「私の兄の兄宇迦斯《えうかし》は、あなたさまを攻《せ》め亡《ほろ》ぼそうとたくらみまして、兵を集めにかかりましたが、思うように集まらないものですから、とうとう御殿の中につり天じょうをこしらえて待ち受けております。それで急いでおしらせ申しにあがりました」と申しました。そこで道臣命《みちおみのみこと》と大久米命《おおくめのみこと》の二人の大将が、兄宇迦斯《えうかし》を呼《よ》びよせて、
「こりゃ兄宇迦斯《えうかし》、おのれの作った御殿にはおのれがまずはいって、こちらの命《みこと》をおもてなしする、そのもてなしのしかたを見せろ」とどなりつけながら、太刀《たち》のえをつかみ、矢をつがえて、無理やりにその御殿の中へ追いこみました。兄宇迦斯《えうかし》は追いまくられて逃げこむはずみに、自分のしかけたつり天じょうがどしんと落ちて、たちまち押《お》し殺されてしまいました。
二人の大将は、その死がいを引き出して、ずたずたに切り刻《きざ》んで投げ捨《す》てました。
命は弟宇迦斯《おとうかし》が献上《けんじょう》したごちそうを、けらい一同におくだしになって、お祝いの大|宴会《えんかい》をお開きになりました。命はそのとき、
「宇陀《うだ》の城《しろ》にしぎなわをかけて待っていたら、しぎはかからないで大くじらがかかり、わなはめちゃめちゃにこわれた。ははは、おかしや」という意味を、歌にお歌いになって、兄宇迦斯《えうかし》のはかりごとの破れたことを、喜びお笑《わら》いになりました。
それからまたその宇陀《うだ》をおたちになって、忍坂《おさか》というところにお着きになりますと、そこには八十建《やそたける》といって、穴《あな》の中に住んでいる、しっぽのはえた、おおぜいの荒《あら》くれた悪者どもが、命《みこと》の軍勢を討《う》ち破ろうとして、大きな岩屋の中に待ち受けておりました。
命はごちそうをして、その悪者たちをお呼びになりました。そして前もって、相手の一人に一人ずつ、お給仕につくものをきめておき、その一人一人に太刀《たち》を隠《かく》しもたせて、合い図の歌を聞いたら一度に切ってかかれと言い含《ふく》めておおきになりました。
みんなは、命が、
「さあ、今だ、うて」とお歌いになると、たちまち一度に太刀を抜《ぬ》き放って、建《たける》どもをひとり残さず切り殺してしまいました。
しかし命は、それらの賊たちよりも、もっともっとにくいのはおあにいさまの命《みこと》のお命を奪《うば》った、あの鳥見《とみ》の長髄彦《ながすねひこ》でした。命はかれらに対しては、ちょうどしょうがを食べたあと、口がひりひりするように、いつまでも恨《うら》みをお忘《わす》れになることができませんでした。命は、畑のにらを、根も芽《め》もいっしょに引き抜くように、かれらを根こそぎに討ち亡ぼしてしまいたい、海の中の大きな石に、きしゃごがまっくろに取りついているように、かれらをひしひしと取りまいて、一人残さず討ち取らなければおかないという意味を、勇ましい歌にしてお歌いになりました。そして、とうとうかれらを攻め亡ぼしておしまいになりました。
そのとき、長髄彦《ながすねひこ》の方に、やはり大空の神のお血すじの、邇芸速日命《にぎはやひのみこと》という神がいました。
その神が命《みこと》のほうへまいって、
「私は大空の神の御子がおいでになったと承りまして、ご奉公に出ましてございます」と申しあげました。そして大空の神の血筋《ちすじ》だという印《しるし》の宝物を、命に献上《けんじょう》しました。
命はそれから兄師木《えしき》、弟師木《おとしき》というきょうだいのものをご征伐になりました。その戦《いくさ》で、命の軍勢は伊那佐《いなさ》という山の林の中に盾《たて》を並《なら》べて戦っているうちに、中途でひょうろうがなくなって、少し弱りかけて来ました。命はそのとき、
「おお、私《わし》も飢《う》え疲《つか》れた。このあたりのうを使う者たちよ。早くたべ物を持って助けに来い」という意味のお歌をお歌いになりました。
