いるな。これは感心なやつだ」とお思いになりながら、安心して、すやすやと寝いっておしまいになりました。
 大国主神は、この上ここにぐずぐずしていると、まだまだどんなめに会うかわからないとお思いになって、命《みこと》がちょうどぐうぐうおやすみになっているのをさいわいに、その長いお髪《ぐし》をいく束《たば》にも分けて、それを四方のたる木というたる木へ一束ずつ縛《しば》りつけておいたうえ、五百人もかからねば動かせないような、大きな大きな大岩を、そっと戸口に立てかけて、中から出られないようにしておいて、大神《おおかみ》の太刀《たち》と弓矢《ゆみや》と、玉の飾りのついた貴《とうと》い琴《こと》とをひっ抱《かか》えるなり、急いで須勢理媛《すぜりひめ》を背なかにおぶって、そっと御殿をお逃《に》げ出しになりました。
 するとまの悪いことに、抱えていらっしゃる琴が、樹《き》の幹にぶつかって、じゃらじゃらじゃらんとたいそうなひびきを立てて鳴りました。
 大神はその音におどろいて、むっくりとお立ちあがりになりました。すると、おぐしがたる木じゅうへ縛りつけてあったのですから、大力《おおぢから》のある大神がふいにお立ちになるといっしょに、そのおへやはいきなりめりめりと倒《たお》れつぶれてしまいました。
 大神は、
「おのれ、あの小僧《こぞう》ッ神め」と、それはそれはお怒《いか》りになって、髪《かみ》の毛をひと束ずつ、もどかしく解きはなしていらっしゃるまに、こちらの大国主神はいっしょうけんめいにかけつづけて、すばやく遠くまで逃げのびていらっしゃいました。
 すると大神は、まもなくそのあとを追っかけて、とうとう黄泉比良坂《よもつひらざか》という坂の上までかけつけていらっしゃいました。そしてそこから、はるかに大国主神を呼びかけて、大声をしぼってこうおっしゃいました。
「おおいおおい、小僧ッ神。その太刀と弓矢をもって、そちのきょうだいの八十神《やそがみ》どもを、山の下、川の中と、逃げるところへ追いつめ切り払《はら》い、そちが国の神の頭《かしら》になって、宇迦《うか》の山のふもとに御殿を立てて住め。わしのその娘《むすめ》はおまえのお嫁《よめ》にくれてやる。わかったか」とおどなりになりました。
 大国主神《おおくにぬしのかみ》はおおせのとおりに、改めていただいた、大神《おおかみ》の太刀《たち》と弓矢《ゆみや》を持って、八十神《やそがみ》たちを討《う》ちにいらっしゃいました。そして、みんながちりぢりに逃《に》げまわるのを追っかけて、そこいらじゅうの坂の下や川の中へ、切り倒《たお》し突《つ》き落として、とうとう一人ももらさず亡《ほろ》ぼしておしまいになりました。そして、国の神の頭《かしら》になって、宇迦《うか》の山の下に御殿《ごてん》をおたてになり、須勢理媛《すぜりひめ》と二人で楽しくおくらしになりました。

       四

 そのうちに例の八上媛《やがみひめ》は、大国主神をしたって、はるばるたずねて来ましたが、その大国主神には、もう須勢理媛《すぜりひめ》というりっぱなお嫁《よめ》さまができていたので、しおしおと、またおうちへ帰って行きました。
 大国主神はそれからなお順々に四方を平らげて、だんだんと国を広げておゆきになりました。そうしているうちに、ある日、出雲《いずも》の国の御大《みお》の崎《さき》という海ばたにいっていらっしゃいますと、はるか向こうの海の上から、一人の小さな小さな神が、お供の者たちといっしょに、どんどんこちらへ向かって船をこぎよせて来ました。その乗っている船は、ががいもという、小さな草の実で、着ている着物は、ひとりむしの皮を丸はぎにしたものでした。
 大国主神は、その神に向かって、
「あなたはどなたですか」とおたずねになりました。しかし、その神は口を閉《と》じたまま名まえをあかしてくれませんでした。大国主神はご自分のお供の神たちに聞いてご覧になりましたが、みんなその神がだれだかけんとうがつきませんでした。
 するとそこへひきがえるがのこのこ出て来まして、
