おりましたが、あんな、私の姿をご覧になりましたので、ほんとうにお恥ずかしくて、もうこれきりおうかがいもできません」こう言って、そのお子さまをあとにお残し申したまま、海の中の通り道をすっかりふさいでしまって、どんどん海の底へ帰っておしまいになりました。そしてそれなりとうとう一生、二度と出ていらっしゃいませんでした。
 お二人の中のお子さまは、うの羽根の屋根がふきおえないうちにお生まれになったので、それから取って、鵜茅草葺不合命《うがやふきあえずのみこと》とお呼《よ》びになりました。
 媛《ひめ》は海のお宮にいらしっても、このお子さまのことが心配でならないものですから、お妹さまの玉依媛《たまよりひめ》をこちらへよこして、その方の手で育てておもらいになりました。媛は夫の命が自分のひどい姿をおのぞきになったことは、いつまでたっても恨《うら》めしくてたまりませんでしたけれど、それでも命のことはやっぱり恋しくおしたわしくて、かたときもお忘《わす》れになることができませんでした。それで玉依媛にことづけて、

  赤玉は、
  緒《お》さえ光れど、
  白玉《しらたま》の、
  君が装《よそお》し、
  貴《とうと》くありけり。

という歌をお送りになりました。これは、
「赤い玉はたいへんにりっぱなもので、それをひもに通して飾《かざ》りにすると、そのひもまで光って見えるくらいですが、その赤玉にもまさった、白玉のようにうるわしいあなたの貴いお姿《すがた》を、私はしじゅうお慕《した》わしく思っております」という意味でした。
 命《みこと》はたいそうあわれにおぼしめして、私もおまえのことはけっして忘《わす》れはしないという意味の、お情けのこもったお歌をお返しになりました。
 命は高千穂《たかちほ》の宮というお宮に、とうとう五百八十のお年までお住まいになりました。
[#改頁]


