命はそれから尾張《おわり》へおはいりになって、そこの国造《くにのみやつこ》の娘《むすめ》の美夜受媛《みやずひめ》のおうちにおとまりになりました。そして、かえりにはまた必《かなら》ず立ち寄《よ》るからとお言いのこしになって、さらに東の国へお進みになり、山や川に住んでいる、荒《あら》くれ神や、そのほか天皇にお仕えしない悪者どもをいちいちお説《と》き従えになりました。そしてまもなく相模《さがみ》の国へお着きになりました。
 するとそこの国造《くにのみやつこ》が、命をお殺し申そうとたくらんで、
「あすこの野中に大きな沼《ぬま》がございます。その沼の中に住んでおります神が、まことに乱暴《らんぼう》なやつで、みんな困《こま》っております」と、おだまし申しました。
 命はそれをまにお受けになって、その野原の中へはいっておいでになりますと、国造《くにのみやつこ》は、ふいにその野へ火をつけて、どんどん四方から焼きたてました。
 命ははじめて、あいつにだまされたかとお気づきになりました。その間《ま》にも火はどんどんま近に迫《せま》って来て、お身が危《あやう》くなりました。
 命はおんおば上のおおせを思い出して、急いで、例の袋のひもをといてご覧《らん》になりますと、中には火打《ひうち》がはいっておりました。
 命はそれで、急いでお宝物《たからもの》の御剣《みつるぎ》を抜《ぬ》いて、あたりの草をどんどんおなぎ払いになり、今の火打《ひうち》でもって、その草へ向かい火をつけて、あべこべに向こうへ向かってお焼きたてになりました。命はそれでようやく、その野原からのがれ出ていらっしゃいました。そしていきなり、その悪い国造《くにのみやつこ》と、手下《てした》の者どもを、ことごとく切り殺して、火をつけて焼いておしまいになりました。
 それ以来そのところを焼津《やいず》と呼びました。それから、命《みこと》が草をお切りはらいになった御剣《みつるぎ》を草薙《くさなぎ》の剣《つるぎ》と申しあげるようになりました。
 命はその相模《さがみ》の半島《はんとう》をおたちになって、お船で上総《かずさ》へ向かってお渡《わた》りになろうとしました。すると途中で、そこの海の神がふいに大波《おおなみ》を巻《ま》きあげて、海一面を大荒《おおあ》れに荒れさせました。命の船はたちまちくるくるまわり流されて、それこそ進むこともひきかえすこともできなくなってしまいました。
 そのとき命がおつれになっていたお召使《めしつかい》の弟橘媛《おとたちばなひめ》は、
「これはきっと海の神のたたりに相違ございません。私があなたのお身代わりになりまして、海の神をなだめましょう。あなたはどうぞ天皇のお言いつけをおしとげくださいまして、めでたくあちらへおかえりくださいまし」と言いながら、すげの畳《たたみ》を八|枚《まい》、皮畳《かわだたみ》を六枚に、絹畳《きぬだたみ》を八枚|重《かさ》ねて、波の上に投げおろさせるやいなや、身をひるがえして、その上へ飛びおりました。
 大波《おおなみ》は見るまに、たちまち媛《ひめ》を巻《ま》きこんでしまいました。するとそれといっしょに、今まで荒れ狂っていた海が、ふいにぱったりと静まって、急に穏《おだや》かななぎになってきました。
 命はそのおかげでようやく船を進めて、上総《かずさ》の岸へ無事にお着きになることができました。
 それから七日目に、橘媛《たちばなひめ》のくしがこちらの浜へうちあげられました。命はそのくしを拾わせて、あわれな媛《ひめ》のためにお墓をお作らせになりました。
 橘媛《たちばなひめ》が生前に歌った歌に、

