は、大多根子《おおたねこ》から五|代《だい》もまえの世に、陶都耳命《すえつみみのみこと》という人の娘《むすめ》で活玉依媛《いくたまよりひめ》というたいそう美しい人がおりました。
 この依媛《よりひめ》があるとき、一人の若い人をお婿《むこ》さまにしました。その人は、顔かたちから、いずまいの美しいけだかいことといったら、世の中にくらべるものもないくらい、りっぱな、りりしい人でした。
 媛《ひめ》はまもなく子供が生まれそうになりました。しかしそのお婿さんは、はじめから、ただ夜だけ媛のそばにいるきりで、あけがたになると、いつのまにかどこかへ行ってしまって、けっしてだれにも顔を見せませんし、お嫁さんの媛にさえ、どこのだれかということすらも、うちあけませんでした。
 媛のおとうさまとおかあさまとは、どうかして、そのお婿さんを、どこの何びとか突きとめたいと思いまして、ある日、媛《ひめ》に向かって、
「今夜は、おへやへ赤土をまいておおき、それからあさ糸のまりを針《はり》にとおして用意しておいて、お婿《むこ》さんが出て来たら、そっと着物のすそにその針をさしておおき」と言いました。
 媛はその晩、言われたとおりに、お婿さんの着物のすそへあさ糸をつけた針をつきさしておきました。
 あくる朝になって見ますと、針についているあさ糸は、戸のかぎ穴《あな》から外へ伝わっていました。そして糸のたまは、すっかり繰りほどけて、おへやの中には、わずか三まわり輪《わ》に巻けた長さしか残っておりませんでした。
 それで、ともかくお婿さんは、戸のかぎ穴から出はいりしていたことがわかりました。媛はその糸の伝わっている方へずんずん行って見ますと、糸はしまいに、三輪山《みわやま》のお社《やしろ》にはいって止まっていました。それで、はじめて、お婿さんは大物主神《おおものぬしのかみ》でいらしったことがわかりました。
 大多根子《おおたねこ》はこのお二人の間に生まれた子の四代目の孫でした。
 天皇は、さっそくこの大多根子を三輪の社の神主《かんぬし》にして、大物主神のお祭りをおさせになりました。それといっしょに、お供えものを入れるかわらけをどっさり作らせて、大空の神々や下界の多くの神々をおまつりになりました。その中のある神さまには、とくに赤色の盾《たて》や黒塗《くろぬり》の盾をおあげになりました。
 そのほか、山の神さまや川の瀬《せ》の神さまにいたるまで、いちいちもれなくお供えものをおあげになって、ていちょうにお祭りをなさいました。そのために、やく病はやがてすっかりとまって、天下はやっと安らかになりました。

       二

 天皇はついで大毘古命《おおひこのみこと》を北陸道《ほくろくどう》へ、その子の建沼河別命《たけぬかわわけのみこと》を東山道《とうさんどう》へ、そのほか強い人を方々へお遣《つかわ》しになって、ご命令に従わない、多くの悪者どもをご征伐になりました。
 大毘古命《おおひこのみこと》はおおせをかしこまって出て行きましたが、途中で、山城《やましろ》の幣羅坂《へらざか》というところへさしかかりますと、その坂の上に腰《こし》ぬのばかりを身につけた小娘《こむすめ》が立っていて、

  これこれ申し天子さま、
  あなたをお殺し申そうと、
  前の戸に、
  裏《うら》の戸に、
  行ったり来たり、
  すきを狙《ねら》っている者が、
  そこにいるとも知らないで、
  これこれ申し天子さま。

