タリヤのダヌンチオが、東亞飛行の壯擧決定と聞いた後、大正八年九月十八日、全體の構想が一夜に成り、尋で聯想の翼の擴がるまにまに補足して成つたもの、三十六章から成るが、各章皆獨立の一篇として讀んで差支ない。天馬ペガサスが天翔ける道を飛來する南歐の詩人を歡迎する其序詩は初め「中央公論」に載つた。之を誰かが當時イタリヤ滯在の下位春吉君に送つたと見えて、同君は詩人エンリコ君と共に之をイタリヤ語に譯してナポリの書店から發行した。ダヌンチオ詩宗が之を讀んで激賞したといふことを、下位君から當時伊國漫遊中の故二高校長武藤虎太郎君を通じて報道された。
「激賞」とは大割増だらうが、一寸嬉しくないことも無かつた。序詩の伊譯はさすが伊語の性質上原作以上である。
 前に戻るが「天地有情」出版の折は『坊つちやん』形氣で、序の中に『…詩は閑人の囈語に非ず…』とか、例言の中には『詩を遊戲と見なし、閑文字と見なすのは、古來の習慣であるが、此弊風が敗れぬ中は眞の詩は起らない、一般讀者の詩に對する根本觀念を刷新するのが、今日國詩發展の要素である』などゝ書き、附録に歐洲諸文豪の詩論或は詩人論を譯載した。カーライル、シエリイ、ジ
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