てくれた。人間が人間を信ずるのは、いつの場合でもかくのごとく鷹揚でありたいものである。
さて、こゝで私は頌徳の意をもつてこの大古風鷹揚の家主さんについて一寸語りたく思ふ。語りたく思ふのは一寸であるが、しかしこれは一つの長い物語でもある。いや単なる物語ではない。それは、優しい人情といふものがいかに他人を溺歿させ、細やかな心遺ひといふものがいかに他人の処世を謬らせ、鷹揚の徳といふものも遂に店賃を滞らせることに役立つのみで却つて損となり、つまりはすなはち古風は結局が古風であつて今様当世のものではあり得ないといふ教訓を含むところの道話ですらあるのである。
事実が語る。事実は何よりも雄弁なものだ。だから私は立派な道話であり見事な小説でさへあるといつたところで、何もこれを道話的にもしくは小説的に話す必要はあるまい。偉大なる傑作といふものは、その簡単な梗概だけでさへも充分に人を感動せしめるものだ。いや何も傑作とは限らない。その辺の大衆小説などは却つてその梗概だけの方が面白かつたりするものだ。だから競つて映画会社が原作料を払つて脚色する。脚色とは、脚がかりだけを拾つて、それを色づけることだ。原作
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