イン』を、サミユール・テイラ・コレリヂが英譯した事である。詩才はコレリヂが勝ると思はるゝが、彼が獨逸に一ヶ年ばかり滯在の時に試みた其譯は、詩才に任かせて隨分勝手に書き直した點がある。それを原作者が讀んで感服し、『成るほど! かうするが善い』とて、原作を書き換へたといふ事だ。詩壇上極めて稀有の美談珍談であらう。
 島崎藤村君が「若菜集」を春陽堂から出版したのは、明治三十年と覺ゆる、是が眞に新時代を劃する傑作であることは今更曰ふ迄も無い。先輩として敬意を捧げるに躊躇せぬ。私の第一詩集「天地有情」は之より二年おくれて三十二年の四月博文館から刊行された。この中には『星落秋風五丈原』『暮鐘』などが含まれてある。初め此刊行を申込んだが『そんなものは眞平だ』と斷はられて、大にしよげた時『可愛想に』と同情を寄せて同館の大橋乙羽を説服して澁々之を出版せしめたのは、博文館に當時深い關係のあつた故高山樗牛と故久保天隨(後に臺灣帝大の漢文學教授)の兩博士であつた。其時の原稿料は三十圓内外であつた。印税などは思ひもかけなかつたのである。之がフロツクコート一着の代價となつたなどは、今更思ふと可笑しくもあり馬鹿々々
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