古事記物語
鈴木三重吉

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)女神《めがみ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一本|欠《か》き

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 目次

女神《めがみ》の死《し》
天《あめ》の岩屋《いわや》
八俣《やまた》の大蛇《おろち》
むかでの室《むろ》、へびの室《むろ》
きじのお使《つか》い
笠沙《かささ》のお宮
満潮《みちしお》の玉、干潮《ひしお》の玉
八咫烏《やたがらす》
赤い盾《たて》、黒い盾《たて》
おしの皇子《おうじ》
白い鳥
朝鮮征伐《ちょうせんせいばつ》
赤い玉
宇治《うじ》の渡《わた》し
難波《なにわ》のお宮
大鈴《おおすず》小鈴《こすず》
しかの群《むれ》、ししの群《むれ》
とんぼのお歌
うし飼《かい》、うま飼《かい》
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 女神《めがみ》の死《し》

       一

 世界ができたそもそものはじめ。まず天と地とができあがりますと、それといっしょにわれわれ日本人のいちばんご先祖の、天御中主神《あめのみなかぬしのかみ》とおっしゃる神さまが、天の上の高天原《たかまのはら》というところへお生まれになりました。そのつぎには高皇産霊神《たかみむすびのかみ》、神産霊神《かみむすびのかみ》のお二方《ふたかた》がお生まれになりました。
 そのときには、天も地もまだしっかり固《かた》まりきらないで、両方とも、ただ油を浮《う》かしたように、とろとろになって、くらげのように、ふわりふわりと浮かんでおりました。その中へ、ちょうどあしの芽《め》がはえ出るように、二人の神さまがお生まれになりました。
 それからまたお二人、そのつぎには男神《おがみ》女神《めがみ》とお二人ずつ、八人の神さまが、つぎつぎにお生まれになった後に、伊弉諾神《いざなぎのかみ》と伊弉冉神《いざなみのかみ》とおっしゃる男神女神がお生まれになりました。
 天御中主神《あめのみなかぬしのかみ》はこのお二方の神さまをお召《め》しになって、
「あの、ふわふわしている地を固めて、日本の国を作りあげよ」
 とおっしゃって、りっぱな矛《ほこ》を一ふりお授《さず》けになりました。
 それでお二人は、さっそく、天《あめ》の浮橋《うきはし》という、雲の中に浮かんでいる橋の上へお出ましになって、いただいた矛《ほこ》でもって、下のとろとろしているところをかきまわして、さっとお引きあげになりますと、その矛の刃先《はさき》についた潮水《しおみず》が、ぽたぽたと下へおちて、それが固《かた》まって一つの小さな島になりました。
 お二人はその島へおりていらしって、そこへ御殿《ごてん》をたててお住まいになりました。そして、まずいちばんさきに淡路島《あわじしま》をおこしらえになり、それから伊予《いよ》、讃岐《さぬき》、阿波《あわ》、土佐《とさ》とつづいた四国の島と、そのつぎには隠岐《おき》の島、それから、そのじぶん筑紫《つくし》といった今の九州と、壱岐《いき》、対島《つしま》、佐渡《さど》の三つの島をお作りになりました。そして、いちばんしまいに、とかげの形をした、いちばん大きな本州をおこしらえになって、それに大日本豊秋津島《おおやまととよあきつしま》というお名まえをおつけになりました。
 これで、淡路の島からかぞえて、すっかりで八つの島ができました。ですからいちばんはじめには、日本のことを、大八島国《おおやしまぐに》と呼《よ》び、またの名を豊葦原水穂国《とよあしはらのみずほのくに》とも称《とな》えていました。
 こうして、いよいよ国ができあがったので、お二人は、こんどはおおぜいの神さまをお生みになりました。それといっしょに、風の神や、海の神や、山の神や、野の神、川の神、火の神をもお生みになりました。ところがおいたわしいことには、伊弉冉神《いざなみのかみ》は、そのおしまいの火の神をお生みになるときに、おからだにおやけどをなすって、そのためにとうとうおかくれになりました。
 伊弉諾神《いざなぎのかみ》は、
「ああ、わが妻の神よ、あの一人の子ゆえに、大事なおまえをなくするとは」とおっしゃって、それはそれはたいそうお嘆《なげ》きになりました。そして、お涙《なみだ》のうちに、やっと、女神のおなきがらを、出雲《いずも》の国と伯耆《ほうき》の国とのさかいにある比婆《ひば》の山にお葬《ほうむ》りになりました。
 女神は、そこから、黄泉《よみ》の国という、死んだ人の行くまっくらな国へたっておしまいになりました。 
 伊弉諾神《いざなぎのかみ》は、そのあとで、さっそく十拳《とつか》の剣《つるぎ》という長い剣を引きぬいて、女神の災《わざわい》のもとになった火の神を、一うちに斬《き》り殺してしまいになりました。
 しかし、神のおくやしみは、そんなことではお癒《い》えになるはずもありませんでした。神は、どうかしてもう一度、女神に会いたくおぼしめして、とうとうそのあとを追って、まっくらな黄泉《よみ》の国までお出かけになりました。

