わり]
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妙念 (下手あたかも月色の渦巻ける片隅に立ちたれば、彩《いろど》られたる血の色|鮮《あざや》かに、怪体なる微笑を浮めつつ狂喜の語調にて)たたきひしいでくれたぞ。悪蛇の奴、もうのたうつ[#「のたうつ」に傍点]ことも出来ないで、石の間に目も鼻もひしゃげた顔を垂れているわ。己の指が小蛇のよう跳りながら、生白い首にからんで喉骨《のどぼね》のくだけるほども喰い入ると、腸の底から湧《わ》き上るような声がして、もう、あのぬらめいた[#「ぬらめいた」に傍点]血の汁《しる》だ。鉛を溶かしたように熱いのが顔中に溢《あふ》れて、悪蛇のうめくようは――(息のつまる笑い)ちょうどそばに細長い石があったのをへらへら[#「へらへら」に傍点]した舌の中へ、喰いしばる歯をたたき破《わ》って押し込むとだんだん呻くのが、きえて行く煙のように断え断えになって来た。(再び笑い)とうとうたたきひしいでくれたのだ。石の上で。――骨のかけるのが貝殻《かいがら》のように飛び散るのは知れたが洞穴のようなくらやみ[#「くらやみ」に傍点]で、血味噌《ちみそ》の中を幾たびかきまわしても眼と舌との見わけはつかぬ。ただ己の眼がだんだんあつい血の蒸気《ゆげ》にかすんで来て、しまいには苔の上から落ちていた血の滴も聞えずに、じかに打ち合う石の音ばかりするようになったのだから、もうほんとに執念深いたましい[#「たましい」に傍点]まで、どのような風が吹こうとも生き返っては来ないのだ、みんなも安心するがいい。二十年の間この山を取り巻いていた呪いの霧が、蛇の鱗のように剥《は》がれ落ちて、おおどかな梵音のひびく限りは、谷底に寝ほうけた蝦蟇《ひきがえる》まで、薄やにの目蓋《まぶた》をあけながら仏願に喰い入って来ようわ。久遠というえらそうな呪いも、二十年しかたたぬ今夜、ありがたい法力で己の爪が掻《か》きほどいてしまったのだ。(和《なご》やかなる微笑)みんなもよろこばないか。悪蛇の奴、もう血の汁も出なくなって皮ばかりにひしゃげた首を石の間に垂れているわ。(この時にわかに僧徒らの姿がいかなるかに気づけるもののごとく、容想たちまちにして忿恚《ふんい》を現わし、声調また激しく変ず)お前たちは何だ、なぜそんな風をして物を言わずに立っているのだ。己が悪霊をたたきひしいだ話をしているのに、なぜそんな、墓石か
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