 八咫烏《やたがらす》

       一

 鵜茅草葺不合命《うがやふきあえずのみこと》は、ご成人の後、玉依媛《たまよりひめ》を改めてお妃《きさき》にお立てになって、四人の男のお子をおもうけになりました。
 この四人のごきょうだいのうち、二番めの稲氷命《いなひのみこと》は、海をこえてはるばると、常世国《とこよのくに》という遠い国へお渡りになりました。ついで三番めの若御毛沼命《わかみけぬのみこと》も、お母上のお国の、海の国へ行っておしまいになり、いちばん末の弟さまの神倭伊波礼毘古命《かんやまといわれひこのみこと》が、高千穂《たかちほ》の宮にいらしって、天下をお治めになりました。しかし、日向《ひゅうが》はたいへんにへんぴで、政《まつりごと》をお聞きめすのにひどくご不便でしたので、命《みこと》はいちばん上のおあにいさまの五瀬命《いつせのみこと》とお二人でご相談のうえ、
「これは、もっと東の方へ移ったほうがよいであろう」とおっしゃって、軍勢を残らずめしつれて、まず筑前国《ちくぜんのくに》に向かっておたちになりました。その途中、豊前《ぶぜん》の宇佐《うさ》にお着きになりますと、その土地の宇佐都比古《うさつひこ》、宇佐都比売《うさつひめ》という二人の者が、御殿《ごてん》をつくってお迎え申し、てあつくおもてなしをしました。
 命はそこから筑前《ちくぜん》へおはいりになりました。そして岡田宮《おかだのみや》というお宮に一年の間ご滞在になった後、さらに安芸《あき》の国へおのぼりになって、多家理宮《たけりのみや》に七年間おとどまりになり、ついで備前《びぜん》へお進みになって、八年の間|高島宮《たかしまのみや》にお住まいになりました。そしてそこからお船をつらねて、波の上を東に向かっておのぼりになりました。
 そのうちに速吸門《はやすいのと》というところまでおいでになりますと、向こうから一人の者が、かめの背なかに乗って、魚《さかな》をつりながら出て来まして、命《みこと》のお船を見るなり、両手をあげてしきりに手招《てまね》きをいたしました。命はその者を呼《よ》びよせて、
「おまえは何者か」とお聞きになりますと、
「私はこの地方の神で宇豆彦《うずひこ》と申します」とお答えいたしました。
「そちはこのへんの海路を存じているか」とおたずねになりますと、
「よく存じております」と申しました。
「それではおれのお供につくか」とおっしゃいますと、
「かしこまりました。ご奉公申しあげます」とお答え申しましたので、命はすぐにおそばの者に命じて、さおをさし出させてお船へ引きあげておやりになりました。
 みんなは、そこから、なお東へ東へとかじを取って、やがて摂津《せっつ》の浪速《なみはや》の海を乗り切って、河内国《かわちのくに》の、青雲《あをぐも》の白肩津《しらかたのつ》という浜へ着きました。
 するとそこには、大和《やまと》の鳥見《とみ》というところの長髄彦《ながすねひこ》という者が、兵をひきつれて待ちかまえておりました。命は、いざ船からおおりになろうとしますと、かれらが急にどっと矢を射《い》向けて来ましたので、お船の中から盾《たて》を取り出して、ひゅうひゅう飛んで来る矢の中をくぐりながらご上陸なさいました。そしてすぐにどんどん戦《いくさ》をなさいました。
 そのうちに五瀬命《いつせのみこと》が、長髄彦《ながすねひこ》の鋭い矢のために大きずをお受けになりました。命《みこと》はその傷をおおさえになりながら、
「おれたちは日の神の子孫でありながら、お日さまの方に向かって攻めかかったのがまちがいである。だからかれらの矢にあたったのだ。これから東の方へ遠まわりをして、お日さまを背なかに受けて戦おう」とおっしゃって、みんなをめし集めて、弟さまの命といっしょにもう一度お船におめしになり、大急ぎで海のまん中へお出ましになりました。
 その途中で、命はお手についた傷の血をお洗いになりました。
 しかしそこから南の方へまわって、紀伊国《きいのくに》の男《お》の水門《みなと》までおいでになりますと、お傷の痛《いた》みがいよいよ激しくなりました。命は、
「ああ、くやしい。かれらから負わされた手傷で死ぬるのか」と残念そうなお声でお叫びになりながら、とうとうそれなりおかくれになりました。