  さねさし、
  さがむの小野《おの》に、
  もゆる火の、
  火中《ほなか》に立ちて、
  問いしきみはも。

 これは、相模《さがみ》の野原で火攻めにお会いになったときに、その燃える火の中にお立ちになっていた、あの危急なときにも、命《みこと》は私のことをご心配くだすって、いろいろに慰《なぐさ》め問うてくだすった、ほんとに、お情け深い方よと、そのもったいないお心持を忘《わす》れない印《しるし》に歌ったのでした。
 命はそこから、なおどんどんお進みになって、いたるところで手におえない悪者どもをご平定《へいてい》になり、山や川の荒《あら》くれ神をもお従えになりました。
 それでいよいよ、再《ふたた》び大和《やまと》へおかえりになることになりました。
 そのお途中で、足柄山《あしがらやま》の坂の下で、お食事をなすっておいでになりますと、その坂の神が、白いしかに姿をかえて現われて、命を見つめてつっ立っておりました。
 命《みこと》は、それをご覧《らん》になると、お食べ残しのにらの切《きれ》はしをお取りになって、そのしかをめがけてお投げつけになりました。すると、それがちょうど目にあたって、しかはばたりと倒《たお》れてしまいました。
 命はそれから坂の頂上へおあがりになり、そこから東の海をおながめになって、あの哀《あわ》れな橘媛《たちばなひめ》のことを、つくづくとお思いかえしになりながら、
「あずまはや」(ああ、わが女よ)とお嘆《なげ》きになりました。それ以来そのあたりの国々をあずま[#「あずま」に傍点]と呼《よ》ぶようになりました。

       四

 命は、そこから甲斐《かい》の国へお越《こ》えになりました。そして酒折宮《さかおりのみや》という御殿《ごてん》におとまりになったときに、

  にいばり、つくばを過ぎて、
  いく夜《よ》か寝《ね》つる。

とお歌いになりますと、あかりのたき火についていた一人の老人が、すぐにそのおあとを受けて、

  かかなべて、
  夜《よ》には九夜《ここのよ》、
  日には十日《とおか》を。

と歌いました。それは、
「蝦夷《えびす》どもをたいらげながら、常陸《ひたち》の新治《にいばり》や筑波《つくば》を通りすぎて、ここまで来るのに、いく夜寝たであろう」とおっしゃるのに対して、
「かぞえて見ますと、九夜《ここのよ》寝て十日目《とおかめ》を迎えましたのでございます」という意味でした。
 命はその答えの歌をおほめになって、そのごほうびに、老人を東国造《あずまのくにのみやつこ》という役におつけになりました。
 それから信濃《しなの》へおはいりになり、そこの国境《くにざかい》の地の神を討《う》ち従えて、ひとまずもとの尾張《おわり》までお帰りになりました。
 命はお行きがけにお約束をなすったとおり、美夜受媛《みやずひめ》のおうちへおとまりになりました。そして草薙《くさなぎ》の宝剣《ほうけん》を媛《ひめ》におあずけになって近江《おうみ》の伊吹山《いぶきやま》の、山の神を征伐《せいばつ》においでになりました。
 命はこの山の神ぐらいは、す手でも殺すとおっしゃって、どんどんのぼっておいでになりました。すると途中で、うしほどもあるような、大きな白いいのししが現われました。命は、
「このいのししに化《ば》けて出たのは、まさか山の神ではあるまい。神の召使《めしつかい》の者であろう。こんなやつは今殺さなくとも、かえりにしとめてやればたくさんである」とおいばりになって、そのままのぼっておいでになりました。
 そうすると、ふいに大きなひょうがどッと降りだしました。命《みこと》はそのひょうにお襲《おそ》われになるといっしょに、ふらふらとお目まいがして、ちょうどものにお酔《よ》いになったように、お気分が遠くおなりになりました。
 それというのは、さきほどの白いいのししは、山の神の召使ではなくて、山の神自身が化けて出たのでした。それを命があんなにけいべつして広言《こうげん》をお吐《は》きになったので、山の神はひどく怒《おこ》って、たちまち毒気《どくき》を含《ふく》んだひょうを降らして、命をおいじめ申したのでした。
 命は、ほとんどとほうにくれておしまいになりましたが、ともかく、ようやくのことで山をおくだりになって、玉倉部《たまくらべ》というところにわき出ている清水《しみず》のそばでご休息をなさいました。そして、そのときはじめて、いくらかご気分がたしかにおなりになりました。しかし命はとうとうその毒気のために、すっかりおからだをこわしておしまいになりました。
 やがて、そこをお立ちになって、美濃《みの》の当芸野《たぎの》という野中までおいでになりますと、
「ああ、おれは、いつもは空でも飛んで行けそうに思っていたのに、今はもう歩くこともできなくなった。足はちょうど船のかじのように曲がってしまった」とおっしゃって、お嘆《なげ》きになりました。そしてそのまままた少しお歩きになりましたが、まもなくひどく疲《つか》れておしまいになったので、とうとうつえにすがって一足《ひとあし》一足《ひとあし》お進みになりました。
 そんなにして、やっと伊勢《いせ》の尾津《おつ》の崎《さき》という海ばたの、一本まつのところまでおかえりになりますと、この前お行きがけのときに、そのまつの下でお食事をお取りになって、つい置《お》き忘《わす》れていらしった太刀《たち》が、そのままなくならないで、ちゃんと残っておりました。
 命《みこと》は、
「おお一つまつよ、よくわしのこの太刀《たち》の番をしていてくれた。おまえが人間であったら、ほうびに太刀をさげてやり、着物を着せてやるのだけれど」と、こういう意味の歌を歌ってお喜びになりました。それからなおお歩きになって、ある村までいらっしゃいました。
 命は、そのとき、
「わしの足はこんなに三重《みえ》に曲がってしまった。どうもひどく疲《つか》れて歩けない」とおっしゃいました。しかしそれでも無理にお歩きになって、能褒野《のぼの》という野へお着きになりました。
 命は、その野の中でつくづくと、おうちのことをお思いになり、

