ちそうをそろえて呼《よ》んでやろう、しかし、もしもらいそこねたら、あんな広言《こうげん》を吐《は》いた罰《ばつ》に、今わしがしてやろうと言ったとおりをわしにしてくれるか」と言いました。
 弟の神は、おお、よろしい、それではかけをしようと誓《ちか》いました。そして、おうちへ帰って、そのことをおかあさまにお話しますと、おかあさまの女神は、一晩《ひとばん》のうちに、ふじのつるで、着物からはかまから、くつからくつ下まで織ったり、こしらえたりした上に、やはり同じふじのつるで弓《ゆみ》をこしらえてくれました。
 弟の神はその着物やくつをすっかり身につけて、その弓矢《ゆみや》を持って、例の女神のおうちへ出かけて行きました。すると、たちまち、その着物やくつや弓矢にまで、残らず、一度にぱっとふじの花が咲《さ》きそろいました。
 弟の神はその弓矢を便所のところへかけておきますと、女神はそれを見つけて、ふしぎに思いながら取りはずして持って行きました。弟の神は、すかさず、そのあとについて女神のへやにはいって、どうぞ私《わたし》のお嫁になってくださいと言いました。そして、とうとうその女神をもらってしまいました。
 二人の間には一人子供までできました。
 弟の神は、それで兄の神に向かって、
「私《わたし》はあのとおり、ちゃんと女神《めがみ》をもらいました。だから約束のとおり、あなたの着物をください。それからごちそうもどっさりしてください」と言いました。すると兄の神は、弟の神のことをたいそうねたんで、てんで着物もやらないし、ごちそうもしませんでした。
 弟の神は、そのことを母上の女神に言いつけました。すると女神は、兄の神を呼《よ》んで、
「おまえはなぜそんなに人をだますのです。この世の中に住んでいる間は、すべてりっぱな神々のなさるとおりをしなければいけません。おまえのように、いやしい人間のまねをする者はそのままにしてはおかれない」と、ひどく怒《おこ》りつけました。それから、そこいらの川の中の島にはえているたけを伐《き》って来て、それで目の荒《あら》いあらかごを作り、その中へ、川の石に塩をふりかけて、それをたけの葉につつんだのを入れて、
「この兄の神のようなうそつきは、このたけの葉がしおれるようにしおれてしまえ。この塩がひるようにひからびてしまえ。そして、この石が沈《しず》むように沈み倒《たお》れてしまえ」とのろって、そのかごをかまどの上に置かせました。
 すると兄の神は、そのたたりで、まる八年の間、ひからびしおれ、病《や》みつかれて、それはそれは苦しい目を見ました。それでとうとう弱り果《は》てて泣《な》く泣く母上の女神におわびをしました。
 女神はそのときやっとのろいをといてやりました。そのおかげで兄の神は、またもとのとおりのじょうぶなからだにかえりました。
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 宇治《うじ》の渡《わた》し

       一

 お小さな応仁天皇《おうじんてんのう》も、そのうちにすっかりご成人になって、大和《やまと》の明《あきら》の宮で、ご自身に政《まつりごと》をお聞きになりました。
 あるとき、天皇は近江《おうみ》へご巡幸《じゅんこう》になりました。そのお途中で、山城《やましろ》の宇治野《うじの》にお立ちになって、葛野《かづの》の方をご覧《らん》になりますと、そちらには家々も多く見え、よい土地もどっさりあるのがお目にとまりました。
 天皇はそのながめを歌にお歌いになりながら、まもなく木幡《こばた》というところまでおいでになりますと、その村のお道筋で、それはそれは美しい一人の少女にお出会いになりました。
 天皇は、
「そちはだれの娘《むすめ》か」とおたずねになりました。
「私は比布礼能意富美《ひふれのおおみ》と申します者の子で、宮主矢河枝媛《みやぬしやかわえひめ》と申します者でございます」と、その娘はお答え申しました。
 すると、天皇は
「ではあす帰りにそちのうちへ行くぞ」とおっしゃいました。
 媛《ひめ》はおうちへ帰って、すべてのことをくわしくおとうさまに話しました。
 おとうさまの意富美《おおみ》は、
「それではそのお方は天子さまだ。これはこれはもったいない。そちも十分気をつけて失礼のないようによくおもてなし申しあげよ」と言いきかせました。そしてさっそくうちじゅうを、すみずみまですっかり飾《かざ》りつけて、ちゃんとお待ち申しておりました。

