や、女の姿が上って来る――
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他の僧徒らまた一顧するや怪しく叫び、期せずして相|捉《とら》う。たとえば恐怖の流れ狂僧の枯躯《こく》を繞《めぐ》り、歯がみして向うところを転ずるごとき、間。
妙念は立てるがままに息たえし死相のごとく、生色をひそめて凝立したりしが、ややありて引き抜かるるがごとく唐突に上手坂路の一角に走り、不安なる期待の間上りくる怪体を窺視《きし》せるや、たちまちにして疑惧を明らかにしたる表情にて。
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妙念 何だそこへかけてくるのは依志子じゃないか。どうしたのだ。
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依志子走り出づ。僧徒ら卑しき犬等のごとく視合《みあ》う。
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依志子 (歳三十に近く蒼白《そうはく》なる美貌《びぼう》。華《はな》やかならざれどもすずしきみどり[#「みどり」に傍点]色の、たとえば陰地に生《お》いたる草の葉のごとくなるに装いたり。妙念に縋《すが》り鐘楼に眼を定め息を切らしつつ)妙念様――鐘は、鐘はどのようでございます。(異変なきさまを見得てやや心落ちつきしがごとく、はじめて妙念の血の色に気づき驚き身を退りつつ)ああ、血が――
妙念 鐘は見る通りまじないほどのひびも入らぬ。(再び怪体なる驕慢《きょうまん》の微笑)その上にもう悪蛇は血の汁も出なくなって、皮ばかりにひしゃげた首をあすこの石の間に垂れているわ。
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依志子|愕然《がくぜん》たる表情。
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妙念 (妙念語り止《や》むことなく)久遠までかかっていた邪婬《じゃいん》の呪いが二十年しかたたぬ今夜、とうとい祈誓の法力で風に散らされて粉のように消え失《う》せてしまったのだ。悪蛇の奴、生白い男体に僧衣をまとって呪《のろ》いに来たのだが、お前の一念がこの鐘を鋳上げたばかりに、己の指の爪という爪にもありがたい仏身の力が充《み》ち満ちて、執念深い鱗の一とひらまで枯葉のように破り散らしてくれたのだ。
依志子 (傷《いた》ましげに妙念のものいえるをうちまもり、また不安なる態に周辺を顧みて)そんなことをおっしゃって、やっぱりそれが悪蛇ではございませぬ。あの銀のようにつめたい蛇身
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