た。はい、七十五円といふことにしてはあるのですが。
ニュース映画で私は、ミュンヘン協定調印の場といふのを観たことがある。どのやうな凄惨な劇映画もかつてあれほどの感動を私に与へたことはない。談判が成立してお互ひが握手した筈の場面でありながら、それは拳闘場のやうな空気であつた。なにやら不穏な不安な暗澹たるものがその広間中一杯に漲つて写つてゐた。どのやうな名優もかつてあれほどの真剣な表情で現はれて来たことはない。ヒットラーは豹のやうに眼を光らせて歩いてゐ、ムッソリーニは闘牛のやうに張り切つて一隅に突つ立つてゐ、そしてチェンバーレンは馬のやうにやゝ暗いところでその背を跼めてゐた。フランスの宰相などは叱られた事務員のやうにどこかへ姿を隠してしまつてゐた感じでもあつた。勿論私がこの映画を観たのはあの家主さんと会談した時よりもずつと後年のことである。だか私はそれを観ながら、しみじみと思ひ出してゐたのであつた。同じ会談でありながら、どうしてかうも夜と昼、もう一ついはして貰へれば天国と地獄、なのであらうか。思ふに多分あのミュンヘンでは、長者的語法などといふものが用ゐられなかつたのであらう。長者的語法は
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