命《みこと》はなおひきつづいて、そのほかさまざまの荒《あら》びる神どもをなつけて従わせ、刃《は》向かうものをどんどん攻《せ》め亡《ほろ》ぼして、とうとう天下をお平らげになりました。それでいよいよ大和《やまと》の橿原宮《かしはらのみや》で、われわれの一番最初の天皇のお位におつきになりました。神武天皇《じんむてんのう》とはすなわち、この貴《とうと》い伊波礼毘古命《いわれひこのみこと》のことを申しあげるのです。
三
天皇は、はじめ日向《ひゅうが》においでになりますときに、阿比良媛《あひらひめ》という方をお妃《きさき》に召《め》して、多芸志耳命《たぎしみみのみこと》と、もう一方《ひとかた》男のお子をおもうけになっていましたが、お位におつきになってから、改めて、皇后としてお立てになる、美しい方をおもとめになりました。
すると大久米命《おおくめのみこと》が、
「それには、やはり、大空の神のお血をお分けになった、伊須気依媛《いすけよりひめ》と申す美しい方がおいでになります。これは三輪《みわ》の社《やしろ》の大物主神《おおものぬしのかみ》が、勢夜陀多良媛《せやだたらひめ》という女の方のおそばへ、朱塗《しゅぬ》りの矢に化けておいでになり、媛《ひめ》がその矢を持っておへやにおはいりになりますと、矢はたちまちもとのりっぱな男の神さまになって、媛のお婿《むこ》さまにおなりになりました。伊須気依媛《いすけよりひめ》はそのお二人の中にお生まれになったお媛さまでございます」と申しあげました。
そこで天皇は、大久米命をおつれになって、その伊須気依媛《いすけよりひめ》を見においでになりました。すると同じ大和《やまと》の、高佐士野《たかさじの》という野で、七人の若い女の人が野遊びをしているのにお出会いになりました。するとちょうど伊須気依媛《いすけよりひめ》がその七人の中にいらっしゃいました。
大久米命はそれを見つけて、天皇に、このなかのどの方をおもらいになりますかということを、歌に歌ってお聞き申しますと、天皇はいちばん前にいる方を伊須気依媛《いすけよりひめ》だとすぐにおさとりになりまして、
「あのいちばん前にいる人をもらおう」と、やはり歌でお答えになりました。大久米命は、その方のおそばへ行って、天皇のおおせをお伝えしようとしますと、媛は、大久米命が大きな目をぎろぎろさせながら来たので、変だとおぼしめして、
あめ、つつ、
ちどり、ましとと、
など裂《さ》ける利目《とめ》。
とお歌いになりました。それは、
「あめ[#「あめ」に傍点]という鳥、つつ[#「つつに傍点」]という鳥、ましとと[#「ましとと」に傍点]という鳥やちどりの目のように、どうしてあんな大きな、鋭い目を光らせているのであろう」という意味でした。
大久米命は、すぐに、
「それはあなたを見つけ出そうとして、さがしていた目でございます」と歌いました。
媛《ひめ》のおうちは、狹井川《さいがわ》という川のそばにありました。そこの川原《かわら》には、やまゆりがどっさり咲いていました。天皇は、媛のおうちへいらしって、ひと晩とまってお帰りになりました。媛はまもなく宮中におあがりになって、貴《とうと》い皇后におなりになりました。お二人の中には、日子八井命《ひこやいのみこと》、神八井耳命《かんやいみみのみこと》、神沼河耳命《かんぬかわみみのみこと》と申す三人の男のお子がお生まれになりました。
天皇は、後におん年百三十七でおかくれになりました。おなきがらは畝火山《うねびやま》にお葬《ほうむ》り申しあげました。
するとまもなく、さきに日向《ひゅうが》でお生まれになった多芸志耳命《たぎしみみのみこと》が、お腹《はら》ちがいの弟さまの日子八井命《ひこやいのみこと》たち三人をお殺し申して、自分ひとりがかってなことをしようとお企《くわだ》てになりました。
お母上の皇后はそのはかりごとをお見ぬきになって、