  と、こんなことを歌いました。
 大毘古命《おおひこのみこと》は変だと思いまして、わざわざうまをひきかえして、
「今言ったのはなんのことだ」とたずねました。
 すると小娘《こむすめ》は、
「私はなんにも言いはいたしません。ただ歌を歌っただけでございます」と答えるなり、もうどこへ行ったのか、ふいに姿《すがた》が見えなくなってしまいました。
 大毘古命《おおひこのみこと》は、その歌の言葉《ことば》がしきりに気になってならないものですから、とうとうそこからひきかえしてきて、天皇にそのことを申しあげました。すると天皇は、
「それは、きっと、山城《やましろ》にいる、私《わし》の腹《はら》ちがいの兄、建波邇安王《たけはにやすのみこ》が、悪だくみをしている知らせに相違あるまい。そなたはこれから軍勢をひきつれて、すぐに討《う》ちとりに行ってくれ」とおっしゃって、彦国夫玖命《ひこくにぶくのみこと》という方を添《そ》えて、いっしょにお遣《つかわ》しになりました。
 二人は、神々のお祭りをして、勝利を祈って出かけました。そして、山城《やましろ》の木津川《きつがわ》まで行きますと、建波邇安王《たけはにやすのみこ》は案のじょう、天皇におそむき申して、兵を集めて待ち受けていらっしゃいました。両方の軍勢は川を挟《はさ》んで向かい合いに陣取《じんど》りました。彦国夫玖命《ひこくにぶくのみこと》は、敵に向かって、
「おおい、そちらのやつ、まずかわきりに一|矢《や》射《い》てみよ」とどなりました。敵の大将の建波邇安王《たけはにやすのみこ》は、すぐにそれに応じて、大きな矢をひゅうッと射放しましたが、その矢はだれにもあたらないで、わきへそれてしまいました。それでこんどはこちらから国夫玖命《くにぶくのみこと》が射かけますと、その矢はねらいたがわず建波邇安王《たけはにやすのみこ》を刺《さ》し殺してしまいました。
 敵の軍勢は、王《みこ》が倒れておしまいになると、たちまち総くずれになって、どんどん逃《に》げだしてしまいました。国夫玖命《くにぶくのみこと》の兵はどんどんそれを追っかけて、河内《かわち》の国のある川の渡しのところまで追いつめて行きました。
 すると賊兵のあるものは、苦しまぎれにうんこが出て下ばかまを汚《よご》しました。
 こちらの軍勢はそいつらの逃げ道をくいとめて、かたっぱしからどんどん切り殺してしまいました。そのたいそうな死がいが川に浮かんで、ちょうど、うのように流れくだって行きました。
 大毘古命《おおひこのみこと》は天皇にそのしだいをすっかり申しあげて、改めて北陸道《ほくろくどう》へ出発しました。
 そのうちに大毘古命《おおひこのみこと》の親子をはじめ、そのほか方々へお遣《つかわ》しになった人々が、みんなおおせつかった地方を平らげて帰りました。そんなわけで、もういよいよどこにも天皇におさからいする者がなくなって、天下は平らかに治まり、人民もどんどん裕福《ゆうふく》になりました。それで天皇ははじめて人民たちから、男から弓端《ゆはず》の調《みつぎ》といって、弓矢でとった獲物《えもの》の中のいくぶんを、女からは手末《たなすえ》の調《みつぎ》といって、紡《つむ》いだり、織ったりして得たもののいくぶんを、それぞれ貢物《みつぎもの》としておめしになりました。
 天皇はまた、人民のために方々へ耕作用の池をお作りになりました。天皇の高いお徳は、後の代《よ》からも、いついつまでも永《なが》くおほめ申しあげました。
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 おしの皇子《おうじ》

