えた。二人の男は紺の脚半《きゃはん》に切緒《きりお》の草鞋《わらんじ》という厳重な足ごしらえで、白襟《しろえり》花色地の法被《はッぴ》を着ていた,向う向きの男は後からでよく分らなかッたが、打割《ぶっさき》羽織を着ていて、しかもその下から大刀の鞘《さや》と小刀の小尻《こじり》とが見えていた様子といい、一壇高き切株へどッかと腰を打ち掛けて、屋台店の蟹《かに》と跋扈《ふみはだ》かッていた為体《ていたらく》といい、いかさまこの中の頭領《かしら》と見えた。
われわれの近づくのに気がついたか、件《くだん》の男はこちらをふり向いた,見覚えの貌だ,よく見れば山奉行《やまぶぎょう》の森という人で、残《あと》の二人は山方中間《やまかたちゅうげん》であッた。
山奉行というのは、年中腰弁当で山林へ出張して、山林一切のことを管督する役で、身柄のよい人の勤むる役ではない,それゆえ自分などに対しても、自然丁寧なので。
森は自分を見ると、満面に笑《え》み傾けてそして立ち上ッて、
「おや、秀さん。蕨採りですかな? 大層大勢で。採れますかな? どらどらお見せなさい」
そのうちに一同も近づいて来た。森は二歩《ふたあし》三歩前へ進み、母を始め姉や娘に向ッて、慇懃《いんぎん》に挨拶をして、それから平蜘蛛《ひらくも》のごとく叩頭《じぎ》をしている勘左衛門に向い,
「今日はお伴かな、御苦労だの」と言ッて、それからまた下女の方へ向いた、が物は言わず、ただ挨拶に笑貌を見せて、すぐまた母の方へ向き,
「いかがでござりまする、ちと小屋へいらしッて御休息をなすッては。はいはいいや誠にむさくるしいところで……が……渋茶でも献じましょう。こりゃ八助、何かを取り揃《そろ》えて持ッて参れ、身共は小屋へ参るから。さ御案内致しましょう」
時刻は八ツごろでもあッたか、この辺は一面の杉林で、梢《こずえ》の枝は繁りに繁ッて日の目を蔽《かく》すばかり,時々気まぐれな鳩が膨《ふく》れ声で啼《な》いているが、その声が木精《こだま》に響いて、と言うのも凄まじいが、あたりの樹木に響き渡る様子、とんと山奥へでも往ッたようで、なんとなく物寂しい。林中の立木を柱に取ッて、板屋根をさしかけたほッたて小屋,これは山方の人たちが俄雨《にわかあめ》に出遇ッた時、身をかくす遁《のが》れ場所で,正面には畳が四五畳、ただしたたというもみのないほどの汚《きた》ならしいやつ、それから前が土間になッていて、真中に炉が切ッてあろうという書割《かきわり》。
母と、森と、勘左衛門の三人が三鉄輪《みつがなわ》に座を構えて、浮世|雑談《ぞうだん》の序を開くと、その向うでは類は友の中間《ちゅうげん》同志が一塊《ひとかたまり》となッて話を始めた,そこで自分は少し離れて、女中連の中へはいり込み、こちらの一方へ陣取ッた。
「秀さん」娘は笑いながら、「あなたどのくらい採りました、お見せなさい。おやたったそれきり、少ないことねエ,私の方が多うございますよ,そウら御覧なさい、勝ちましたよ私の方が」
自分はこの時姉がその身の採ッたのを娘のと一しょにしたところを見た。
「ああ、ずるいずるい、家の姉さんのを混ぜたのだもの」
「あら、あんなこと。ほほほほ混ぜはしませんよ」
「いいえ、混ぜました、混ぜましたよ,見ていましたからね」
「あら。まア、卑怯《ひきょう》な、男らしくもない、負けたものだからそんなことを」
そのうちに渋茶がはいると、かねて中間に持たせて来た鮓《すし》を今日の昼食として、なお四方山《よもやま》の話をしていた。
その時勘左衛門の話に、このひょうきん者が検見《けんみ》の伴をして、村々を廻わッて、ある村で休んだ時、脚半の紐《ひも》を締め直すとて、馬鹿なことさ、縁台の足ぐるみその紐を結びつけて、そして知らずにすましきッて、茶を飲んでいたが,そのうち上役の者が、いざ、お立ちとなッたので、勘左衛門も急いで立ち上ッて足を挙げると、いけない,挙げる拍子に縁台が傾いたので、盆を転覆《ひッくりか》えして茶碗《ちゃわん》を破《こわ》したが、いまだにそれが一ツ話でと、自身を物語ッたのを、われわれ一同話を止めて、おかしな話と聞いていたが、実にこの男は滑稽家でもあッたが、またそそくさした男でもあッた。
さてしばらくここに休んでいたが、自分たちの組が大人を催促して、山奉行に別れて、再び蕨採りに出かけた。今度は出かけるや否や、すぐちりぢりになッて採り始めた。自分は娘の傍を離れず、娘が採るたびに自分の採ッたのと比較して見て、負けまいと思ッて励んでいたが、この時はもウ蕨に気を採られて、娘のことは思ッてはいなかッた,ト言ッて忘れてもいなかッたので,娘の傍にいるということは、闇《あん》に知ッていたので、いわゆる虫が知ッていたので,――その飄《ひるが》えるふりの袂《たも
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