気忙《きぜわ》しいような日であった。人の心も散漫と乱れて、落ちつかなかった。曽根は警察の留置所でくわれた南京虫《なんきんむし》のあとが、赤くはれ上り気持が悪くてしようがないので、社へ出る前にちょっと医者へ行って薬をつけてもらった。そして手だの首筋だの、外へ出て人目に触れる部分には繃帯《ほうたい》をしてもらったりした。
社へ行くと、下足番の爺《じい》さんが、彼の上草履《うわぞうり》を出しながらにやにや薄笑いして何か彼に言いそうにした。彼は何か言われないうちにと努めて不愛そうな顔つきをして急いで梯子段を上った。そこで外勤のF―何とかいった男に出会った。するとその男は、お互いについぞこれまで口を利《き》いたこともないのだが、
「おや、曽根さん、おめでとう」と言って彼の肩を叩いた。
「いや」と、あいまいな返辞をして、振り払うようにして編輯の部屋へ入って行った。
誰かぱちぱちと手を拍《たた》いたものがあった。すると、今までペンを走らしていた人たちまでそのペンを措《お》いて一斉《いっせい》に彼の方を見た。その人たちの顔が、いかにも、何か一口彼をからかって[#「からかって」に傍点]やらねばならぬ
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