嫁と子供たちがそれを聞きつけて、びっくりして、下界へおりて来ました。そして泣き泣きそこへ喪屋《もや》といって、死人を寝かせておく小屋をこしらえて、がんを供物《くもつ》をささげる役に、さぎをほうき持ちに、かわせみをお供《そな》えの魚《さかな》取りにやとい、すずめをお供えのこめつきに呼《よ》び、きじを泣き役につれて来て、八日《ようか》八晩《よばん》の間、若日子の死がいのそばで楽器をならして、死んだ魂《たましい》を慰《なぐさ》めておりました。
 そうしているところへ、大国主神《おおくにぬしのかみ》の子で、下照比売《したてるひめ》のおあにいさまの高日子根神《たかひこねのかみ》がお悔《くや》みに来ました。そうすると若日子《わかひこ》の父と妻子《つまこ》たちは、
「おや」とびっくりして、その神の手足にとりすがりながら、
「まあまあおまえは生きていたのか」
「まあ、あなたは死なないでいてくださいましたか」と言って、みんなでおんおんと嬉《うれ》し泣《な》きに泣きだしました。それは高日子根神《たかひこねのかみ》の顔や姿《すがた》が天若日子《あめのわかひこ》にそっくりだったので、みんなは一も二もなく若日子だとばかり思ってしまったのでした。
 すると高日子根神は、
「何をふざけるのだ」とまっかになって怒《おこ》りだして、
「人がわざわざ悔《くや》みに来たのに、それをきたない死人などといっしょにするやつがどこにある」とどなりつけながら、長い剣《つるぎ》を抜《ぬ》きはなすといっしょに、その喪屋《もや》をめちゃめちゃに切り倒し、足でぽんぽんけりちらかして、ぷんぷん怒って行ってしまいました。
 そのとき妹の下照比売《したてるひめ》は、あの美しい若い神は私のおあにいさまの、これこれこういう方だということを、歌に歌って、誇《ほこ》りがおに若日子の父や妻子に知らせました。

