風に
蝴蝶の宿を音づれて
問はん「昨日の夢いかに」
春を誘ふて蜂蝶の
空のあなたに去るがごと
玉釵碎けて星落ちて
あはれ芳魂いまいづこ
殘るは枯れし花の枝
盡きぬは恨み春の雨。
盡きぬは恨み春の雨
ともしび暗きさよ中の
夢のたゝちをいかにせむ
ありし昨日の面影に
替はらぬ笑みも含ませて
名におふ花の一枝は
嗚呼その細き玉の手に。
海棠
盛りいみじき海棠に
灑ぐも重し春の雨
花の恨か喜か
問はんとすれど露もだし
聞かんとすれど花いはず。
夕しづかに風吹きて
名殘の露は拂はれぬ
風の情《なさけ》か嫉みにか
問はんとすれど露もだし
聞かんとすれど花いはず。
無題
光り玉しく露滿ちて
百合花《ゆり》も薔薇《さうび》も蘭《あらゝぎ》も
馨りあふるゝ園あらば
君が踏み行く路とせむ。
流るゝ花を誘ひては
海原遠く香をはこぶ
清き野中の川あらば
君がかゞみの水とせむ。
夕の空に現はれて
微笑《ゑ》める光に塵の世を
慰めてらす星あらば
君がかざしの珠とせむ。
清くたふとく汚なく
戀も涙も憐みも
みつるやさしの胸あらば
君が心の宿とせむ。
詩人
詩人よ君を譬ふれば
戀に醉ひぬるをとめごか
あらしのうちに樂《がく》を聞き
あら野のうちに花を見る。
詩人よ君を譬ふれば
世の罪しらぬをさなごか
口には神の聲ひゞき
目にはみそらの夢やどる。
詩人よ君を譬ふれば
八重の汐路の海原か
おもてにあるゝあらしあり
底にひそめるまたまあり。
詩人よ君を譬ふれば
雲に聳ゆる火の山か
星は額にかゞやきて
焔の波ぞ胸に湧く。
詩人よ君を譬ふれば
光すゞしき夕月か
身を天上にとめ置きて
影を下界の塵に寄す。
夕の思ひ
[#ここから横組み]
[#ここから4字下げ]
〔“Ou` va l'esprit dans l'homme ? Ou` va l'homme sur terre ?〕
〔 Seigneur ! Seigneur ! Ou` va la terre dans le ciel ?”〕
Hugo : Les Feuilles d'Automne.
“O life as futile, then, frail !
O for thy voice to soothe and bless !
What hope of answer, or redress ?
Behind the veil! behind the veil !”
―Tennyson : In Memoriam.
[#ここで字下げ終わり]
[#ここで横組み終わり]
(一)[#「(一)」は縦中横]
思入日を先きだてゝ
たそがれ近き大空に
うかびいざよふ雲のむれ
暮行くけふの名殘とて
見るめまばゆきあやいろを
染むるは何のわざならむ。
あるは幾重の空のよそ
あるは幾重の嶺のうへ
かろく流るゝくれなゐは
セラフ、ケラブの旗を見せ
ゆるく靉びくむらさきは
あまつをとめの裾や曳く。
夕/\の空の上
替るもゝちの面影を
替らぬ愛に眺むれば
たゞ聯想の端《はし》となる
雲よ自在のはねのして
いづくのはてに翔けり行く。
あゝ夕雲のかけりゆく
空のあなたぞなつかしき
心の渇きとゞむべき
そこに生命《いのち》の川あらむ
眞理のかどを開くべき
そこに秘密《ひみつ》の鍵あらむ。
嗚呼夕雲のはねのうへ
たれか「涙の谷」棄てゝ
荒鷲翔けり風迷ふ
空のあなたに飛行かむ
浮世の暗にしられざる
光はそこにてるべきに。
花より花にむれとびて
蜜を集むる蜂のごと
星より星に光をと
飛行く魂を眺めけむ
詩人[#「詩人」に「(一)」の注記]のくしきまぼろしを
たれかうつゝに返すらむ。
(二)[#「(二)」は縦中横]
消えしエデンの花園の
おもわは今も忘られず
ほす味にがきさかづきの
底なる澱《おり》に醉はんとて
塵の浮世に塵の身は
かくもいつまで殘るらむ。