「あの神のことは久延彦《くえびこ》ならきっと存じておりますでしょう」と言いました。久延彦というのは山の田に立っているかかしでした。久延彦《くえびこ》は足がきかないので、ひと足も歩くことはできませんでしたけれど、それでいて、この下界のことはなんでもすっかり知っておりました。
 それで大国主神は急いでその久延彦《くえびこ》にお聞きになりますと、
「ああ、あの神は大空においでになる神産霊神《かみむすびのかみ》のお子さまで、少名毘古那神《すくなびこなのかみ》とおっしゃる方でございます」と答えました。大国主神はそれでさっそく、神産霊神《かみむすびのかみ》にお伺《うかが》いになりますと、神も、
「あれはたしかにわしの子だ」とおっしゃいました。そして改めて少名毘古那神に向かって、
「おまえは大国主神ときょうだいになって二人で国々を開き固《かた》めて行け」とおおせつけになりました。
 大国主神は、そのお言葉に従って、少名毘古那神《すくなびこなのかみ》とお二人で、だんだんに国を作り開いておゆきになりました。ところが、少名毘古那神《すくなびこなのかみ》は、あとになると、急に常世国《とこよのくに》という、海の向こうの遠い国へ行っておしまいになりました。
 大国主神《おおくにぬしのかみ》はがっかりなすって、私《わたし》一人では、とても思いどおりに国を開いてゆくことはできない、だれか力を添《そ》えてくれる神はいないものかと言って、たいそうしおれていらっしゃいました。
 するとちょうどそのとき、一人の神さまが、海の上一面にきらきらと光を放《はな》ちながら、こちらへ向かって近づいていらっしゃいました。それは須佐之男命《すさのおのみこと》のお子の大年神《おおとしのかみ》というお方でした。その神が、大国主神に向かって、
「私をよく大事にまつっておくれなら、いっしょになって国を作りかためてあげよう。おまえさん一人ではとてもできはしない」と、こう言ってくださいました。
「それではどんなふうにおまつり申せばいいのでございますか」とお聞きになりますと、
「大和《やまと》の御諸《みもろ》の山の上にまつってくれればよい」とおっしゃいました。
 大国主神はお言葉《ことば》のとおりに、そこへおまつりして、その神さまと二人でまただんだんに国を広げておゆきになりました。
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 きじのお使《つか》い

       一

 そのうちに大空の天照大神《あまてらすおおかみ》は、お子さまの天忍穂耳命《あめのおしほみみのみこと》に向かって、
「下界に見える、あの豊葦原水穂国《とよあしはらのみずほのくに》は、おまえが治めるべき国である」とおっしゃって、すぐにくだって行くように、お言いつけになりました。命《みこと》はかしこまっておりていらっしゃいました。しかし天《あめ》の浮橋《うきはし》の上までおいでになって、そこからお見おろしになりますと、下では勢いの強い神たちが、てんでんに暴《あば》れまわって、大さわぎをしているのが見えました。命は急いでひきかえしていらしって、そのことを大神にお話しになりました。
 それで大神と高皇産霊神《たかみむすびのかみ》とは、さっそく天安河《あめのやすのかわ》の河原に、おおぜいの神々をすっかりお召《め》し集めになって、
「あの水穂国《みずほのくに》は、私たちの子孫《しそん》が治めるはずの国であるのに、今あすこには、悪強い神たちが勢い鋭く荒れまわっている。あの神たちを、おとなしくこちらの言うとおりにさせるには、いったいだれを使いにやったものであろう」とこうおっしゃって、みんなにご相談をなさいました。
 すると例のいちばん考え深い思金神《おもいかねのかみ》が、みんなと会議をして、
「それには天菩比神《あめのほひのかみ》をおつかわしになりますがよろしゅうございましょう」と申しあげました。そこで大神は、さっそくその菩比神《ほひのかみ》をおくだしになりました。