       二

 天照大神《あまてらすおおかみ》は、そんなわけで、また神々に向かって、こんどというこんどはだれを遣《つか》わしたらよいかとご相談をなさいました。
 思金神《おもいかねのかみ》とすべての神々は、
「それではいよいよ、天安河《あめのやすのかわ》の河上《かわかみ》の、天《あめ》の岩屋《いわや》におります尾羽張神《おはばりのかみ》か、それでなければ、その神の子の建御雷神《たけみかずちのかみ》か、二人のうちどちらかをお遣《つかわ》しになるほかはございません。しかし尾羽張神は、天安河の水をせきあげて、道を通れないようにしておりますから、めったな神では、ちょっと呼《よ》びにもまいれません。これはひとつ天迦久神《あめのかくのかみ》をおさしむけになりまして、尾羽張神がなんと申しますか聞かせてご覧になるがようございましょう」と申しあげました。
 大神はそれをお聞きになると、急いで天迦久神《あめのかくのかみ》をおやりになってお聞かせになりました。
 そうすると尾羽張神《おはばりのかみ》は、
「これは、わざわざもったいない。その使いには私でもすぐにまいりますが、それよりも、こんなことにかけましては、私の子の建御雷神《たけみかずちのかみ》がいっとうお役に立ちますかと存じます」
 こう言って、さっそくその神を大神のご前《ぜん》へうかがわせました。
 大神はその建御雷神に、天鳥船神《あめのとりふねのかみ》という神をつけておくだしになりました。
 二人の神はまもなく出雲国《いずものくに》の伊那佐《いなさ》という浜にくだりつきました。そしてお互《たが》いに長い剣《つるぎ》をずらりと抜《ぬ》き放《はな》して、それを海の上にあおむけに突《つ》き立てて、そのきっさきの上にあぐらをかきながら、大国主神《おおくにぬしのかみ》に談判をしました。
「わしたちは天照大神《あまてらすおおかみ》と高皇産霊神《たかみむすびのかみ》とのご命令で、わざわざお使いにまいったのである。大神はおまえが治めているこの葦原《あしはら》の中《なか》つ国《くに》は、大神のお子さまのお治めになる国だとおっしゃっている。そのおおせに従って大神のお子さまにこの国をすっかりお譲《ゆず》りなさるか。それともいやだとお言いか」と聞きますと、大国主神《おおくにぬしのかみ》は、
「これは私からはなんともお答え申しかねます。私よりも、むすこの八重事代主神《やえことしろぬしのかみ》が、とかくのご返事を申しあげますでございましょうが、あいにくただいま御大《みお》の崎《さき》へりょうにまいっておりますので」とおっしゃいました。
 建御雷神《たけみかずちのかみ》はそれを聞くと、すぐに天鳥船神《あめのとりふねのかみ》を御大《みお》の崎《さき》へやって、事代主神《ことしろぬしのかみ》を呼《よ》んで来させました。そして大国主神に言ったとおりのことを話しました。
 すると事代主神は、父の神に向かって、
「まことにもったいないおおせです。お言葉《ことば》のとおり、この国は大空の神さまのお子さまにおあげなさいまし」と言いながら、自分の乗って帰った船を踏《ふ》み傾《かたむ》けて、おまじないの手打ちをしますと、その船はたちまち、青いいけがきに変わってしまいました。事代主神はそのいけがきの中へ急いでからだをかくしてしまいました。
 建御雷神《たけみかずちのかみ》は大国主神に向かって、
「ただ今事代主神はあのとおりに申したが、このほかには、もうちがった意見を持っている子はいないか」とたずねました。
 大国主神は、
「私の子は事代主神のほかに、もう一人、建御名方神《たけみなかたのかみ》というものがおります。もうそれきりでございます」とお答えになりました。
 そうしているところへ、ちょうどこの建御名方神《たけみなかたのかみ》が、千人もかからねば動かせないような大きな大きな大岩を両手でさしあげて出て来まして、
「やい、おれの国へ来て、そんなひそひそ話をしているのはだれだ。さあ来い、力くらべをしよう。まずおれがおまえの手をつかんでみよう」と言いながら、大岩を投げだしてそばへ来て、いきなり建御雷神《たけみかずちのかみ》の手をひっつかみますと、御雷神《みかずちのかみ》の手は、たちまち氷の柱になってしまいました。御名方神《みなかたのかみ》がおやとおどろいているまに、その手はまたひょいと剣《つるぎ》の刃《は》になってしまいました。
 御名方神はすっかりこわくなっておずおずとしりごみをしかけますと、御雷神《みかずちのかみ》は、
「さあ、こんどはおれの番だ」と言いながら、御名方神の手くびをぐいとひっつかむが早いか、まるではえたてのあしをでも扱うように、たちまち一|握《にぎ》りに握りつぶして、ちぎれ取れた手先を、ぽうんと向こうへ投げつけました。
 御名方神は、まっさおになって、いっしょうけんめいに逃《に》げだしました。御雷神《みかずちのかみ》は、
「こら待て」と言いながら、どこまでもどんどんどんどん追っかけて行きました。そしてとうとう信濃《しなの》の諏訪湖《すわこ》のそばで追いつめて、いきなり、一ひねりにひねり殺そうとしますと、建御名方神《たけみなかたのかみ》はぶるぶるふるえながら、
「もういよいよおそれいりました。どうぞ命ばかりはお助けくださいまし。私はこれなりこの信濃《しなの》より外へはひと足も踏《ふ》み出しはいたしません。また、父や兄の申しあげましたとおりに、この葦原《あしはら》の中つ国は、大空の神のお子さまにさしあげますでございます」と、平たくなっておわびしました。
 そこで建御雷神《たけみかずちのかみ》はまた出雲《いずも》へ帰って来て、大国主神《おおくにぬしのかみ》に問いつめました。
「おまえの子は二人とも、大神のおおせにはそむかないと申したが、おまえもこれでいよいよ言うことはあるまいな、どうだ」と言いますと、大国主神は、
「私にはもう何も異存はございません。この中つ国はおおせのとおり、すっかり、大神のお子さまにさしあげます。その上でただ一つのおねがいは、どうぞ私の社《やしろ》として、大空の神の御殿《ごてん》のような、りっぱな、しっかりした御殿をたてていただきとうございます。そうしてくださいませば私は遠い世界から、いつまでも大神のご子孫にお仕え申します。じつは私の子は、ほかに、まだまだいくたりもありますが、しかし、事代主神《ことしろぬしのかみ》さえ神妙にご奉公いたします上は、あとの子たちは一人も不平を申しはいたしません」
 こう言って、いさぎよくその場で死んでおしまいになりました。
 それで建御雷神《たけみかずちのかみ》は、さっそく、出雲国《いずものくに》の多芸志《たぎし》という浜にりっぱな大きなお社《やしろ》をたてて、ちゃんと望みのとおりにまつりました。そして櫛八玉神《くしやたまのかみ》という神を、お供《そな》えものを料理する料理人にしてつけ添《そ》えました。
 すると八玉神《やたまのかみ》は、う[#「う」に傍点]になって、海の底《そこ》の土をくわえて来て、それで、いろんなお供えものをあげるかわらけをこしらえました。
 それからある海草の茎《くき》で火切臼《ひきりうす》と火切杵《ひきりぎね》という物をこしらえて、それをすり合わせて火を切り出して、建御雷神《たけみかずちのかみ》に向かってこう言いました。
「私が切ったこの火で、そこいらが、大空の神の御殿のお料理場のように、すすでいっぱいになるまで欠かさず火をたき、かまどの下が地の底の岩のように固《かた》くなるまで絶えず火をもやして、りょうしたちの取って来る大すずきをたくさんに料理して、大空の神の召しあがるようなりっぱなごちそうを、いつもいつもお供えいたします」と言いました。
 建御雷神《たけみかずちのかみ》はそれでひとまず安心して、大空へ帰りのぼりました。そして天照大神《あまてらすおおかみ》と高皇産霊神《たかみむすびのかみ》に、すっかりこのことを、くわしく奏上《そうじょう》いたしました。
[#改頁]