涙の谷にさまよひて
ねぬ夜の夢に驚けば
こゝにバイロン血に泣きて
「死と疑の子」となのり
こゝにシルレル聲あげて
「理想は消ゆ」と※[#「口+斗」、13−下−5]ぶなり。
アボンの流[#「アボンの流」に「(二)」の注記]しづかにて
すゞしく月を宿せども
見えぬそこひに波むせび
グラスメヤア[#「グラスメヤア」に「(三)」の注記]の水面《みなも》にも
うつる此世の影見れば
たゞ海神《かいじん》の[#「海神《かいじん》の」に「(四)」の注記]なつかしや。
さればラインの岸遠く
思をこめ[#「思をこめ」に「(五)」の注記]て人は去り
ゼネワの夏の夕暮は
よその恨の歌[#「恨の歌」に「(六)」の注記]を添へ
深き嘆はネープルの
波も洗ひ[#「波も洗ひ」に「(七)」の注記]や得ざりけむ。
波に照れとて空の月
花に舞へとて春の蝶
「自然」のわざは妙《たへ》ながら
世に苦めと塵の身を
暗に迷へと玉の緒を
つくる心のしりがたや。
かゞやく星に空かざり
玉しく露に地を粧ふ
神にたづねむいかなれば
なまじの絆人の子の
心に智慧の願あり
胸に悟の望ある。
(三)[#「(三)」は縦中横]
荒れのみまさる人の世に
せめては匂ふ戀の花
脆きはたれの咎ならむ
星の眸《まなざし》月の眉
たゞ思出の種として
いづく消行くまぼろしぞ。
母の乳房にもたれつゝ
宿すもゆかし春の夢
見なば魔王もゑみぬべき
稚子の眠りもひとゝきや
やがて寄來ん世のあらし
つらきあらしのさますらむ。
つらきあらしを譬ふれば
陰府《よみ》なる門《かど》のきしりかも
脆き、弱きをにへとして
いけるをきほふ世々の聲
うちに恨の叫あり
うちに憂の涙あり。
民のもゝちの骨枯れて
ひとりのいさを成ると説く
それにもまして痛はしき
個人《ひと》の嘆と悲と
涙と血とに買はれたる
社會《このよ》の榮《はえ》はたがためぞ。
時劫の潮とこしへに
寄するあら波返る波
浮きて沈みて末つひは
たゞうたかたのよゝのあと
いづれの時かいつの世か
亂れ騷ぎのなかりけむ。
世界の富を集めたる
ローマの榮華夢と消え
こがね鏤ばめ玉しきし
ニネブ、バビロン野と荒れて
砂上につきしバベル塔
今はた何を殘すらむ。
嗚呼人榮え人沈み
國また起り國亡び
かくて※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りて極みなく
かくて流れてはてもなく
時よ浮世よいづくより
時よ浮世よいづちゆく。
(四)[#「(四)」は縦中横]
ひとり思にかきくれて
たゝずむ影もゐる雲も
消えてむなしき夕まぐれ
神の慈愛のまなじりか
みどり澄みゆく大空に
はやてりそむる星のかげ。
あゝなつかしの星の影
夢と過行く人の世に
猶「永劫」のあと見せて
あめとつちとの剖れけむ
むかしのまゝにとこしへに
わかき光に匂ふかな。
其永劫の面影を
仰げば我に涙あり
高くたふとく限りなき
靈のいぶきに扇がれて
空のあなたにかげとむる
「望」のあとに喘ぎつゝ。
天《てん》には光地には暗
あひにさまよふ我思ひ
浮世の憂を吹寄せて
あらし叫びぬ「惱よ」と
神の光榮《ほまれ》をほのみせて
星さゝやきぬ「望よ」と。
[#ここから改行天付き、折り返して6字下げ]
(註)(一)ダンテ「神曲」中「天國篇」を見よ。
(二)セークスピアの故郷の川。
(三)ヲルヅウヲルス住所の傍にありし湖。
(四)プロテアス及びトライトンを指す、有名なる“The World is too much with us”の歌を見よ。
(五)「チヤイルド・ハロード」第三篇第五十章及其續きを見よ。
(六)ラマルテーン此處にバイロンを見後日當時を追想して「人間」と題する沈痛悲壯の詩を詠ず。
(七)セレイの“Stanzas written in dejection, near Naples.”
