ば顔を横に振る。
「いるの?」と言えどやっぱり横に振る。
「どうしたんだ。姉さんはどこへ行ったんだい?」と聞くと、章坊は涙の目を見張って、
「姉さんはもう帰っちゃったんだもの」と泣きだすのである。
「おや、いつ?」
「よその伯父さんが連れに来たんだ」
「どんな伯父さんが」
「よその伯父さんだよ」と涙を啜る。
自分は深い谷底へ一人取残されたような心持がする。藤さんはにわかに荷物を纒《まと》めて帰って行ったというのである。その伯父さんというのはだいぶ年の入《い》った、鼻の先に痘痕《あばた》がちょぼちょぼある人だという。小母さんも初やもいっしょに隣村の埠頭場《はとば》までついて行ったのだそうである。夕方の船はこの村からは出ないのである。初やは大きな風呂敷包みを背負って行った。も少し先のことだという。その伯父さんは章坊が学校から帰ったらもう来ていたというのである。自分は藤さんの身辺の事情が、いろいろに廻り灯籠《どうろう》の影のように想像の中を廻る。今埠頭場まで駈けつけたら、船はまだ出ないうちかもしれない。隣村の真ん中までは二十町ぐらいはあろうけれど、どこかの百姓馬を飛ばせば訳はない。何だか会
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