くゞつて総司令部へ行きつきました。」
手紙はこれでぷつりと終つてゐます。ホームスさんは、このしまひのところへ来て、はッと目をかがやかしました。こゝまでよむと、そのウ※[#小書き片仮名ヲ、388−下−14]ルターそつくりの乞食といふのは無論ウ※[#小書き片仮名ヲ、388−下−15]ルター自身のことで、彼は今、さういふ乞食に仮装して祖国の軍隊のために、軍事探偵をつとめてゐるのだといふことが焼きつくやうに胸を打つたからです。
ホームスさんはよろこび勇んで、ウ※[#小書き片仮名ヲ、388−下−18]ルターの両親をさがしに出かけました。しかし二人とも、もう死んでしまつてをりませんでした。ウ※[#小書き片仮名ヲ、388−下−20]ルターは、一人子でした。その上、ほかにだれ一人、身うちのものもゐないことが分りました。
ホームスさんは仕方なく、ウ※[#小書き片仮名ヲ、389−上−2]ルターの宿所らしい、メソポタミヤの、変な宛所へ向つて、手紙を出し、彼の愛国家としての働きをほめ、なほこの上の奮闘努力をたのむといふ意味をかいて、はげましました。すると中三月おいてウ※[#小書き片仮名ヲ、389−上−5]ルターから第二の通信が来ました。その全文はかうです。
「トルコ兵は、例の乞食がイギリス軍の前線をくゞつたことを勘づいて、ひどくあやしみ出しました。彼等は乞食が本当につんぼであるかを試すためにその耳のそばで、つゞけさまに銃弾を発射しました。乞食はその銃声も聞えないやうに、ぼんやりと立つてゐました。しかし彼等はなほ不安がつて、彼を野砲の砲身のそばに立たせ、二十発もの実弾を打ちました。そのために彼の鼓膜はやぶれ、耳と鼻から、だら/\と血が流れ出ました。それでも彼は石のやうに、ぎくともしずに直立してゐました。
これで、つんぼであることだけはトルコ兵にも分りましたが、でも口は聞けるかも分らないと、なほ疑つて、赤熱《しやくねつ》した鉄棒でもつて、彼の肉をこすりました。それから両手の指の生爪をすつかりはぎとりました。彼はそのたびに、ポロ/\と頬へ涙をおとしましたが、しかし、あッといふ叫びも立て得ませんでした。
トルコ兵はこの罪もない片輪ものに、そんな暴虐をしたことを悔い、神の罰をさけるために、これまでよりもなほ一倍、彼をあはれみ可愛がりました。彼は血のかたまりの腐りついた指をぶら下げて、相かはらずトルコ兵の陣営の中を、さまよひ歩きました。
そのうちに彼は再びイギリスの軍司令部へぶらりと出て来ました。そのときには彼の左手は、指先の傷口から毒がはいつて、手くびの上まで腐りおちてゐました。イギリスの軍医は仕方なく、その左の片腕を切り落しました。
すると、ふしぎにも、それ以来、乞食は急に口がきけるやうになりました。彼は司令官に向つてトルコ軍の作戦計画を話しました。軍の配置やすべての砲台の位置をもくはしく、はつきりと述べました。
彼にも、この報告がイギリス軍にとつて、どんなに貴重なものであるかゞ、分つてゐました。このためにイギリス兵のいかに多くが、むだな死から救はれるか分りません。しかし、反対に彼の命は最早だん/\に亡びかけてゐます。彼は、いたるところで止むなく腐り水を飲んだのがたゝつて、腕の切断にひきつゞき、はげしい赤痢にかゝつてゐます。
軍医たちは一生けんめいに彼の治療と看護とにつとめてゐました。しかし彼はアゼン市の近くにある小さな村の名前を告げ、そこへかへれば、きつと病気もなほる、そこには彼の妻と、三人の、かはいゝ子供たちがまつてゐるのだと語りました。
彼の妻は白人ではありません。もし彼がその妻をイギリスへつれかへつたら、人々は、彼女に向つて嘲笑の鼻をそらすでせう。しかし彼女は百合の花のごとく純潔です。その心根は黄金のごとくに光つてゐます。読むこともかくことも出来ない無教育な女ですが、それでも彼女は、彼の三人の子供、女の子二人に小さな男の子と、その三人の子供とともに、彼に取つては、すべてのものです。彼はその妻と子供たちとに会ひたくて、一ときも、じつとしてゐることが出来なくなりました。彼は最早彼のつくすべき任務をはたしたのです。ですから彼は、思ひ切つて、或夜、メソポタミヤのそのイギリスの軍営をぬけ出しました。今彼は半分以上死骸ともいふべき、よろ/\のからだを、虫がはふごとくに彼の妻子のもとにはこんでゐます。おゝ、神の恵みのありがたさよ。彼の妻子は間もなく彼を迎へよろこぶでせう。これこそ、彼等の熱愛なこの迎へこそ、彼のためにすべてを償ふに十分です。牧師殿。あなたの御幸福をお祈りします。さやうなら。」
三
ホームス牧師は、又或日、植物見本として、ごは/\の草つ葉や、干からびた木の葉を一とくるめに巻きこんだ小包を受けとりました。トルコ領メソ
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