けるまで本を讀んで居ました』。ぼろにくるまつた不具の少年――家には燈火が無いので、この伯樂宿のふろ番をしながらその光で勉強したのであつた。
 それが小學卒業後ほとんど獨力で醫學を修め、出京してほんの一時濟生學舍に學び――卒業後順天堂の助手――高山齒科醫學院講師――傳染病研究所助手――内務省檢疫係――支那牛莊の衞生局附屬醫院部長――渡米してペンシルバニヤ大學病理學の助手――ワシントン市のカーネギイ研究所助手――ロツクフエラー醫學研究所助手(一九〇四年)といふ經路を踏み、それより以後は加速度的に躍進向上進歩して、一九一四年には世界の權威を集めたロツクフエラー研究所最高幹部の「メムバー」(六巨頭)の一となり、最後までこの光榮の位置を占めて學界無上の偉勳を立てた。ほとんど奇蹟といつて差支はなからう。
 さるにても湖畔に立つて見渡す所何といふ破屋! しかもコントラストに何といふ湖水の風致! いろ/\の思ひで知らず識らず垂れた頭をふりあぐると、盤梯山の雄姿! たそがれ近い、雲は去り雲は來つて峻嶺をあるひは現し、あるひは隱す。この山水秀麗の氣をうけて向後、百年あるひは千年再びかゝる偉人が生るゝか、ど
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