 笠沙《かささ》のお宮

       一

 天照大神《あまてらすおおかみ》と高皇産霊神《たかみむすびのかみ》とは、あれほど乱《みだ》れさわいでいた下界を、建御雷神《たけみかずちのかみ》たちが、ちゃんとこちらのものにして帰りましたので、さっそく天忍穂耳命《あめのおしほみみのみこと》をお召《め》しになって、
「葦原《あしはら》の中つ国はもはやすっかり平《たい》らいだ。おまえはこれからすぐにくだって、さいしょ申しつけたように、あの国を治めてゆけ」とおっしゃいました。
 命《みこと》はおおせに従って、すぐに出発の用意におとりかかりになりました。するとちょうどそのときに、お妃《きさき》の秋津師毘売命《あきつしひめのみこと》が男のお子さまをお生みになりました。
 忍穂耳命《おしほみみのみこと》は大神のご前《ぜん》へおいでになって、
「私たち二人に、世嗣《よつぎ》の子供が生まれました。名前は日子番能邇邇芸命《ひこほのににぎのみこと》とつけました。中つ国へくだしますには、この子がいちばんよいかと存じます」とおっしゃいました。
 それで大神は、そのお孫さまの命《みこと》が大きくおなりになりますと、改めておそばへ召して、
「下界に見えるあの中つ国は、おまえの治める国であるぞ」とおっしゃいました。命は、かしこまって、
「それでは、これからすぐにくだってまいります」とおっしゃって、急いでそのお手はずをなさいました。そしてまもなく、いよいよお立ちになろうとなさいますと、ちょうど、大空のお通り道のある四つじに、だれだか一人の神が立ちはだかって、まぶしい光をきらきらと放ちながら、上は高天原《たかまのはら》までもあかあかと照らし、下は中つ国までいちめんに照り輝《かがや》かせておりました。
 天照大神《あまてらすおおかみ》と高皇産霊神《たかみむすびのかみ》とはそれをご覧になりますと、急いで天宇受女命《あめのうずめのみこと》をお呼びになって、
「そちは女でこそあれ、どんな荒《あら》くれた神に向かいあっても、びくともしない神だから、だれをもおいておまえを遣《つかわ》す
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