       一

 崇神天皇《すじんてんのう》のおあとには、お子さまの垂仁天皇《すいにんてんのう》がお位をお継《つ》ぎになりました。天皇は、沙本毘古王《さほひこのみこ》という方のお妹さまで沙本媛《さほひめ》とおっしゃる方を皇后にお召《め》しになって、大和《やまと》の玉垣《たまがき》の宮にお移りになりました。
 その沙本毘古王《さほひこのみこ》が、あるとき皇后に向かって、
「あなたは夫と兄とはどちらがかわいいか」と聞きました。皇后は、
「それはおあにいさまのほうがかわゆうございます」とお答えになりました。すると王《みこ》は、用意していた鋭い短刀をそっと皇后にわたして、
「もしおまえが、ほんとうに私《わし》をかわいいと思うなら、どうぞこの刀で、天皇がおよっていらっしゃるところを刺《さ》し殺しておくれ。そして二人でいつまでも天下を治めようではないか」と言って、無理やりに皇后を説き伏《ふ》せてしまいました。
 天皇は二人がそんな怖《おそ》ろしいたくらみをしているとはご存じないものですから、ある晩、なんのお気もなく、皇后のおひざをまくらにしてお眠《ねむ》りになりました。
 皇后はこのときだとお思いになって、いきなり短刀を抜《ぬ》き放して、天皇のお首をま下にねらって、三度までお振《ふ》りかざしになりましたが、いよいよとなると、さすがにおいたわしくて、どうしてもお手をおくだしになることができませんでした。そしてとうとう悲しさに堪《た》えきれないで、おんおんお泣《な》きだしになりました。
 その涙《なみだ》が天皇のお顔にかかって流れ落ちました。天皇はそれといっしょに、ひょいとお目ざめになって、
「おれは今きたいな夢を見た。沙本《さほ》の村の方からにわかに大雨が降って来て、おれの顔にぬれかかった。それから、にしき色の小さなへびがおれの首へ巻きついた。いったいこんな夢はなんの兆《しるし》であろう」と、皇后に向かっておたずねになりました。皇后はそうおっしゃられると、ぎくりとなすって、これはとても隠《かく》しきれないとお思いになったので、おあにいさまとお二人のおそれ多いたくらみをすっかり白状しておしまいになりました。
 天皇はそれをお聞きになると、びっくりなすって、
「いやそれは危くばかな目を見るところであった」とおっしゃりながら、すぐに軍勢をお集めになって、沙本毘古《さほひこ》を討《う》ちとりにおつかわしになりました。
 すると沙本毘古《さほひこ》のほうでは、いねたばをぐるりと積みあげて、それでとりでをこしらえて、ちゃんと待ち受けておりました。天皇の軍勢はそれをめがけて撃ってかかりました。
 皇后はそうなると、こんどはまたおあにいさまのことがおいたわしくおなりになって、じっとしておいでになることができなくなりました。それで、とうとうこっそり裏口《うらぐち》のご門から抜《ぬ》け出して、沙本毘古《さほひこ》のとりでの中へかけつけておしまいになりました。
 皇后はそのときちょうど、お腹《なか》にお子さまをお持ちになっていらっしゃいました。
 天皇は、もはや三年もごちょう愛になっていた皇后でおありになるうえに、たまたまお身持ちでいらっしゃるものですから、いっそうおかわいそうにおぼしめして、どうか皇后のお身におけががないようにと、それからは、とりでもただ遠まきにして、むやみに攻め落とさないように、とくにご命令をおくだしになりました。

       二

 そんなことで、かれこれ戦《いくさ》も長びくうちに、皇后はおあにいさまのとりでの中で皇子をお生みおとしになりました。
 皇后はそのお子さまをとりでのそとへ出させて、天皇の軍勢の者にお見せになり、
「この御子《みこ》をあなたのお子さまとおぼしめしてくださるならば、どうぞひきとってご養育なすってくださいまし」と、天皇にお伝えさせになりました。
 天皇はそのことをお聞きになりますと、ついでにどうかして皇后をもいっしょに取りかえしたいとお思いになりました。それは、兄の沙本毘古《さほひこ》に対しては、刻《きざ》み殺してもたりないくらい、お憤《いきどお》りになっておりますが、皇后のことだけは、どこまでもおいたわしくおぼしめしていらっしゃるからでした。
 それで味方の兵士の中で、いちばん力の強い、そしていちばんすばしっこい者をいく人かお選びになって、
「そちたちはあの皇子を受け取るときに、必ず母の后《きさき》をもひきさらってかえれ。髪でも手でも、つかまりしだいに取りつかまえて、無理にもつれ出して来い」とお言いつけになりました。
 しかし皇后のほうでも、天皇がきっとそんなお企《くわだて》をなさるに違いないと、ちゃんとお感づきになっていましたので、そのときの用意に、前もってお髪《ぐし》をすっかりおそり落としになって、そのお毛をそのままそっとお被《かぶ》りになり、それからお腕先《うでさき》のお玉飾《たまかざ》りも、わざと、つなぎの緒《ひも》を腐《くさ》らし
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