牧師どのよ。私は、最早いよ/\よわりつくしてしまひました。しかし、みじんも、怖れや不安はありません。すべての人は、死そのものに直面するとだれでも、このやうな平穏を見出すのだらうと信じます。トルコ兵の塹壕《ざんがう》内を聾の唖となつてさまよつてゐた間も、ドイツの士官となつて火薬庫の戸外に立つたときも、私は今と同じく平静でした。しづかに死に対面するといふことは、すべての人に共通の心状とおもはれます。たゞ、だれも、その間際が来るまでは、それを実証し得ないまでのことです。
 たゞ一つ、私の妻と小さな三人の子どもとが、私と一しよに移り行くことが出来たなら、私はどんなに、より幸福でせう。しかしそれが叶はないことを私は少しも恨みとはしません。私は、今、たえだえの息の下にこの手紙をかくのです。昨夜はかきながら昏倒しました。おそらく私のこの最後の間際に、あなたとかうしてお話をすることは、実に無上の愉快です。おゝ、わが故国をして、神のみめぐみによつて、永遠にすべての海上を支配せしめよ。私はこれ等の手紙が安全にあなたのお手に入る方策をとります。植物の標本ならば、するどく検査もしないでせう。
 あけて今日は八
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