月九日です。妻の父は、私の三人の子供を、彼自身のうちへ、つれていきました。妻はこれから私を、馬の上にかゝへのせ、手綱をひいて、医師のところへはこばうとしてゐます。私は地びたに横はつて、これをかく。さやうなら、さやうなら、牧師どのよ。」と、大部分は、ふるへた字で、かすれ/″\にかきつゞけてあります。
六
牧師にとつてはこの手紙が事実上、とう/\彼の最後のわかれの言葉になりました。つぎに牧師がメソポタミヤから受取つたのは、或英人の病院の医者がよこしたもので、はッと思つたとほり、つまり、ウ※[#小書き片仮名ヲ、397−上−10]ルターの死去のしらせでした。
「二週間前に、丁度一人のアラビア人の婦人が、その夫だといふ英人の一患者を、当病院につれて来ました。病人は、はげしい赤痢にかゝつたあとで、極度に衰弱してゐました。どうしてか、最近左腕を切断された彼は、なほ、からだ中、いたるところに火傷をしてゐました。
アラビア婦人は、片ことの英語で、この夫が、一年ばかりの間、メソポタミヤに出征中の英国軍のために働いてゐたと語り、なほ、貴牧師からおくられた一通の書簡を見せました。しかし彼女は
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