く恐縮の外はありません。
当時御発病の折、ロンドンに私が居りましたこと、私が当時十日余も同宿いたしました事、また英文科卒業生であること、以上が煩をしたので誠に遺憾に耐へません。
弁明したくも漱石さんは、もはや此世におはさず、せめてあなたになりと此誤解を正したく此一文を草するのであります。
作品に対する弁難攻撃には在来決して答へませんでした。帰朝匆々ある詩派『明星』といふ一雑誌が党同異閥の精神からか、露伴先生の『出廬』を攻撃した其翌月、私のやうなものにも喰つてかかり、謂れない悪罵を逞うした折も黙視して、たゞ在京の友へ『売りかねた喧嘩の花も江戸の春』と駄句つた位のものでした。
しかし人格に対しての無実の誣言は断じて放置するわけには行きません、尊い古人の文句を引くのは憚る処ですが『正当の証拠によつてわが不法を証明せよ、上帝は爾と我との間を判ぜん』であります。
此一文は遺言してまでも必ずわが拙い集の中へ是非とも編入させます。
ルーソーの『告白』の序に『此一巻を携へて上帝の前に出でん……』云々とありますが私も此一文は死後九天の上九泉の下何処へなりと示すを憚りません。其ルーソーより聯想
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