の俤をつたへるとかつたへぬとかいふが、脚がかりなどといふものはどの作品も大概が千篇一律のものである。だから脚色映画のどれもが千篇一律の体を見せたとしてもそれは映画の責任ではない。だが私がいま話し出すことだけは到底常凡の脚がかりではない筈だ。平凡な三面記事の間に交つて、時折信じられないニュースが現はれるやうに、そしてそれがニュースといふべきものだが、とにかく、ざつとのあらましを伝へただけで諸君は早くも仰天するに違ひなからうと思ふ。
門があつた。私は中へ入つた。庭があつた。私はその庭を眺めた。一目で私は気に入つてしまつた。なぜならそれは他人に見せるために作られたのではなく、その家の主人が楽しむためだけに作られたものであることが判つたからだ。この流儀の造園術といふものは今日ひどく廃れてしまつてゐる。どこへ行つても庭は装飾の中に粉れこんでしまつてゐる。結城織といふやうな反物でさへが今日では見てくれのために着られて来てゐるやうに、茶室といふものさへ風雅のためよりも交際のために用ゐられてゐる。岡倉天心は『茶の本』を書いたが、いまの世の人々にとつては、それを読むことが良識を語り合ふための便宜である
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