お兄上にお捧《ささ》げになりました。
大郎女《おおいらつめ》はそのおあとでも、お兄上のことばかり案じつづけていらっしゃいましたが、ついにたまりかねてはるばる伊予《いよ》までおあとを追っていらっしゃいました。
軽皇子《かるのおうじ》はそれはそれはお喜びになって、大郎女《おおいらつめ》のお手をとりながら、
「ほんとうによく来てくれた。鏡のように輝き、玉のように光っている、きれいなおまえがいればこそ、大和《やまと》へも帰りたいともだえていたけれど、おまえがここにいてくれれば、大和《やまと》もうちもなんであろう」とこういう意味のお歌をお歌いになりました。
まもなくお二人は、その土地で自殺しておしまいになりました。
[#改頁]
しかの群《むれ》、ししの群《むれ》
一
穴穂王《あなほのみこ》は、おあにいさまの軽皇子《かるのおうじ》を島流しにおしになった後、第二十代の安康天皇《あんこうてんのう》としてお立ちになり、大和《やまと》の石上《いそのかみ》の穴穂宮《あなほのみや》へおひき移りになりました。
天皇は弟さまの大長谷皇子《おおはつせのおうじ》のために、仁徳天皇《に
前へ
次へ
全242ページ中205ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング