殻を玄関へうつしだすと、おやたくさんにまあと言って嬉しそうにするであろう。自分はそれをもうあったことのように考え浮べながら、袂を抱えて小早に帰る。豆腐屋の前まで来ると、お仙が門口でカンテラへ油をさしていた。
丘を上る途中で、今朝買わせたばかりの下駄だのに、ぷすり前鼻緒が切れる。元が安物で脆弱《ひよわ》いからであろうけれど、初やなぞに言わせると、何か厭なことがある前徴である。しかたがないから、片足袋ぬいで、半分|跣足《はだし》になる。
家へ帰ると、戸口から藤さんを呼びかけて、しばらく玄関にうろついていたが、何の返事もない。もう一度高く呼んで、今度は小母さんと言ってみたがやっぱり返事がない。家じゅうがしんとしていて、自分の声のはいって行く跡が見えるようである。勝手へ廻って初やを呼んでも初やもいない。変だと思いながら、あり合せの下駄を提《さ》げて井戸端へ出て、足を洗おうとしていると、誰かしら障子の内でしくしくと啜《すす》り泣きをしている。障子を開けてみると章坊である。足を投げ出してしょんぼりしている。
「どうしたんだ」と問えど、返事もしないでただ涙を払う。
「お母さんはいないの?」と言え
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