       二

 神倭伊波礼毘古命《かんやまといわれひこのみこと》は、そこからぐるりとおまわりになり、同じ紀伊《きい》の熊野《くまの》という村にお着きになりました。するとふいに大きな大ぐまが現われて、あっというまにまたすぐ消えさってしまいました。ところが、命《みこと》もお供の軍勢もこの大ぐまの毒気にあたって、たちまちぐらぐらと目がくらみ、一人のこらず、その場に気絶してしまいました。
 そうすると、そこへ熊野《くまの》の高倉下《たかくらじ》という者が、一ふりの太刀《たち》を持って出て来まして、伏《ふ》し倒《たお》れておいでになる伊波礼毘古命《いわれひこのみこと》に、その太刀をさしだしました。命はそれといっしょに、ふと正気《しょうき》におかえりになって、
「おや、おれはずいぶん長寝《ながね》をしたね」とおっしゃりながら、高倉下《たかくらじ》がささげた太刀《たち》をお受けとりになりますと、その太刀に備わっている威光でもって、さっきのくまをさし向けた熊野の山の荒くれた悪神《わるがみ》どもは、ひとりでにばたばたと倒《たお》れて死にました。それといっしょに命の軍勢は、まわった毒から一度にさめて、むくむくと元気よく起きあがりました。
 命はふしぎにおぼしめして、高倉下《たかくらじ》に向かって、この貴《とうと》い剣《つるぎ》のいわれをおたずねになりました。
 高倉下《たかくらじ》は、うやうやしく、
「実はゆうべふと夢を見ましたのでございます。その夢の中で、天照大神《あまてらすおおかみ》と高皇産霊神《たかみむすびのかみ》のお二方《ふたかた》が、建御雷神《たけみかずちのかみ》をおめしになりまして、葦原中国《あしはらのなかつくに》は、今しきりに乱《みだ》れ騒《さわ》いでいる。われわれの子孫たちはそれを平らげようとして、悪神《わるがみ》どもから苦しめられている。あの国は、いちばんはじめそちが従えて来た国だから、おまえもう一度くだって平らげてまいれとおっしゃいますと、建御雷神《たけみかずちのかみ》は、それならば、私がまいりませんでも、ここにこの前あすこを平らげてまいりましたときの太刀《たち》がございますから、この太刀をくだしましょう。それには、高倉下《たかくらじ》の倉《くら》のむねを突きやぶって落としましょうと、こうお答えになりました。
 それからその建御雷神《たけみかずちのかみ》は、私に向かって、おまえの倉《くら》のむねを突きとおしてこの刀を落とすから、あすの朝すぐに、大空の神のご子孫にさしあげよとお教えくださいました。目がさめまして、倉へまいって見ますと、おおせのとおりに、ちゃんとただいまのその太刀《たち》がございましたので、急いでさしあげにまいりましたのでございます」
 こう言って、わけをお話し申しました。
 そのうちに、高皇産霊神《たかみむすびのかみ》は、雲の上から伊波礼毘古命《いわれひこのみこと》に向かって、
「大空の神のお子よ、ここから奥《おく》へはけっしてはいってはいけませんよ。この向こうには荒《あ》らくれた神たちがどっさりいます。今これから私が八咫烏《やたがらす》をさしくだすから、そのからすの飛んで行く方へついておいでなさい」とおさとしになりました。
 まもなくおおせのとおり、そのからすがおりて来ました。命《みこと》はそのからすがつれて行くとおりに、あとについてお進みになりますと、やがて大和《やまと》の吉野河《よしのがわ》の河口《かわぐち》へお着きになりました。そうするとそこにやなをかけて魚《さかな》をとっているものがおりました。
「おまえはだれだ」とおたずねになりますと、
「私はこの国の神で、名は贄持《にえもち》の子と申します」とお答え申しました。
 それから、なお進んでおいでになりますと、今度はおしりにしっぽのついている人間が、井戸《いど》の中から出て来ました。そしてその井戸がぴかぴか光りました。
「おまえは何者か」とおたずねになりますと、
「私はこの国の神で井冰鹿《いひか》と申すものでございます」とお答えいたしました。
 命《みこと》はそれらの者を、いちいちお供《とも》におつれになって、そこから山の中を分けていらっしゃいますと、またしっぽのある人にお会いになりました。この者は岩をおし分けて出て来たのでした。
「おまえはだれか」とお聞きになりますと、
「わたしはこの国の神で、名は石押分《いわおしわけ》の子と申します。ただいま、大空の神のご子孫がおいでになると承りまして、お供に加えていただきにあがりましたのでございます」と申しあげました。命は、そこから、いよいよ険《けわ》しい深い山を踏《ふ》み分けて、大和《やまと》の宇陀《うだ》というところへおでましになりました。
 この宇陀には、兄宇迦斯《えうかし》、弟宇迦斯《おとうかし》というきょうだいの荒《あら》くれ者がおりました。命はその二人のところへ八咫烏《やたがらす》を使いにお出しになって、
「今、大空の神のご子孫がおこしになった。おまえたちはご奉公申しあげるか」とお聞かせになりました。
 すると、兄の兄宇迦斯《えうかし》はいきなりかぶら矢を射《い》かけて、お使いのからすを追いかえしてしまいました。兄宇迦斯《えうかし》は命がおいでになるのを待ち受けて討《う》ってかかろうと思いまして、急いで兵たいを集めにかかりましたが、とうとう人数《にんずう》がそろわなかったものですから、いっそのこと、命をだまし討ちにしようと思いまして、うわべではご奉公申しあげますと言いこしらえて、命をお迎え申すために、大きな御殿《ごてん》をたてました。そして、その中に、つり天じょうをしかけて、待ち受けておりました。
 すると弟の弟宇迦斯《おとうかし》が、こっそりと命《みこと》のところへ出て来まして、命を伏《ふ》し拝みながら、

前へ 次へ
全25ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング