民は、これでつくすべき仕事をしとげました。しかし、そのために、彼は疲労の極、再び、もとの重病人にかへりました。彼は今はたゞ一念、彼の間もなく迎へらるべき世界をのみ考へつゝ横はつてゐます。牧師どのよ、かうしてゐる彼の、その単一なる感情こそ、たとへ方なく、おごそかな貴いものです。
彼は、生前、いろ/\の誤解をもうけました。神さまも、かつては彼のためには怖れでした。しかし彼は、今は、何等の、ためらひもなく神のみもとに歩み上らうとしてゐます。おゝ、この栄光よ。彼は最早、神のめぐみの永久なることを信じてうたがはないのです。」
第二の手紙は、これで終つてゐます。ホームス牧師は、息をもつかずに、第三の手紙に移りました。それは、一九一七年八月八日といふ日附になつてゐます。
たび/\言つたとほり、これまでウ※[#小書き片仮名ヲ、396−上−15]ルターは、すべて自分といふものを秘めかくし、このはじめからのすべてを、彼自身にそつくりそのまゝの、或遊牧民上りのアラビア人の乞食の行動として、報告してゐるのでした。ところが今度の三ばん目のこの手紙では、急に当面の人物が「私」になつてゐるから争へません。
「
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