りわけ、よそのうちの、屋根うらの窓を見ると、どんなにがまんをしようたつて、がまんが出来ず、つひ雨樋なぞにつかまつて、かけ上つて、一ばんたかい部屋へはいりこむのだといふのです。
「まつたく屋根うらの部屋の窓を見ると、たまらないんです。外をあるいてゐて、ふと目を上げると、屋根裏の高窓があいてゐます。どこの家でも、気をゆるめて、一ばん上の窓は、きまつて、開けッぱなしにしてゐます。私は、人の家に、屋根うらの部屋がついてゐるかぎりは、いつまでたつても、この物ずきはやめられません。下手につかまつては牢へぶちこまれますが、しかし今まで、一度だつて物一つ盗んだことはありません。たゞ、高い部屋へはいりこんで見たくてはいるのです。どうか、今度は罰として、帆前船へでも乗り組ませてはいたゞけないでせうか。帆前船ならたかい帆綱がありますから自由にかけ上れます。でなくばいつそ、ベドゥインの村へでも追ひやつて下さいますと、警察のお手数もなくなるわけですが。」
 まじめくさつて、かういふのですから、かゝり官もあきれました。ベドゥインと言ふのは、アラビヤやシリア地方にある、アラビア人の遊牧民で、さういふ土人は、羊を飼つて、草地のあるところを移りあるいてくらしてゐるのですから、村と言つても、たゞ、見すぼらしいテント見たいなものゝほかには家らしい家もありません。従つてたかい屋根うらの部屋なぞへはいりたくもはいれないですむといふ意味です。
 かゝり官は、べつにわるい意志もない、この男を、この上又牢屋へ入れるのもかはいさうだといふのでさつき言つたホームス牧師の手にわたし、適当に、身のふり方をつけてやつてくれと命じました。
 ホームスさんは、ウ※[#小書き片仮名ヲ、387−下−1]ルターのお父さんをよんで相談しました。お父さんは、もう、こんなあきれた奴を引きとるのもこり/\です、どうにでもお取りはからひ下さるやうにと、泣いてたのみました。
 そこでホームスさんは、いろ/\に考へたあげくウ※[#小書き片仮名ヲ、387−下−5]ルターを、インドのコロンボーへ向けて出帆する、或船へ世話をして、船員として乗りこませました。
 その後一年たちましたが、ウ※[#小書き片仮名ヲ、387−下−8]ルターからは家へもホームスさんへも一片のたよりもよこしません。ホームスさんはとき/″\思ひ出しては、心配し怪しんでゐました。するとそれから又一年目にウ※[#小書き片仮名ヲ、387−下−11]ルターの船の船長からウ※[#小書き片仮名ヲ、387−下−11]ルターは逃亡して、行くへ不明だといふ知らせが来ました。あゝ、あのならずもの[#「ならずもの」に傍点]も、やつぱり救へなかつたかと言つて、ホームスさんはたんそく[#「たんそく」に傍点]しました。


    二

 それから六年たつと例の世界大戦争がはじまりました。その二年目の冬に、或日ホームスさんのところへ、アラビアのトルコ領のメソポタミヤから来た一通の手紙がとゞきました。あけて見ると、古ぼけた紙をちぎつた二十五枚の紙片へ鉛筆でかきつけたもので、思ひがけないウ※[#小書き片仮名ヲ、388−上−2]ルターからの音信でした。
「敬愛する牧師殿よ、こゝに、顔形から立居そぶりまで、まるで双子と言つてもいゝくらゐ、私とそつくりそのまゝの、あはれな一人の遊牧民上りの、つんぼの唖の乞食がゐます。」といふかき出しです。
「年も私と同年です。開戦当時から、何のあてもなく回々《ふいふい》教徒の村々をさまよひ歩き、トルコ軍の陣営にも出入りしてゐました。
 トルコ兵は、その乞食が、のこ/\出て来ては、大きな大砲や、迷路のやうに、くねりつゞいた塹壕《ざんがう》や、いろ/\の破壊用の機械なぞを、子供のやうにびつくりして見てゐたりするのを面白がり、且つ半は彼の片輪をあはれがつて、いつも食べものをもくれてゐました。耳も聞えず口もきけない乞食ですから彼等は安神して、軍事計画の相談をしたときの配備の下がきを、その目の前へ投げすてたりして平気です。トルコ軍の上官たちは、その上に立つてゐるドイツの将校の命令書なぞを、その乞食が坐つてゐるそばで読み上げて会議をしたりします。
 回々教の信仰にあつい彼等トルコ兵は、神さまにも見すてられた如き、あはれなこの片輪ものをいじめれば、じぶんたちも同じく神の罰をうけなければならないと考へてゞもゐるやうに、だれ一人彼に乱暴を加へるものもありません。かうして彼は残飯なぞをもらつて食べ/\しながら、トルコ兵の陣営の間をぶらつきくらしてゐました。
 彼は、ときには敵方のイギリス軍の前線へもぶら/\やつて来ることがありました。しかし、食べものをもらつては、かつゑた犬のやうにがつ/\食べるきりで、口は一と言も聞きません。そのうちに、或とき、彼はイギリス軍の前線を
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