       二

 女神《めがみ》はむろん、もうとっくに、黄泉《よみ》の神の御殿《ごてん》に着いていらっしゃいました。
 すると、そこへ、夫の神が、はるばるたずねておいでになったので、女神は急いで戸口へお出迎えになりました。
 伊弉諾神《いざなぎのかみ》は、まっくらな中から、女神をお呼《よ》びかけになって、
「いとしきわが妻の女神よ。おまえといっしょに作る国が、まだできあがらないでいる。どうぞもう一度帰ってくれ」とおっしゃいました。すると女神は、残念そうに、
「それならば、もっと早く迎えにいらしってくださいませばよいものを。私はもはや、この国のけがれた火で炊《た》いたものを食べましたから、もう二度とあちらへ帰ることはできますまい。しかし、せっかくおいでくださいましたのですから、ともかくいちおう黄泉《よみ》の神たちに相談をしてみましょう。どうぞその間は、どんなことがありましても、けっして私の姿《すがた》をご覧《らん》にならないでくださいましな。後生《ごしょう》でございますから」と、女神はかたくそう申しあげておいて、御殿《ごてん》の奥《おく》へおはいりになりました。
 伊弉諾神《いざなぎのかみ》は永《なが》い間戸口にじっと待っていらっしゃいました。しかし、女神は、それなり、いつまでたっても出ていらっしゃいません。伊弉諾神《いざなぎのかみ》はしまいには、もう待ちどおしくてたまらなくなって、とうとう、左のびんのくしをおぬきになり、その片《かた》はしの、大歯《おおは》を一本|欠《か》き取って、それへ火をともして、わずかにやみの中をてらしながら、足さぐりに、御殿の中深くはいっておいでになりました。
 そうすると、御殿のいちばん奥に、女神は寝ていらっしゃいました。そのお姿をあかりでご覧になりますと、おからだじゅうは、もうすっかりべとべとに腐《くさ》りくずれていて、臭《くさ》い臭いいやなにおいが、ぷんぷん鼻へきました。そして、そのべとべとに腐ったからだじゅうには、うじがうようよとたかっておりました。それから、頭と、胸と、お腹《なか》と、両ももと、両手両足のところには、そのけがれから生まれた雷神《らいじん》が一人ずつ、すべてで八人で、怖《おそ》ろしい顔をしてうずくまっておりました。
 伊弉諾神《いざなぎのかみ》は、そのありさまをご覧になると、びっくりなすって、怖ろしさのあまりに、急いで遁《に》げ出しておしまいになりました。
 女神はむっくりと起きあがって、
「おや、あれほどお止め申しておいたのに、とうとう私のこの姿《すがた》をご覧になりましたね。まあ、なんという憎《にく》いお方《かた》でしょう。人にひどい恥《はじ》をおかかせになった。ああ、くやしい」と、それはそれはひどくお怒りになって、さっそく女の悪鬼《わるおに》たちを呼《よ》んで、
「さあ、早く、あの神をつかまえておいで」と歯がみをしながらお言いつけになりました。
 女の悪鬼たちは、
「おのれ、待て」と言いながら、どんどん追っかけて行きました。
 伊弉諾神《いざなぎのかみ》は、その鬼どもにつかまってはたいへんだとおぼしめして、走りながら髪《かみ》の飾《かざ》りにさしてある黒いかずらの葉を抜《ぬ》き取っては、どんどんうしろへお投げつけになりました。
 そうすると、見る見るうちに、そのかずらの葉の落ちたところへ、ぶどうの実がふさふさとなりました。女鬼どもは、いきなりそのぶどうを取って食べはじめました。
 神はその間に、いっしょうけんめいにかけだして、やっと少しばかり遁《に》げのびたとお思いになりますと、女鬼どもは、まもなく、またじきうしろまで追いつめて来ました。
 神は、
「おや、これはいけない」とお思いになって、こんどは、右のびんのくしをぬいて、その歯をひっ欠いては投げつけ、ひっ欠いては投げつけなさいました。そうすると、そのくしの歯が片《かた》はしからたけのこになってゆきました。
 女鬼《おんなおに》たちは、そのたけのこを見ると、またさっそく引き抜いて、もぐもぐ食べだしました。
 伊弉諾神《いざなぎのかみ》は、そのすきをねらって、こんどこそは、だいぶ向こうまでお遁《に》げになりました。そしてもうこれならだいじょうぶだろうとおぼしめして、ひょいとうしろをふりむいてご覧になりますと、意外にも、こんどはさっきの女神のまわりにいた八人の雷人《らいじん》どもが、千五百人の鬼の軍勢をひきつれて、死にものぐるいでおっかけて来るではありませんか。
 神はそれをご覧になると、あわてて十拳《とつか》の剣《つるぎ》を抜きはなして、それでもってうしろをぐんぐん切りまわしながら、それこそいっしょうけんめいにお遁げになりました。そして、ようよう、この世界と黄泉《よみ》の国との境《さかい》になっている、黄泉比良坂《よもつひらざか》という坂の下まで遁げのびていらっしゃいました。

