ことを言ひながら、二人の間に置いてある火鉢《ひばち》の上へ白堊《チョーク》の粉のついた手を差翳《さしかざ》した。
この人は――運命はこの人にだけ何時も心地《こゝち》よい微風《そよかぜ》を送つてゐるやうであつた――その後間もなく互ひに思ひ合ふ人が出来、やがて願ひが叶《かな》つて結婚の式をあげ、今では既に二人の幼い者の父親でさへある。しかし、彼の物を言ふ調子は昔と少しも変らなかつた。
「だが、今度のことだつて考へてみれば――、僕は思ふんです――あなたにとつては全く何の損失でもありませんよ。たゞ、徒《いたづ》らに悩ましい青春が去つただけです。ほんとに事をなさるには、これからです。」
欣之介は物をいふ元気すらないと云つたやうに、妙に真面目な顔をして、黙つて沈みこんでゐた。
秋の末のことで、霙《みぞれ》でも降つて来さうな空合ひであつた。林檎林《りんごばやし》のところ/″\に焚火《たきび》がされてゐた。その火が、三人の話してゐる大学生の部屋の窓からチラ/\見えた。そこから起つて来る日傭人《ひようにん》たちの明つ放しの高笑ひ混りの話声が、意地悪く欣之介の耳について離れなかつた。
欣之介から取
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