ことを承ると、それはそれはがっかりして、葉つきの実を四つと、葉のないのを四つとを、天皇のおそばにお仕え申していた兄媛《えひめ》にさしあげたうえ、あとの四つずつを天皇のお墓にお供え申しました。そして泣《な》き泣き大声を張りあげて、
「ご覧《らん》くださいまし。このとおりおおせの実を取ってまいりました。どうぞご覧くださいまし」とそのたちばなを両手にさしあげて、繰《く》りかえし繰りかえし、いつまでもそのお墓の前で叫び続けて、とうとうそれなり叫び死にに死んでしまいました。
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白い鳥
一
第十二代|景行天皇《けいこうてんのう》は、お身の丈《たけ》が一|丈《じょう》二|寸《すん》、おひざから下が四|尺《しゃく》一寸もおありになるほどの、偉大なお体格でいらっしゃいました。それからお子さまも、すべてで八十人もお生まれになりました。
天皇はその中で、後におあとをお継《つ》ぎになった若帯日子命《わかたらしひこのみこと》と、小碓命《おうすのみこと》とおっしゃる皇子《おうじ》と、ほかにもう一方《ひとかた》とだけをおそばにお止めになり、あとの七十七人の方々《かたがた》をことごとく、地方地方の国造《くにのみやつこ》、別《わけ》、稲置《いなぎ》、県主《あがたぬし》という、それぞれの役におつけになりました。
あるとき天皇は、美濃《みの》の、神大根王《かんおおねのみこ》という方の娘《むすめ》で、兄媛《えひめ》弟媛《おとひめ》という姉妹《きょうだい》が、二人ともたいそうきりょうがよい子だという評判をお聞きになって、それをじっさいにお確《たし》かめになったうえ、さっそく御殿《ごてん》にお召使《めしつか》いになるおつもりで、皇子の大碓命《おおうすのみこと》にお言いつけになって、二人を召《め》しのぼせにお遣《つか》わしになりました。
すると、大碓命《おおうすのみこと》は、その二人の者をご自分のお召使いに取っておしまいになり、別に二人の姉妹《きょうだい》の女を探《さが》し出して、それを兄媛《えひめ》、弟媛《おとひめ》だといつわって、天皇にお目通りをおさせになりました。
天皇はそれがほかの女であるということを、ちゃんとお見抜きになりました。しかしうわべでは、あくまでだまされていらっしゃるようにお見せかけになって、二人をそのまま御殿《ごてん》にお置きになりました。その代わりお手近《てぢか》のご用は、わざとほかの者にお言いつけになって、それとなく二人をおこらしめになりました。
大碓命《おおうすのみこと》はそんな悪いことをなすってからは、天皇の御前《ごぜん》へお出ましになるのをうしろぐらくおぼしめして、さっぱりお顔をお見せになりませんでした。
天皇はある日、弟さまの皇子《おうじ》の小碓命《おうすのみこと》に向かって、
「そちが兄は、どういうわけで、このせつ朝夕の食事のときにも出て来ないのであろう。おまえ行って、よく申し聞かせよ」とおっしゃいました。
しかし、それから五日もたっても、大碓命《おおうすのみこと》は、やっぱりそのままお顔出しをなさらないものですから、天皇は小碓命《おうすのみこと》を召《め》して、
「兄はどうして、いつまでも食事《しょくじ》に出て来ないのか。おまえはまだ言わないのではないか」とお聞きになりました。
「いいえ、申し聞かせました」と命《みこと》はお答えになりました。
「では、どういうふうに話したのか」
「ただ朝早く、おあにいさまがかわやにはいりますところを待ち受けて、つかみくじき、手足をむしりとって、死体をこもにくるんでうッちゃりました」と、命《みこと》はまるでむぞうさにこう言って、すましていらっしゃいました。
天皇はそれ以来、小碓命《おうすのみこと》のきつい荒《あら》いご気性《きしょう》を怖《おそ》ろしくおぼしめして、どうかしてそれとなく命をおそばから遠ざけようとお考えになりました。それでまもなく命を召《め》して、
