いものですから、たいそうふしぎにおぼしめして、あとで武内宿禰《たけのうちのすくね》を召《め》して、
「そちは世の中にまれな長命の人であるが、いったい日本でがんが卵をうんだという話を聞いたことがあるか」とこういう意味を歌に歌っておたずねになりました。
 宿禰《すくね》は、
「なるほど、それはごもっとものおたずねでございます。私もこれほど長生きをいたしておりますが、今日まで、かつてそういうためしを聞きましたことがございません」と、同じように歌に歌って、こうお答え申しあげた後、おそばにあったお琴《こと》をお借り申して、
「これはきっと、あなたさまがついに天下をお治めになるというめでたい先ぶれに相違《そうい》ございません」と、こういう意味の歌をお琴《こと》をひいて歌いました。皇子《おうじ》はそのとおり、十五人もいらしったごきょうだいの中から、しまいにお父上の天皇のおあとをお継《つ》ぎになりました。
 ご即位《そくい》になった後、天皇は、あるとき、高い山におのぼりになって四方の村々をお見しらべになりました。そしてうちしおれておおせになりました。
「見わたすところ、どの村々もただひっそりして、家々からちっとも煙があがっていない。これではいたるところ、人民たちが炊《た》いて食べる物がないほど貧窮《ひんきゅう》しているらしい。どうかこれから三年の間は、しもじもから、いっさい租税《そぜい》をとるな。またすべての働きに使うのを許してやれ」とおおせになりました。
 それでそのまる三年の間というものは、宮中《きゅうちゅう》へはどこからも何一つお納物《おさめもの》をしないので、天皇もそれはそれはひどいご不自由をなさいました。たとえばお宮が破れこわれても、お手もとにはそれをおつくろいになるご費用もおありになりませんでした。しかし天皇はそれでも寸分《すんぶん》もおいといにならないで、雨がひどく降るたんびには、おへやの中へおけをひき入れて、ざあざあと漏《も》り入る雨《あま》もれをお受けになり、ご自分自身はしずくのおちないところをお見つけになって、御座所《ござしょ》を移し移ししておしのぎになりました。
 それから三年の後に、再び山にのぼってご覧《らん》になりますと、こんどはせんとはすっかりうって変わって、お目の及《およ》ぶ限《かぎ》り、どの村々にも煙がいっぱい、勢いよく立ちのぼっておりました。天皇はそれをご覧になって、みなの者も、もうすっかりゆたかになったとおっしゃって、ようやくご安心なさいました。そして、そこではじめて租税《そぜい》や夫役《ぶやく》をおおせつけになりました。
 すると人民は、もう十分にたくわえもできていましたので、お納物《おさめもの》をするにも、使い働きにあがるのにも、それこそ楽々とご用を承《うけたまわ》ることができました。
 天皇はしもじもに対して、これほどまでに思いやりの深い方でいらっしゃいました。ですから後の代《よ》からも永《なが》くお慕《した》い申しあげてそのご一代《いちだい》を聖帝《せいてい》の御代《みよ》とお呼《よ》び申しております。

       二

 この天皇の皇后でいらしった岩野媛《いわのひめ》は、それはそれは、たいへんにごしっとのはげしいお方で、ちょっとのことにも、じきに足ずりをして、火がついたようにお騒ぎたてになりました。それですから、宮中《きゅうちゅう》に召《め》し使われている婦人たちは、天皇のおへやなぞへは、うっかりはいることもできませんでした。
 あるとき天皇はそのころ吉備《きび》といっていた、今の備前《びぜん》、備中《びっちゅう》地方《ちほう》の、黒崎《くろさき》というところに、海部直《あまのあたえ》という者の子で、黒媛《くろひめ》というたいそうきりょうのよい娘《むすめ》がいるとお聞きになり、すぐに召《め》しのぼせて宮中でお召し使いになりました。
 ところが皇后がことごとにつけて、あまりにねたみおいじめになるものですから、黒媛《くろひめ》はたまりかねてとうとうお宮を逃《に》げ出しておうちへ帰ってしまいました。
 そのとき天皇は、高殿《たかどの》にお上りになって、その黒媛《くろひめ》の乗っている船が難波《なにわ》の港を出て行くのをご覧《らん》になりながら、

  かわいそうに、あそこに黒媛《くろひめ》がかえって行く。
  あの沖《おき》に、たくさんの小船《こぶね》にまじって、あの女の船が出て行くよ。

とこういう意味のお歌をお歌いになりました。
 すると皇后は、そのことをお聞きになって、ひどく怒《おこ》っておしまいになり、すぐに人をやって、黒媛《くろひめ》をむりやりに船からひきおろさせて、はるかな吉備《きび》の国まで、わざと歩いておかえしになりました。
 天皇はその後も、黒媛《くろひめ》のことをしじゅうあわれに
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