た野口を慰め勵まし、『家族のことは一切引受けた、アメリカに行け、背水の陣を布け、世界に名を揚ぐるほどの學者になれ』と諭したのは翁であつた、感謝の涙で以來野口からその生を終るまで父と敬稱されたのは翁であつた。
アメリカ渡航前、小林夫人の病氣を聞き歸郷して、看病の隙に拾ひ讀みをしたのは坪内逍遙先生のお若い時の作『當世書生氣質』であつたが、その中に放蕩兒野々口清作といふ人物のあるのを見て、當時彼の名も清作であつたので大に氣を惡くした、そこで小林翁はいろ/\戸籍吏と交渉して、小林家の祖先の名のりの一字をいれた「英世」と改名させたのである。記念品の數々を感激の眼で眺めた後、湖畔に沿ふ長い田舍路を乘車十分ばかりで三城潟に着いた、豫想通の一寒村――そのうちにも念入の破屋の前に、「野口英世誕生家」と木標がある、湖水に面した中庭には海軍少將松平子爵の筆で同文の石碑がある、その下には遺髮が埋められてゐる。
高松宮殿下恩賜の植樹が列を正してゐる、隣の隣が松島屋といふ伯樂宿である、これも可なりすたれたが偉人の少年時代の尊い記念である、同家の老女が親切に案内してくれた、『こゝの柱によりかゝつて野口さんは夜更
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