「畝火山《うねびやま》に昼はただの雲らしく、静かに雲がかかっているけれど、夕方になれば荒《あ》れが来て、ひどい風が吹き出すらしい。木の葉がそのさきぶれのように、ざわざわさわいでいる」という意味の歌をお歌いになり、多芸志耳命《たぎしみみのみこと》が、いまに、おまえたちを殺しにかかるぞということを、それとなくおさとしになりました。
三人のお子たちは、それを聞いてびっくりなさいまして、それでは、こっちから先に命《みこと》を殺してしまおうとご相談なさいました。
そのときいちばん下の神沼河耳命《かんぬかわみみのみこと》は、中のおあにいさまの神八井耳命《かんやいみみのみこと》に向かって、
「では、あなた、命《みこと》のところへ押《お》しいって、お殺しなさい」とおっしゃいました。
それで神八井耳命《かんやいみみのみこと》は刀《かたな》を持ってお出かけになりましたが、いざとなるとぶるぶるふるえ出して、どうしても手出しをなさることができませんでした。そこで弟さまの神沼河耳命《かんぬかわみみのみこと》がその刀をとってお進みになり、ひといきに命を殺しておしまいになりました。
神八井耳命《かんやいみみのみこと》はあとで弟さまに向かって、
「私はあのかたきを殺せなかったけれど、そなたはみごとに殺してしまった。だから、私は兄だけれど、人のかみに立つことはできない。どうぞそなたが天皇の位について天下を治めてくれ、私は神々をまつる役目をひき受けて、そなたに奉公をしよう」とおっしゃいました。それで、弟の命はお二人のおあにいさまをおいてお位におつきになり、大和《やまと》の葛城宮《かつらぎのみや》にお移りになって、天下をお治めになりました。すなわち第二代、綏靖天皇《すいぜいてんのう》さまでいらっしゃいます。
天皇はご短命で、おん年四十五でお隠《かく》れになりました。
[#改頁]
赤い盾《たて》、黒い盾《たて》
一
綏靖天皇《すいぜいてんのう》から御《おん》七代をへだてて、第十代目に崇神天皇《すじんてんのう》がお位におつきになりました。
天皇にはお子さまが十二人おありになりました。その中で皇女、豊※[#「金+且」、第3水準1-93-12]入媛《とよすきいりひめ》が、はじめて伊勢《いせ》の天照大神《あまてらすおおかみ》のお社《やしろ》に仕えて、そのお祭りをお司《つかさど》りになりました。また、皇子《おうじ》倭日子命《やまとひこのみこと》がおなくなりになったときに、人がきといって、お墓のまわりへ人を生きながら埋《う》めてお供《とも》をさせるならわしがはじまりました。
この天皇の御代《みよ》には、はやり病《やまい》がひどくはびこって、人民という人民はほとんど死に絶えそうになりました。
天皇は非常にお嘆《なげ》きになって、どうしたらよいか、神のお告げをいただこうとおぼしめして、御身《おんみ》を潔《きよ》めて、慎《つつし》んでお寝床《ねどこ》の上にすわっておいでになりました。そうするとその夜のお夢に、三輪《みわ》の社《やしろ》の大物主神《おおものぬしのかみ》が現われていらしって、
「こんどのやく病はこのわしがはやらせたのである。これをすっかり亡《ほろ》ぼしたいと思うならば、大多根子《おおたねこ》というものにわしの社《やしろ》を祀《まつ》らせよ」とお告げになりました。天皇はすぐに四方へはやうまのお使いをお出しになって、そういう名まえの人をおさがしになりますと、一人の使いが、河内《かわち》の美努村《みぬむら》というところでその人を見つけてつれてまいりました。
天皇はさっそくご前にお召《め》しになって、
「そちはだれの子か」とおたずねになりました。
すると大多根子《おおたねこ》は、
「私は大物主神《おおものぬしのかみ》のお血筋《ちすじ》をひいた、建甕槌命《たけみかづちのみこと》と申します者の子でございます」とお答えいたしました。
それというわけ
前へ
次へ
全25ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング