たのだから、ストーブの火をよくおこしてくれ。寝床へも空気を入れるようにしてくれ。もちろん、そこに蝋燭《ろうそく》や焚《た》き物があるかどうだか見てくれ。おれの短銃《ピストル》と匕首《あいくち》も持って行ってくれ。おれの武器はそれでたくさんだ。おまえも同じように武装して行け。たとい一ダースの幽霊が出て来たからといって、それと勝負をすることが出来ないようでは、英国人のつらよごしだぞ」
 しかし、私は非常に差し迫った仕事をかかえているので、その日の残りの時間は専《もっぱ》らその仕事についやさなければならなかった。わたしは自分の名誉を賭《か》けたる今夜の冒険について、あまり多く考える暇《ひま》を持たないほどに忙《いそが》しく働いた。わたしは甚《はなは》だ遅くなってから、ただひとりで夕飯を食った。食うあいだに何か読むのが私の習慣であるので、わたしはマコーレーの論文の一冊を取り出した。そうして、今夜はこの書物をたずさえて行こうと思った。マコーレーの作は、その文章も健全であり、その主題も実生活に触れているので、今夜のような場合には、迷信的空想に対する一種の解毒剤《げどくざい》の役を勤めるであろうと考えたからである。
 午後九時半頃に、かの書物をポケットへ押し込んで、わたしは化け物屋敷の方へぶらぶらと歩いて行った。わたしはほかに一匹の犬を連れていた。それは敏捷で、大胆で、勇猛なるブルテリア種の犬で、鼠をさがすために薄気味のわるい路の隅や、暗い小径《こみち》などを夜歩きするのが大好きであった。かれは幽霊狩りなどには最も適当の犬であった。
 時は夏であったが、身にしむように冷えびえする夜で、空はやや暗く曇っていた。それでも月は出ているのである。たといその光りが弱く曇っていても、やはり月には相違ないのであるから、夜半《よなか》を過ぎて雲が散れぱ、明かるくなるであろうと思われた。
 かの家にゆき着いて戸をたたくと、わたしの雇い人は愉快らしい微笑を含んで主人を迎えた。
「支度は万事できています。すこぶる上等です」
 それを聞いて、わたしはむしろ失望した。
「何か注意すべきようなことを、見も聞きもしなかったか」
「なんだか変な音を聞きましたよ」
「どんなことだ、どんなことだ」
「わたくしのうしろをぱたぱた通るような跫音《あしおと》を聞きました。それから、わたくしの耳のそばで何かささやくような声が一度か二度……。そのほかには何事もありませんでした」
「怖《こわ》くなかったか」
「ちっとも……」
 こう言う彼の大胆な顔をみて、何事が起こっても彼はわたしを見捨てて逃げるような男でないということが、いよいよ確かめられた。
 わたしたちは広間へ通った。往来にむかった窓はしまっている。わたしの注意は今やかの犬の方へ向けられたのである。犬もはじめのうちは非常に威勢よく駈け廻っていたが、やがてドアの方へしりごみして、しきりに外へ出ようとして引っ掻いたり、泣くような声をして唸《うな》ったりしているので、私はしずかにその頭をたたいたりして勇気をつけてやると、犬もようよう落ち着いたらしく、私とFのあとについて来たが、いつもは見識《みし》らない場所へ来るとまっさきに立って駈け出すにもかかわらず、今夜はわたしの靴の踵《かかと》にこすりついて来るのであった。
 私たちはまず地下室や台所を見まわった。そうして、穴蔵に二、三本の葡萄酒の罎《びん》がころがっているのを見つけた。その罎には蜘蛛《くも》の巣が一面にかかっていて、多年そのままにしてあったことが明らかに察せられると同時に、ここに棲む幽霊が酒好きでないことも確かにわかったが、そのほかには別に私たちの興味をひくような物も発見されなかった。外には薄暗い小さな裏庭があって、高い塀にかこまれている。この庭の敷石はひどくしめっているので、その湿気とほこりと煤煙《ばいえん》とのために、わたしたちが歩くたびに薄い足跡が残った。
 わたしは今や初めて、この不思議なる借家において第一の不思議を見たのである。
 わたしはあたかも自分の前に一つの足跡を見つけたので、急に立ちどまってFに指さして注意した。一つの足跡がまたたちまち二つになったのを、わたしたちふたりは同時に見た。ふたりはあわててその場所を検査すると、わたしの方へむかって来たその足跡はすこぶる小さく、それは子供の足であった。その印象はすこぶる薄いもので、その形を明らかに判断するのは困難であったが、それが跣足《はだし》の跡であるということは私たちにも認められた。
 この現象は私たちが向うの塀にゆき着いたときに消えてしまって、帰る時にはそれを繰り返すようなこともなかった。階段を昇って一階へ出ると、そこには食堂と小さい控室がある。またそのうしろには更に小さい部屋がある。この第三の部屋は下男の居間であ
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