりの歌は、横柄な元気な身振りを示した。嘆息的な反覆語 〔malure'〕 は larifla と変わった。十八世紀では、漕刑場《そうけいじょう》や徒刑場や監獄などのほとんどすべての中に、謎《なぞ》のような悪魔的な快活さが見えていた。あたかも燐光《りんこう》に照らされ、横笛を吹いてる鬼火から森の中に投げ出されたかのような、踊りはねる鋭い次の反唱句も聞かれたのである。
[#ここから4字下げ]
Mirlababi, surlababo,
Mirliton ribon ribette,
Surlababi, mirlababo,
Mirliton ribon ribo.
[#ここで字下げ終わり]
これは窖《あなぐら》の中や又は森の片すみで、人を絞《し》め殺しながら歌われたのである。
この変化は重大な一兆候である。十八世紀に及んで、この沈うつな階級の古来の憂鬱《ゆううつ》は消散する。彼らは笑い始める。彼らは偉大なる meg(神)や大なる dab(王)を嘲笑する。ルイ十五世のことをいう時、彼らはこのフランス国王を marquis de Pantin([#ここから割り注]パリー侯爵[#ここで割り注終わり])と呼ぶ。彼らはほとんど快活になったのである。あたかも良心の重みももはや感じないかのように、そのみじめなる者らから一種軽快な光が発してくる。その痛むべき影の種族は、もはや単に行為上の絶望的な大胆さを持ってるのみではなく、また精神上のむとんちゃくな大胆さを持っている。それは彼らが罪悪の感情を失ってる証拠であり、思想家や瞑想家《めいそうか》らが自ら知らずして与うる一種の支持を彼らが感じてる証拠である。窃盗や掠奪《りゃくだつ》が理論や詭弁《きべん》のうちにまでしみ込んでいって、ついに詭弁《きべん》や理論に醜さを多く与えながらおのれの醜さを多少失ってきた証拠である。終わりにまた、何か反対の機運さへ起こらなければ、ある驚くべき発展が近く到来せんとしてる前兆である。
ちょっと一言しておきたい。ここで我々がとがめんとするところのものは、十八世紀であるか? または哲学であるか? 否そうではない。十八世紀の事業は健全で善良である。ディドローを頭《かしら》とする百科辞典の一派、テュルゴーを頭とする重農主義の一派、ヴォルテールを頭とする哲学の一派、ルーソーを頭とする理想郷の一派、そこに四つの尊い方面がある。光明の方へ向かってなした人類の大なる前進は、彼らに負うところのものである。彼らは人類の四つの前衛であって、進歩の四方へ進み出る。ディドローは美なるものの方へ、テュルゴーは有益なるものの方へ、ヴォルテールは真なるものの方へ、ルーソーは正なるものの方へ。しかしながら、それらの哲人らの傍《かたわら》にまた下に、詭弁家らの一派があった。健全なる繁茂に交じってる有毒な植物であり、処女林のうちにおける毒人蔘《どくにんじん》であった。法廷の大階段の上で当代の救済主らの大著述を刑執行人が焼き払ってる傍に、今日もはや忘られている幾多の著述家らは、国王の特許を得て、変に秩序をみだす種々の著述を出版して、みじめなる者らから貪《むさぼ》り読まれたものである。不思議にも国君の保護を受けたそれらの発行書のあるものは、秘密叢書[#「秘密叢書」に傍点]のなかに今もはいっている。奥深いしかも世に知られないそれらの事実は、表面には現われていなかった。が往々にして一事実の危険性はその暗黒なる点に存する。暗黒なるは地下にあるからである。それらの著述家らのうちでも、岩層の中に最も不健全な坑道を当時掘った者は、おそらくレスティフ・ド・ラ・ブルトンヌであろう。
かかる仕事は本来全ヨーロッパに存するものであったが、ことにドイツはそれからはなはだしい損害を受けた。ドイツにおいては、シルレルが有名な戯曲群盗[#「群盗」に傍点]のうちに概説しているある一時期の間、窃盗と掠奪とが蜂起《ほうき》して所有権と労働とを妨げ、初歩のもっともらしい誤ったる思想を、外観は正しいが実質は不条理なる思想を、自ら遵守《じゅんしゅ》し、自ら身にまとい、多少その影に潜み隠れ、抽象的な名前を取って学説の状態に変形して、不純な混和剤を作る不注意な化学者のごとくに、またそれを服用する衆人のごとくに、知らず知らずのうちに、勤勉な正直な苦しめる群集の間に伝播《でんぱ》していったのである。かかる種類の事実が起こってくる時には、その結果は常に重大である。苦しみは憤怒を生む。そして富裕なる階級が、盲目であるか又は眠っている間に、すなわち目を閉じている間に、不幸なる階級の憎悪《ぞうお》の念は、片すみに夢想している憂鬱《ゆううつ》な又は悪しき精神に炬火《たいまつ》を点じて、社会を調査し始める。憎悪の行なう調査、それは恐るべきものである。
そこから、もし時代の不幸が望む時には、ジャックリー([#ここから割り注]訳者注 十四世紀ピカルディーにおける賤民の大暴動[#ここで割り注終わり])と昔名づけられたような恐るべき騒擾《そうじょう》が起こってくる。かかる騒擾に比すれば、純粋の政治的動乱などは児戯に等しいものである。それはもはや被圧制者が圧制者に対抗する争いではなく、不如意が安逸に対抗する反抗である。その時すべては崩壊する。
ジャックリーは民衆の戦慄《せんりつ》である。
十八世紀の末葉においておそらく全ヨーロッパに切迫していたこの危急を、あの広大なる誠直の行為たるフランス大革命は、一挙に断ち切ったのである。
剣を装ったる理想に外ならないフランス大革命は、すっくと立ち上がり、同じ急速な動作で、悪の扉《とびら》を閉ざし善の扉を開いた。
大革命は問題を解決し、真理を普及し、毒気を払い、時代を清め、民衆に王冠を授けた。
大革命は人間に第二の魂たる権利を与えながら人間を再びつくった、ともいい得るであろう。
十九世紀はその事業を継承し利用している。そして今日では、前に述べたような社会の破滅は当然起こり得ない。かかる破滅を予言する者は盲者であり、かかる破滅を恐るる者は痴呆《ちほう》である。革命はジャックリーの種痘である。
革命の恩恵によって社会の情況は変わった。封建的王政的な病はもはや我々の血液の中にはない。我々の政体のうちにはもはや中世は存しない。恐るべき黴菌《ばいきん》が内部に満ちあふれていた時代、恐ろしい響きのか
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