 ところが菩比神《ほひのかみ》は、下界へつくと、それなり大国主神《おおくにぬしのかみ》の手下になってしまって、三年たっても、大空へはなんのご返事もいたしませんでした。
 それで大神と高皇産霊神《たかみむすびのかみ》とは、またおおぜいの神々をお召《め》しになって、
「菩比神《ほひのかみ》がまだ帰ってこないが、こんどはだれをやったらよいであろう」と、おたずねになりました。
 思金神《おもいかねのかみ》は、
「それでは、天津国玉神《あまつくにたまのかみ》の子の、天若日子《あめのわかひこ》がよろしゅうございましょう」と、お答え申しました。
 大神はその言葉《ことば》に従って、天若日子《あめのわかひこ》にりっぱな弓《ゆみ》と矢《や》をお授けになって、それを持たせて下界へおくだしになりました。
 するとその若日子は大空にちゃんとほんとうのお嫁《よめ》があるのに、下へおり着くといっしょに、大国主神《おおくにぬしのかみ》の娘《むすめ》の下照比売《したてるひめ》をまたお嫁にもらったばかりか、ゆくゆくは水穂国《みずほのくに》を自分が取ってしまおうという腹《はら》で、とうとう八年たっても大神の方へはてんでご返事にも帰りませんでした。
 大神と高皇産霊神《たかみむすびのかみ》とは、また神々をお集めになって、
「二度めにつかわした天若日子もまたとうとう帰ってこない。いったいどうしてこんなにいつまでも下界にいるのか、それを責《せ》めただしてこさせたいと思うが、だれをやったものであろう」とお聞きになりました。
 思金神《おもいかねのかみ》は、
「それでは名鳴女《ななきめ》というきじがよろしゅうございましょう」と申しあげました。大神たちお二人はそのきじをお召《め》しになって、
「おまえはこれから行って天若日子《あめのわかひこ》を責めてこい。そちを水穂国《みずほのくに》へおくりだしになったのは、この国の神どもを説き伏せるためではないか、それだのに、なぜ八年たってもご返事をしないのか、と言って、そのわけを聞きただしてこい」とお言いつけになりました。
 名鳴女は、はるばると大空からおりて、天若日子のうちの門のそばの、かえでの木の上にとまって、大神からおおせつかったとおりをすっかり言いました。
 すると若日子のところに使われている、天佐具売《あめのさくめ》という女が、その言葉を聞いて、
「あすこに、いやな鳴き声を出す鳥がおります。早く射《い》ておしまいなさいまし」と若日子にすすめました。
 若日子は、
「ようし」と言いながら、かねて大神からいただいて来た弓《ゆみ》と矢《や》を取り出して、いきなりそのきじを射殺してしまいました。すると、その当たった矢が名鳴女の胸《むね》を突《つ》き通して、さかさまに大空の上まではねあがって、天安河《あめのやすのかわ》の河原《かわら》においでになる、天照大神《あまてらすおおかみ》と高皇産霊神《たかみむすびのかみ》とのおそばへ落ちました。
 高皇産霊神《たかみむすびのかみ》はその矢を手に取ってご覧《らん》になりますと、矢の羽根に血がついておりました。
 高皇産霊神は、
「この矢は天若日子《あめのわかひこ》につかわした矢だが」とおっしゃって、みんなの神々にお見せになった後、
「もしこの矢が、若日子が悪い神たちを射たのが飛んで来たのならば、若日子にはあたるな。もし若日子が悪い心をいだいているなら、かれを射殺せよ」とおっしゃりながら、さきほどの矢が通って来た空の穴《あな》から、力いっぱいにお突きおろしになりました。
 そうするとその矢は、若日子がちょうど下界であおむきに寝《ね》ていた胸のまん中を、ぷすりと突き刺《さ》して一ぺんで殺してしまいました。
 若日子のお嫁《よめ》の下照比売《したてるひめ》は、びっくりして、大声をあげて泣《な》きさわぎました。
 その泣く声が風にはこばれて、大空まで聞こえて来ますと、若日子の父の天津国玉神《あまつくにたまのかみ》と、若日子のほんとうのお
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