しくもある。此集は出版者及び著者たる私の豫想外に頗る讀詩界に歡迎された。彼此百版近くも刊行されたらしい。集中の『星落秋風五丈原』に關して一寸面白い話がある。此詩は明治三十一年十一月號の「帝國文學」に初めて載つたものだが、其直後に、上野の動物園で東印度生れの猩々が死んだ。前年着いて大評判になり、遂に天聽に達して宮城の中に召され、叡覽を忝うしたほどであつたが、風土に適せず寒氣に犯されて遂に斃れた。これに關して坪谷水哉君が「文藝倶樂部」(三十二年一月號)に『猩々の追善』と題して頗る面白い長文を書いた。其大意を述べると、動物園内で、一月二日第一月曜の休日(人間の縱覽を許さぬ日)に、猩々舊棲の鐵柵の前で、追善會を催うした云々、年番幹事の猪が喪主となり、親類總代の猿が弔文を讀み、つづいて鸚鵡は某氏の『星落秋風五丈原』の假聲をやつて、一篇の和讚を歌ふた……云々その和讚の題は『星落秋風動物園』である。左に原詩の第一節と和讚とを對照する。
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祁山悲秋の風更けて、
陣雲暗し五丈原、
零露の文は繁くして、
草枯れて馬は肥ゆれども、
蜀軍の旗光なく、
鼓角の
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