 天皇はおおせのとおり、あくる日お立ちよりになりました。意富美《おおみ》らは怖《おそ》れかしこみながら、ごちそうを運んでおもてなしをしました。
 天皇は矢河枝媛《やかわえひめ》が奉《たてまつ》るさかずきをお取りになって、

  この料理のかには、
  越前《えちぜん》敦賀《つるが》のかにが、
  横ざまにはって、
  近江《おうみ》を越《こ》えて来たものか。
  わしもその近江《おうみ》から来て、
  木幡《こばた》の村でおまえに会った。
  おまえの後姿《うしろすがた》は、
  盾《たて》のようにすらりとしている。
  おまえのきれいな歯並《はなみ》は、
  しいの実《み》のように白く光っている。
  顔には九邇坂《わにざか》の土を、
  そこの土は、
  上土《うわつち》は赤く、
  底土《そこつち》は赤黒いけれど、
  中土《なかつち》の、
  ちょうど色のよいのを
  眉墨《まゆずみ》にして、
  色|濃《こ》く眉《まゆ》をかいている。
  おまえはほんとうにきれいな子だ。

とこういう意味のお歌を歌っておほめになりました。
 天皇は、この美しい矢河枝媛《やかわえひめ》を、後にお妃《きさき》にお召《め》しになりました。このお妃から、宇治若郎子《うじのわかいらつこ》とおっしゃる皇子がお生まれになりました。
 天皇には、すべてで、皇子が十一人、皇女が十五人おありになりました。
 その中で、天皇は、矢河枝媛《やかわえひめ》のお生み申した若郎子皇子《わかいらつこおうじ》を、いちばんかわいくおぼしめしていらっしゃいました。
 あるとき天皇は、その若郎子皇子《わかいらつこおうじ》とはそれぞれお腹《はら》ちがいのお兄上でいらっしゃる大山守命《おおやまもりのみこと》と大雀命《おおささぎのみこと》のお二人をお召《め》しになって、
「おまえたちは、子供は兄と弟とどちらがかわいいものと思うか」とお聞きになりました。
 大山守命《おおやまもりのみこと》は、
「それはだれでも兄のほうをかわいくおもいます」と、ぞうさもなくお答えになりました。
 しかしお年下の大雀命《おおささぎのみこと》は、お父上がこんなお問いをおかけになるのは、わたしたち二人をおいて、弟の若郎子《わかいらつこ》にお位をお譲《ゆず》りになりたいというおぼしめしに相違《そうい》ないと、ちゃんと、天皇のお心持をおさとりになりました。それでそのおぼしめしに添《そ》うように、
「私は弟のほうがかわいいだろうと思います。兄のほうは、もはや成人しておりますので、何の心配もございませんが、弟となりますと、まだ子供でございますから、かわいそうでございます」とお答えになりました。
 天皇は、
「それは雀《ささぎ》の言うとおりである。わしもそう思っている」とおおせになり、なお改めて、
「ではこれから、そちら二人と若郎子《わかいらつこ》と三人のうち、大山守《おおやまもり》は海と山とのことを司《つかさど》れ、雀《ささぎ》はわしを助けて、そのほかのすべての政《まつりごと》をとり行なえよ。それから若郎子《わかいらつこ》には、後にわしのあとを継《つ》いで天皇の位につかせることにしよう」と、こうおっしゃって、ちゃんと、お三人のお役わりをお定めになりました。
 大山守命《おおやまもりのみこと》は、後に、このお言いつけにおそむきになって、若郎子皇子《わかいらつこおうじ》を殺そうとさえなさいましたが、ひとり大雀命《おおささぎのみこと》だけは、しまいまで天皇のご命令のとおりにおつくしになりました。

