お兄上にお捧《ささ》げになりました。
 大郎女《おおいらつめ》はそのおあとでも、お兄上のことばかり案じつづけていらっしゃいましたが、ついにたまりかねてはるばる伊予《いよ》までおあとを追っていらっしゃいました。
 軽皇子《かるのおうじ》はそれはそれはお喜びになって、大郎女《おおいらつめ》のお手をとりながら、
「ほんとうによく来てくれた。鏡のように輝き、玉のように光っている、きれいなおまえがいればこそ、大和《やまと》へも帰りたいともだえていたけれど、おまえがここにいてくれれば、大和《やまと》もうちもなんであろう」とこういう意味のお歌をお歌いになりました。
 まもなくお二人は、その土地で自殺しておしまいになりました。
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 しかの群《むれ》、ししの群《むれ》

       一

 穴穂王《あなほのみこ》は、おあにいさまの軽皇子《かるのおうじ》を島流しにおしになった後、第二十代の安康天皇《あんこうてんのう》としてお立ちになり、大和《やまと》の石上《いそのかみ》の穴穂宮《あなほのみや》へおひき移りになりました。
 天皇は弟さまの大長谷皇子《おおはつせのおうじ》のために、仁徳天皇《に
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