――――――――――
[#ここで字下げ終わり]
岸邊の櫻
春靜かなる里川の
岸のへ匂ふ花櫻
水面の影にあこがれて
涙灑げる幾たびか。
おのが影とも花知らず
光のどけき朝日子に
姿凝らして水面を
あゝ幾度か眺めけむ。
影ものいはじ水去りて
いつしか老ゆる花の面
うつらふ色を眺めては
思やいかに夕まぐれ。
春も空しく暮去れば
梢離れてあゝ花よ
水面の影と逢ひながら
行くゑはいづこ末遠く。
花一枝
ラインの岸に花摘みて
別れし友に贈りけむ
詩人を學びわれもまた
君に一枝の夕ざくら。
あしたの柳露にさめ
ゆふべの櫻風に醉ふ
都の春の面影を
せめては忍べとばかりに。
通ふ鐵路も末遠く
都の春は里の冬
玉なす御手に觸れん前
萎み果てむかあゝ花よ。
萎み果てなむ一枝を
空しく棄てむ君ならじ
心の色に染めなして
寢覺の窓にゑましめよ。
――――――――
夏の面影
夢
韓紅の花ごろも
燃ゆる思とたきこめし
蘭麝の名殘匂はせて
野薔薇散り浮くいさゝ川
流の水は淺くとも
深し岸邊の岩がねに
結ぶをとめの夏の夢。
よその高峯の夕霞
何にまがへてたどりけん
羅綾のしとね引換へて
今は緑の苔むしろ
水とこしへに流去り
花いつしかと散りぬれば
夢か昨日の春の世も。
のぼる朝日に照りそひて
色なき露も色にほふ
眺めまばゆきあさぼらけ
若葉のみどり夏深き
梢はなるゝもゝ鳥は
我世たのしと鳴くものを
さめずやあはれをとめごよ。
鳴くや杜鵑《とけん》のひと聲に
五月雨いつかはれ行けば
ちぎれ/\の雲間より
やがてほのめく夏の月
銀輪露に洗はれて
我世すゞしとてるものを
さめずや哀れをとめごよ。
螢飛びかふ夕まぐれ
すゞ風そよぐ夜半の空
流れ流るゝ谷川の
水の響はたえねども
水の行くへは替れども
覺めずやあはれなが胸に
燃ゆる思の夏の夢。
夏夜
靜けき夏の夜半の空
遠き蛙の歌聽けば
無聲にまさるさびなれや
眠を誘ふ水の音
心しづかに流るれど
夕月山に落ち行けば
影を涵さんよしもなし。
星夜の空の薄光り
心を遠く誘ひつゝ
すゞしくそよぐ風のねは
神のかなづる玉琴に
觸れてやひゞく天の樂、
昨日の夢と悲みし
浮世の春は替はれども
見ずやとこよの春の花
散らでしぼまで大空の
星のあなたにほゝゑむを。
光
[#ここから横組み]
[#ここから5字下げ]
“Hail, holy Light, offspring of Heaven, First−born !
Or of the Eternal coeternal beam !”
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]―Milton.
[#ここで横組み終わり]
くしき天地《てんち》の靈となり
我世にありて道となり
心にありて智慧となり
迷を破り暗を逐ひ
望をおこし愛を布く
光仰ぐもたふとしや。
清くいみじく比なく
おほ空高く星に照り
下かんばしく花に笑み
虹のなゝ色ちごのため
西の夕榮老のため
染むる光のたふとしや。
高きは山か山よりも
清きは水か水よりも
露はうるはし露よりも
花はかぐはし花よりも
すぐれてくしき比なき
光仰ぐもたふとしや。
水の初めて湧くがごと
ちごの産聲擧ぐるごと
シオンの琴の震ふごと
天使の空を飛ぶがごと
とはに新たにまことなる
光仰ぐもたふとしや。
アルハ、オメガを身に兼ねて
今あり後あり昔あり
妙華花咲く池の岸
シナイ雲湧く峯の上
彌陀もエホバもとこしへの
光のうちにほゝゑみぬ。
獨り我世に許されし
光のあとを眺むるも
夜は千萬の星の色
あけぼの白く雲われて
明星のまみ閉づるとき
照るもまばゆし旭日影。
緑りしづけき峰の上
いみじくゑめるさま見れば
「神のうひご[#「うひご」に「(一)」の注記]」ぞ忍ばるゝ
「魔界の旅[#「旅」に「(二)」の注記]」の終るとき
ふたりの道にあらはれて
照らすは清き朝の波。
暮は遠やま西の山
「浮世もやすめ」夕光り
くれなゐ染めて沈むなり
かくや命の消えんとき
かくやむくろを拔け出て
魂の他界に去らんとき。
夜《よる》の黒幕たれこめて
微かに星のきらめくを
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