       二

 天皇は日向《ひゅうが》の諸県君《もろあがたぎみ》という者の子に、髪長媛《かみながひめ》という、たいそうきりょうのよい娘《むすめ》があるとお聞きになりまして、それを御殿《ごてん》へお召《め》し使いになるつもりで、はるばるとお召しのぼせになりました。
 皇子《おうじ》の大雀命《おおささぎのみこと》は、その髪長媛《かみながひめ》が船で難波《なにわ》の津《つ》へ着いたところをご覧《らん》になり、その美しいのに感心しておしまいになりました。それで武内宿禰《たけのうちのすくね》に向かって、
「こんど日向《ひゅうが》からお召しよせになったあの髪長媛《かみながひめ》を、お父上にお願いして、私《わたし》のお嫁《よめ》にもらってくれないか」とお頼《たの》みになりました。
 宿禰《すくね》はかしこまって、すぐにそのことを天皇に申しあげました。
 すると天皇は、まもなくお酒盛《さかもり》のお席へ大雀命《おおささぎのみこと》をお召しになりました。そして、美しい髪長媛《かみながひめ》にお酒をつぐかしわの葉をお持たせになって、そのまま命《みこと》におくだしになりました。
 天皇はそれといっしょに、

  わしが、子どもたちをつれて、
  のびるをつみに通り通りする、
  あの道ばたのたちばなの木は、
  上の枝々《えだえだ》は鳥に荒《あら》され、
  下の枝々は人にむしられて、
  中の枝にばかり花がさいている。
  そのひそかな花の中に、
  小さくかくれている実のような、
  しとやかなこの乙女《おとめ》なら、
  ちょうどおまえに似《に》あっている。
  さあつれて行け。

という意味をお歌に歌ってお祝いになりました。
 皇子《おうじ》はとうから評判にも聞いていた、このきれいな人を、天皇のお許しでお妃《きさき》におもらいになったお嬉《うれ》しさを、同じく歌にお歌いになって、大喜びで御前《ごぜん》をおさがりになりました。

       三

 この天皇の御代《みよ》には、新羅《しらぎ》の国の人がどっさり渡《わた》って来ました。武内宿禰《たけのうちのすくね》はその人々を使って、方々に田へ水を取る池などを掘《ほ》りました。
 それから百済《くだら》の国の王からは、おうま一|頭《とう》、めうま一頭に阿知吉師《あちきし》という者をつけて献上《けんじょう》し、また刀や大きな鏡なぞをも献《けん》じました。
 天皇は百済《くだら》の王に向かって、おまえのところに賢《かしこ》い人があるならばよこすようにとおおせになりました。王はそれでさっそく和邇吉師《わにきし》という学者をよこしてまいりました。
 そのとき和邇《わに》は、十|巻《かん》の論語《ろんご》という本と、千字文《せんじもん》という一巻の本とを持って来て献上しました。また、いろいろの職工や、かじ屋の卓素《たくそ》という者や、機織《はたおり》の西素《さいそ》という者や、そのほか、酒を造ることのじょうずな仁番《にほ》という者もいっしょに渡って来ました。
 天皇はその仁番《にほ》、またの名、須須許理《すずこり》のこしらえたお酒をめしあがりました。そして、
「ああ酔《よ》った、須須許理《すずこり》がかもした酒に心持よく酔った。おもしろく酔った」
という意味の歌をお歌いになりながら、お宮の外へおでましになって、河内《かわち》の方へ行く道のまん中にあった大きな石を、おつえをあげてお打ちになりますと、その石がびっくりして飛びのきました。

       四

 天皇《てんのう》は後にとうとうおん年百三十でおかくれになりました。
 それで大雀命《おおささぎのみこと》は、かねておおせつかっていらっしゃるとおり、若郎子《わかいらつこ》をお位におつけしようとなさいました。
 ところがお兄上の大山守命《おおやまもりのみこと》は、天皇のおおせ残しにそむいて、若郎子《わかいらつこ》を殺して自分で天下を取ろうとおかかりになり、ひそかに兵をお集めになりだしました。
 大雀命《おおささぎの
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