「実は西の方に熊襲建《くまそたける》という者のきょうだいがいる。二人とも私の命令に従わない無礼なやつである。そちはこれから行って、かれらを打ちとってまいれ」とおおせになりました。それで命は、急いで伊勢《いせ》におくだりになって、大神宮《だいじんぐう》にお仕えになっている、おんおば上の倭媛《やまとひめ》にお別れをなさいました。
するとおば上からは、ご料《りょう》のお上着《うわぎ》と、おはかま着《ぎ》と、懐剣《かいけん》とを、お別れのお印《しるし》におくだしになりました。
命はそれからすぐに、今の日向《ひゅうが》、大隅《おおすみ》、薩摩《さつま》の地方へ向かっておくだりになりました。そのとき命は、まだお髪《ぐし》をお額《ひたい》にお結《ゆ》いになっている、ただほんの一少年でいらっしゃいました。
二
命は、その土地にお着きになり、熊襲建《くまそたける》のうちへ近づいて、ようすをおうかがいになりますと、建《たける》らは、うちのまわりへ軍勢をぐるりと三|重《じゅう》に立て囲《かこ》わせて、その中に住まっておりました。そして、たまたまちょうどその家ができあがったばかりで、近々にそのお祝いの宴会《えんかい》をするというので、大さわぎでしたくをしているところでした。
命《みこと》はそのあたりをぶらぶら歩きまわって、その宴会《えんかい》の日が来るのを待ちかまえていらっしゃいました。そして、いよいよその日になりますと、今までお結《ゆ》いになっていたお髪《ぐし》を、少女のようにすきさげになさり、おんおば上からおさずかりになったご衣裳《いしょう》を召《め》して、すっかり小女《こおんな》の姿《すがた》におなりになりました。そして、ほかの女たちの中にまじって、建《たける》どもの宴会《えんかい》のへやへはいっておいでになりました。
すると熊襲建《くまそたける》きょうだいは、命をほんとうの女だとばかり思いこんでしまいまして、その姿のきれいなのがたいそう気にいったので、とくに自分たち二人の間にすわらせて、大喜びで飲みさわぎました。
命は、みんながすっかり興《きょう》に入ったころを見はからって、そっと懐《ふところ》から剣《つるぎ》をお取り出しになったと思いますと、いきなり片手で兄の建《たける》のえり首をつかんで、胸《むね》のところをひと突《つ》きに突き通しておしまいになりました。
弟の建《たける》はそれを見ると、あわててへやの外へ逃げ出そうとしました。
命《みこと》は、それをもすかさず、階段《かいだん》の下に追いつめて、手早く背中《せなか》をひっつかみ、ずぶりとおしりをお突き刺《さ》しになりました。
建《たける》はそれなりじたばたしようともしないで、
「どうぞその刀をしばらく動かさないでくださいまし。一言《ひとこと》申しあげたいことがございます」と、言いました。それで命《みこと》は刀をお刺《さ》しになったなり、しばらく押《お》し伏《ふ》せたままにしていらっしゃいますと、建《たける》は、
「いったいあなたはどなたでございます」と聞きました。
「おれは、大和《やまと》の日代《ひしろ》の宮《みや》に天下《てんか》を治めておいでになる、大帯日子天皇《おおたらしひこてんのう》の皇子《おうじ》、名は倭童男王《やまとおぐなのみこ》という者だ。なんじら二人とも天皇のおおせに従わず、無礼なふるまいばかりしているので、勅命《ちょくめい》によって、ちゅう伐《ばつ》にまいったのだ」と、命《みこと》はおおしくお名乗りになりました。
建《たける》はそれを聞いて、
「なるほど、そういうお方に相違ございますまい。この西の国じゅうには、私ども二人より強い者は一人もおりません。それにひきかえ大和《やまと》には、われわれにもまして、すばらしいお方がいられたものだ。おそれながら私がお名まえをさしあげます。これからあなたのお名まえは倭建命《やまとたけるのみこと》とお呼《よ》び申したい」と言いました。
命は建《たける》がそう言いおわるといっしょに、その荒《あら》くれ者を、まるで熟《じゅく》したまくわうりを切るように、ずぶずぶと切り屠《ほふ》っておしまいになりました。