       三

 すると、その坂の下には、ももの木が一本ありました。
 神はそのももの実を三つ取って、鬼どもが近づいて来るのを待ち受けていらしって、その三つのももを力いっぱいお投げつけになりました。そうすると、雷神たちはびっくりして、みんなちりぢりばらばらに遁《に》げてしまいました。
 神はそのももに向かって、
「おまえは、これから先も、日本じゅうの者がだれでも苦しい目に会っているときには、今わしを助けてくれたとおりに、みんな助けてやってくれ」とおっしゃって、わざわざ大神実命《おおかんつみのみこと》というお名まえをおやりになりました。
 そこへ、女神は、とうとうじれったくおぼしめして、こんどはご自分で追っかけていらっしゃいました。神はそれをご覧になると、急いでそこにあった大きな大岩をひっかかえていらしって、それを押《お》しつけて、坂の口をふさいでおしまいになりました。
 女神は、その岩にさえぎられて、それより先へは一足も踏《ふ》み出すことができないものですから、恨《うら》めしそうに岩をにらみつけながら、
「わが夫の神よ、それではこのしかえしに、日本じゅうの人を一日に千人ずつ絞《し》め殺してゆきますから、そう思っていらっしゃいまし」とおっしゃいました。神は、
「わが妻の神よ、おまえがそんなひどいことをするなら、わしは日本じゅうに一日に千五百人の子供を生ませるから、いっこうかまわない」とおっしゃって、そのまま、どんどんこちらへお帰りになりました。
 神は、
「ああ、きたないところへ行った。急いでからだを洗ってけがれを払《はら》おう」とおっしゃって、日向《ひゅうが》の国の阿波岐原《あわきはら》というところへお出かけになりました。
 そこにはきれいな川が流れていました。
 神はその川の岸へつえをお投げすてになり、それからお帯やお下ばかまや、お上衣《うわぎ》や、お冠《かんむり》や、右左のお腕《うで》にはまった腕輪《うでわ》などを、すっかりお取りはずしになりました。そうする
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