。世間にはどうしたわけのものか少しも老《ふ》けねえ奴《やつ》がいる。それから声までそっくりだ。ただいい服装《なり》をしてるだけのことだ。全く不思議な畜生だが、とうとうとらえてやったというもんだ。」
彼は立ち止まって、娘らの方へ言った。
「お前たちは出て行くんだ。――ばかだな、あれに気がつかなかったって。」
娘らは父の言うとおりに出てゆこうとして立ち上がった。
母親はつぶやいた。
「手にけがをしてるのに……。」
「外の風に当たればなおる。」とジョンドレットは言った。「出て行け。」
明らかに彼にはだれも口答えができないらしい。ふたりの娘は出て行った。
ふたりが扉《とびら》から出ようとした時、亭主は姉娘の腕をとらえ、一種特別な調子で言った。
「お前たちはちょうど五時にここへ帰って来るんだぞ、ふたりいっしょに。用があるんだから。」
マリユスは更に注意して耳を澄ました。
女房とふたりきりになると、ジョンドレットはまた歩き出し、黙って室《へや》の中を二、三度回った。それからしばらくの間、着ていた女シャツの裾《すそ》をズボンの帯の中に押し込んでいた。
突然彼は女房の方を向き、腕を組み、そして叫んだ。
「も一つおもしろいことを聞かしてやろうか。あの娘はな……。」
「え、なに?」と女房は言った、「あの娘が?」
マリユスはもう疑えなかった。まさしくそれは「彼女」のことに違いなかった。彼は非常な懸念で耳を傾けた。彼の全生命は耳の中に集中していた。
しかしジョンドレットは身をかがめ、女房に低い声でささやいた。それから身を起こして、声高に言い添えた。
「彼女《あれ》だ!」
「さっきのが?」と女は言った。
「そうだ。」と亭主は言った。
およそいかなる言葉をもってしても、女房の言ったさっきのが[#「さっきのが」に傍点]? という語のうちにこもってたものを伝えることはできないだろう。驚駭《きょうがい》と憤慨と憎悪《ぞうお》と憤怒とがこんがらがって一つの恐ろしい高調子になって現われたのである。亭主から耳にささやかれた数語、それはおそらくある名前だったろうが、それを聞いたばかりでこの大女は、ぼんやりしていたのがにわかに飛び上がって、いとうべき様子から急に恐るべき様子に変わったのである。
「そんなことがあるもんかね!」と彼女は叫んだ。「家の娘どもでさえ跣足《はだし》のままで長衣もな
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