それ以来、だれもかれも命のご武勇をおほめ申して、お名まえを倭建命《やまとたけるのみこと》と申しあげるようになりました。
命は、それから大和《やまと》へおひきかえしになる途中で、いろんな山の神や川の神や、穴戸《あなど》の神と称《とな》えて、方々の険阻《けんそ》なところにたてこもっている悪神《わるがみ》どもを、片《かた》はしからお従えになった後、出雲《いずも》の国へおまわりになって、そのあたりで幅《はば》をきかせている、出雲建《いずもたける》という悪者をお退治《たいじ》になりました。
命《みこと》はまずその建《たける》の家へたずねておいでになって、その悪者とごこうさいをお結びになりました。そして、そのあとで、こっそりといちいという木を刀のようにお削《けず》りになり、それをりっぱな太刀《たち》のように飾《かざ》りをつけておつるしになって、建《たける》をさそい出して、二人で肥《ひ》の河《かわ》の水を浴びにいらっしゃいました。そして、いいかげんなころを見はからって、ご自分の方が先におあがりになり、ごじょうだんのように建《たける》の太刀をお身におつけになりながら、
「どうだ、二人でこの刀のとりかえっこをしようか」とおっしゃいました。建《たける》はあとからのそのそあがって来て、
「よろしい取りかえよう」と言いながら、うまくだまされて命のにせの刀をつるしました。命は、
「さあ、ひとつ二人で試合をしよう」とお言いになりました。そして二人とも刀を抜《ぬ》き放すだんになりますと、建《たける》のはにせの刀ですから、いくら力を入れても抜けようはずがありません。命は建《たける》がそれでまごまごしているうちに、すばやくほんものの刀を引き抜いて、たちまちその悪者を切り殺しておしまいになりました。そして、そのあとで、建《たける》が抜けない刀を抜こうとして、まごまごとあわてたおかしさを、歌につくってお笑《わら》いになりました。
三
命《みこと》はこんなにして、お道筋《みちすじ》の賊《ぞく》どもをすっかり平《たい》らげて、大和《やまと》へおかえりになり、天皇にすべてをご奏上《そうじょう》なさいました。
すると天皇は、またすぐにひき続いて、命に、東の方の十二か国の悪い神々や、おおせに従わない悪者どもを説《と》き従えてまいれとおおせになって、ひいらぎの矛《ほこ》をお授《さず》けになり、御※[#「金+且」、第3水準1−93−12]友耳建日子《みすきともみみたけひこ》という者をおつけ添《そ》えになりました。
命はお言いつけを奉じて、またすぐにおでかけになりました。そして途中で伊勢《いせ》のお宮におまいりになって、おんおば上の倭媛《やまとひめ》に再度《さいど》のお別れをなさいました。そのとき命はおんおば上に向かっておっしゃいました。
「天皇は私を早くなくならせようとでもおぼしめすのでしょう。でも、こないだまで西の方の賊を討《う》ちにまいっておりまして、やっと、たった今かえったと思いますと、またすぐに、こんどは東の方の悪者どもを討ちとりにお出しになるのはどういうわけでございましょう。それもほとんど軍勢《ぐんぜい》というほどのものもくださらないのです。こんなことからおして考えてみますと、どうしても私を早く死なせようというお心持としか思われません」命はこうおっしゃって涙《なみだ》ながらにお立ちになろうとしました。
おんおば上は、命のそのお恨《うら》みをおやさしくおなだめになったうえ、もと神代《かみよ》のときに、須佐之男命《すさのおのみこと》が大《だい》じゃの尾の中からお拾いになった、あの貴《とうと》いお宝物《たからもの》の御剣《みつるぎ》と、ほかに袋《ふくろ》を一つお授けになり、まん一、急なことが起こったら、この袋《ふくろ》の口をお解《と》きなさい、とおおせになりました。
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