焔の海と誰かしる
光まばゆき照る日影
無限の空の大海の
一《ひとつ》しづくと誰か見る。
照る日照る日の限なき
碧りのをちのおほ空は
光の流れ色の波
溢れぬ隈もなかるべく
あらし耀き風てりて
百重の綾も織りぬべく。
そのおほ空のたゞなかに
わが想像の見るところ
緑は消えて金色《こんじき》の
光まばゆし天の關
もゝの寳を鏤めて
鑄なすかどを過ぎ行けば。
空かんばしく花降りて
行く大水の音のごと
響くは天の愛の歌
流るゝ霞くれなゐの
春とこしへに若うして
風は優鉢羅《うばら》の花の香か。
嗚呼美はしのまぼろしよ
現實《うつゝ》のあらしつらければ
かざしの花の露のごと
脆く碎けて跡ぞなき
今わが歸る人の世に
夢は空しきものなりき。
兩羽《もろは》鋭どくあまがける
天馬の鞍に堪へかねて
下界に落ちし塵の子[#「塵の子」に「(三)」の注記]よ
恨はあはれなれのみか
まぼろし消て力なく
今こそ咽べ我琴も。
こゝの光に暗まじり
こゝのうま酒|澱《おり》にがし
こゝなる戀に恨あり
こゝなる歌に涙あり
「自然」は常にほゝゑめど
世は長《とこし》への春ならず。
花は光に鳥は香に
いざよふ雲は夕づゝに
そよふく風は朝波に
替はすは愛のことのはか
「自然」は常にほゝゑめど
世は長への春ならず。
見よや緑りの川柳
更けて葉越しに青白く
片破月の沈むとき
見よやみそらに影曳きて
恐ぢ驚ける魂のごと
流るゝ星の落つるとき。――
夢より淡く「北光[#「北光」に「(四)」の注記]」の
光微かに薄らぎて
氷の山にかゝるとき
あるは斗牛の影冰る
悲き光波のへに
破船の伴の望むとき。――
夕暗空に聲もなく
影もわびしく稻妻の
またゝくひまに消ゆるとき
誰か憂ひに閉されて
望む光の淋しさに
我世の樣をたぐへざる。
もゝとせ千歳秋去らば
樂土は實《じつ》となるべしや
人と人との爭に
我世の惱絶えざらば
花たが爲めの薫りぞや
星たが爲めの光ぞや。
弱き脆きをしへたぐる
あらびを見るもいつまでか
悟の光暗うして
時の徴候《しるし》は分かねども
望めわが友いつまでか
「力《ちから》」は「正《せい》」に逆ふべき。
さればうき世の雲は晴れ
つるぎは銷けて、天日の
光と照らんあさぼらけ
人の心に恨なく
邦の間に怒なく
我世の上にあらびなく。――
愛と自由と平等《へいとう》の
まことの光かゞやきて
天の王國來るとき
嗚呼其時をまちわぶる
友よもろとも手を引て
薄暗の世をたどらまし。
[#ここから改行天付き、折り返して6字下げ]
(註)(一)ミルトン失樂園第三篇
(二)ダンテ淨罪界第一章
(三)ベラロホン
(四)「オーロラ、ボレアリス」
――――――――
[#ここで字下げ終わり]
月と戀
寢覺め夜深き窓の外
しばし雲間を洩れいでゝ
靜かに忍ぶ影見れば
月は戀にも似たりけり。
浮世慕ふて宵々に
寄する光のかひやなに
叢雲厚く布き滿てば
戀はあだなり月姫よ。
あだなる戀に泣く子らの
手に育ちけむ花のごと
色青じろう影やせて
隱れも行くか雲の外。
夕の星
ちぎれ/\に雲迷ふ
夕の空に星ひとつ
光はいまだ淺けれど
思深しや天の海。
嗚呼カルデアに牧びとの
なれを見しより四千年
光はとはに若うして
世はかくまでに老いしかな。
またゝく光露帶びて
今はた泣くか人のため
つかれ、爭ひ、わづらひに
我世の幸は遠ければ。
墓上の花
死と悲と恨との
跡を留むる墓の上
美と喜びと命《いのち》との
心を示す花一つ。
光、あけぼの、來ん年日、
望の影を彼は見せ
暗、夕まぐれ、過ぎし年、
涙のあとを此は見す。
色ある花の聲や何に
聲なき墓の意味やなに
同じあしたの白露を
彼と此とに落ちしめよ。
憂の墓は人のあと
命の花は神のわざ
同じ夕の星影を
彼と此とに照らしめよ。
「暗」と「眠」
夕暮迷ふ蝙蝠の
羽音にそよぐ川柳
其みだれ髮わがねつゝ
「暗」と「眠」とつれだちて
梢しづかに下だりけり。
墨ぞめごろも裾長く
「暗」の歩みに音もなし、
ふり蒔く露は見えねども
