ともつと遠い処へまで行つてしまつてゐる。文芸家協会は依然として存在するのであるが、文芸の代が変つてしまつた。代が変ると家主の性質なども一変するものである。メンデルの法則などといふが、遺伝といふものは肉体の上にだけ現はれるものであらう。文芸や家賃の取立てなどといふものは精神上の仕事である。
家主といへば親みたいもので、と講釈師や落語家は喋り出す。彼等の時勢遅れがこのやうなところにも暴露されてゐる、といつてしまへばそれまでのことだが、古風な家主さんといふのも、稀にはゐないことではない。私の友人で新国劇の文芸部にゐるのが、この借家難の折柄に一軒恰好なのを見つけ出した。芝居へ勤めてゐるなぞは勤め人の部類に入ることではないのに、これは奇蹟みたいな話である。次第を聞くと、新国劇だといつたらすぐ、それはお堅いところでと、うなづいてくれて、沢田正二郎といふ人は立派な方でしたといつたのださうである。沢田正二郎が死んで今年は十年になる。それなのにこの沢田の人格に信頼して即座に貸してくれたなどとはまことに美談ではないか。で聊か恐縮しながら、保証人はといふと、新国劇が保シヨウしてゐればそれでもう充分ですとの
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