  あの青山《あおやま》にとりかこまれた、
  美しい大和《やまと》が恋しい。
  しかし、ああ私《わたし》は、
  その恋しい土地へも、
  帰りつくことはできない。
  命《いのち》あるものは、
  これからがいせんして、
  あの平群《へぐり》の山の、
  くまがしの葉を、
  髪《かみ》に飾《かざ》って祝い楽しめよ。

という意味をお歌いになり、

  はしけやし、
  わぎへの方《かた》よ、
  雲いたち来《く》も。
   (おおなつかしや、
    わが家《や》のある、
    はるかな大和《やまと》の方から、
    雲が出て来るよ。)

と、お歌いになりました。
 そして、それといっしょにご病勢《びょうせい》もどっとご危篤《きとく》になってきました。
 命《みこと》は、ついに、

  おとめの、
  床《とこ》のべに、
  わがおきし、
  剣《つるき》の太刀《たち》。
  その太刀はや。

と、あの美夜受媛《みやずひめ》のおうちにおいていらしった宝剣《ほうけん》も、とうとう再《ふたた》び手にとることもできないかとお歌いになり、そのお歌の終わるのとともに、この世をお去りになりました。
 早うまのお使いは、このことを天皇に申しあげにかけつけました。
 大和《やまと》からは、命のお妃《きさき》やお子さまたちが、びっくりしてくだっておいでになりました。そして、命のご陵《りょう》をお作りになって、そのぐるりの田の中に伏《ふ》しまろんで、おんおんおんおんと泣いていらっしゃいました。
 するとおなくなりになった命は、大きな白い鳥になって、お墓の中からお出ましになり、空へ高くかけのぼって、浜辺《はまべ》の方へ向かって飛んでおいでになりました。
 お妃《きさき》やお子さまたちは、それをご覧《らん》になると、すぐに泣き泣きそのあとを追いしたって、ささの切り株《かぶ》にお足を傷つけて血だらけにおなりになっても、痛《いた》さを忘《わす》れて、いっしょうけんめいにかけておいでになりました。
 そしてしまいには、海の中にまではいって、ざぶざぶと追っかけていらっしゃいました。
 白い鳥はその人々をあとにおいて、海の中のいそからいそにと伝
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