「眠」の影のさすところ
人のまぶたは重かりき。
過ぐるを憶ふ悲みに
來ん日を計るわづらひに
ひと日のわざは足るものを
「暗」よ「眠」よたづね來て
休みを賜へ人の子に。
嗚呼罪あるも罪なきも
喜ぶものも泣くものも
現《うつゝ》の夢を逃れ來て
「暗」のころもを纏へかし
「眠」の露に浸れかし。
星宵の空に聲もなく
よさしは今と佇ずめる
「暗」と「眠」の影ふたつ
あまねき惠み人の世に
たるゝいましのなつかしや。
廣瀬川
都の塵を逃れ來て
今わが歸る故郷の
夕凉しき廣瀬川
野薔薇の薫り消え失せて
昨日の春は跡も無き
岸に無言の身はひとり。
時をも忘れ身も忘れ
心も空に佇ずめば
風は凉しく影冴えて
雲間を洩るゝ夏の月
一輪霞む朧夜の
花の夢いまいづこぞや。
憂《うき》よ思よ一春の
過ぎて跡なき夢のごと
にがき涙もおもほへば
今に無量の味はあり
浮世を捨てゝおくつきの
暗にとこしへ眠らんと
願ひしそれも幸なりき。
流はゆるし水清し
樂《がく》の、光の、波のまに
すゞしく澄める夜半の月、
あゝ自然の心こゝろにて
胸に思のなかりせば
樂しかるべき人の世を。
籠鳥の感
嗚呼青春の夢高く
理想のあとにあこがれて
若き血汐の躍るとき
人も自在の翼あり。
自在の翼また伸びず
現《うつゝ》の籠に囚はれて
餌に鳴音を搾るとき
狂ふ※[#「口+斗」、23−上−13]を誰れか聞く。
狂ふ※[#「口+斗」、23−上−14]もしづまりつ
籠を天地と眺めては
御空のをちも忘られむ
理想の夢もさめ果てむ。
こゝに囚はれこゝにやむ
あだし命の一時や
うたてうたかたうつゝ世を
我嘆かんや笑はんや。
馬前の夢
[#ここから横組み]
[#ここから5字下げ]
〔“Etre d' un sie`cle entier la d' pense'e et la vie,〕
〔E'mousser le poignard, de`courager l' envie,〕
〔E'branler, raffermer l' univers incertain,〕
Aux sinistres clartes de la foudre qui gronde,
Vingt fois contre les dieux jouer le sort du monde,
Quel reve !!! et ce fut ton destin !”
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]Lamartine : Nouvelles Meditations.
[#ここで横組み終わり]
おほ空涵すわだの原
波間の星は影消えて
天地をこむる暗の色
暗を掠めて夜あらしは
時こそくれと狂ふなる
魔神の※[#「口+斗」、23−下−14]ものすごや。
やがて降りくる雨の音
雨に答ふる波の音
銀山碎け飛び散りて
暗にもしるき汐烟り
白衣の幽鬼群がりて
よみに迷ふに似たるかな。
風雨《ふうう》いよ/\荒れ行きて
四大のあらび渾沌の
世の有樣もまのあたり、
夜の惱みをいやまして
雷車亂るゝ雲のへに
魔炎の光りたれか射る。
嗚呼すさまじの雨の夜
あらしも波も聲あげて
歌ひ弔へはなれ島
至尊の冠《かむり》いたゞきし
かしらは今はうなだれて
かれはいまはの床にあり。
疵に惱みて砂原の
月に悲む荒獅子か
檣折れてわだつみに
沈み消行く大船か
紅蓮《ぐれん》の焔しづまりて
雪に掩はるゝ死火山か。
馴れ來し邦を、とも人を、
隔てゝ遠き離れじま
都の春の一夢を
磯のあらしにさまさせて
氣は世を葢ほふますらをは
いまはの床に眠るかな。
名は一代の史をまとめ
身は全歐の權を統べ
嫉むを挫じき仇を撃ち
暗と光のおほ波を
世に注ぎしも二十年、
今はた狂ふ雨の夜
あらしに魂の迷はんと
思ひやかけし神ならで。
十萬の鐵馬アルベラ[#「アルベラ」に「(一)」の注記]の
あらしを蹴りて驅けし後
三千の精騎ルビコン[#「ルビコン」に「(二)」の注記]の
流亂して越えし後
彼に比べんものやたぞ
群山遠く下に見て
空に聳ゆるアルプスの
高きは君の名なる哉。
斷頭臺の血を灑ぐ
革命の波推しわけて
現はれいでしタイタンの
まばゆき光照らすとき
「民主自由」の聲いづこ
渦づく時世の高しほを
しばし隻手にとゞめけむ
猛きは君の威なるかな。
そら舞のぼる蛟龍の
黒雲集め雨を驅り
風に嘯き呼ぶがごと
山を震はせ海をほし
進める君が行先を
拒ぎとゞめしものやたぞ。
颶風の翼身に借りて
征塵高く蹴たつれば
脆く亂るゝマメリューク[#「マメリューク」に「(三)」の注記]
奔るを逐ふて呼ぶ聲に
四千餘年の幽魂は
覺めぬ巨塔の墓の下。
サン、ベルナア[#「ベルナア」に「(四)」の注記]の嶺高く
雪滿山を埋むれば
響きは凄しアバランチ
難きをしのぎ險を越え
見おろす大野草青く
馬は肥たりマレンゴウ[#「マレンゴウ」に「(五)」の注記]。
オーステリツ[#「オーステリツ」に「(六)」の注記]の朝風に
同盟軍の旗高し
至尊の指揮に奮立つ
二十餘萬の墺魯軍
君の鋒先向ふとき
散りぬ嵐に葉のごとく。
イェーナ、ワグラム[#「ワグラム」に「(七)」の注記]雲暗し
フリードランド[#「フリードランド」に「(八)」の注記]風あらし
いかづち落つる砲彈の
渦卷く烟かきわけて
君がかざせる鷲の旗
飛電のつるぎ閃めけば
列王つちに膝つきて
見よもろ/\の國たみは
震ひどよめり海のごと。
セインの流靜かなる
岸の柳の淺みどり
みどりの空に聳立つ
凱旋門は高くとも
君のみいづに比べんや
みかどの還御壽ぎて
歡呼の聲は雷のごと
パリ滿城の春の歌。
花ひと時の香ににほふ
脆きはいづれ世の定め
富もほまれもみいづゐも
とはの契りをいかにせむ。
「不能」のもじを笑ひしも
嗚呼君遂に神ならず。
玉樓の春短くて
魚龍淋しき秋の水
花はうらがれ香は消え
ほまれの星も落行けば
君蓋世の勇いづこ
焔は狂ふモスコウ府
吹雪は亂るボロヂノウ[#「ボロヂノウ」に「(九)」の注記]。
フランス國の金笏か
ロムバアデイの鐵冠か
全歐洲の大權か
榮華のはてと今ぞ見る
夕日の影はクレムリン[#「クレムリン」に「(十)」の注記]
なれが淋しき塔の上。
名殘りの光まばゆくも
雲をつんざき現はれし
ヲータアローの丘の上、
敗れも何か恨むべき
見ずやかなたの金獅像[#「金獅像」に「(十一)」の注記]
語るは敵《あだ》の勝ならで
君がいまはの勇みなり。
光りわたらぬ隈もなき
其常勝の劔《けん》折れて
獨り小じまの波枕
夜毎の夢もあかつきの
千鳥の聲にさめし時
君や悟れる「命なり」と。
「悟り」よいづれ「薄命」の
遂に受くべきあだし名か
月日は空にかゞやけど
塵の惱みをしづめ得じ
とはに光の消ゆるとも
盲目《めしひ》は見るを忘れんや。
夕幾度波の上
錦をひたし綾を布く
入日の影の消えし時
沖より寄する暮の色に
心の暗も打まぜて
君が無量の感いかに。
月日の流れ世のさだめ
返らぬ昔今更に
忍ぶ思の數/\は
たゞ大|潮《しほ》の湧くがごと
夜の黒幕の垂るゝごと
胸に逼ればくろがねの
猛き心も亂れずや。
惱む思を靜めむと
(謝せよ)歩みの音かろく
今こそ寄すれ死の影は
あはれいまはの床の上
まだしづまらぬ魂の
夢はいづこを驅くるらむ。
生れし里は波のいづこ
なれし都は雲の幾重
離れ小じまの雨の夜に
過ぎにし榮は火のごとく
いまはのあとは灰のごと
其喜も悲も
むくろと共に葬むりて
眠につけや夢もなく。
雨とあらしの樂のねに
こゝに有象《うしやう》の海恨み
惱める魂を導きて
かれに無象のかど開く、
苦む「影」に休みあれ
別るゝ魂に惠あれ
罪と惱みを葬りて
あゝ比なくかんばしき
ほまれは彼の墓にあれ。
[#ここから改行天付き、折り返して6字下げ]
(註)(一)アレキサンダー大王大に波斯軍を敗りし地
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