頭の皇子は、
「いえ、それはとてもだめでございます」とお答えになりました。
「なぜだめだ」
「あのししは、これまでいろんな人がとろうとしましたが、どうしてもとれません。ですから、いくらあなたが欲《ほ》しいとおぼしめしても、とてもだめでございます」
 こうお答えになるうちに、船はもはやちょうど川のまん中あたりへ来ました。すると皇子《おうじ》はいきなり、そこでどしんと船を傾《かたむ》けて、命《みこと》をざんぶと川の中へ落としこんでおしまいになりました。
 命はまもなく水の上へ浮き出て、顔だけ出して流され流されなさりながら、

  ああわしは押《お》し流される。
  だれかすばやく船を出して、
  助けに来てくれよ。

という意味をお歌いになりました。
 するとそれといっしょに、さきに若郎子《わかいらつこ》が隠《かく》しておおきになった兵士たちが、わあッと一度に、そちこちからかけだして来て、命を岸へ取りつかせないように、みんなで矢《や》をつがえ構《かま》えて、追い流し追い流ししました。
 ですから命はどうすることもおできにならないで、そのまま訶和羅前《かわらのさき》というところまで流れていらしって、とうとうそこでおぼれ死にに死んでおしまいになりました。
 若郎子《わかいらつこ》の兵士たちは、ぶくぶくと沈《しず》んだ命《みこと》のお死がいを、かぎで探《さぐ》りあててひきあげました。
 若郎子《わかいらつこ》はそれをご覧になりながら、
「わしは伏《ふ》せ勢《ぜい》の兵たちに、もう矢を射《い》放《はな》させようか、もう射殺させようかと、いくども思い思いしたけれど、一つにはお父上のことを思いかえし、つぎには妹たちのことを思い出して、同じお一人のお父上の子、同じあの妹たちの兄でありながら、それをむざむざ殺すのはいたわしいので、とうとう矢一本射放すこともできないでしまった」
という意味をお歌いになり、そのまま大和《やまと》へおひきあげになりました。
 そしてお兄上のお死がいを奈良《なら》の山にお葬《ほうむ》りになりました。

       五

 大雀命《おおささぎのみこと》は、それでいよいよお父上のおおせのとおりに、若郎子皇子《わかいらつこおうじ》にお位におつきになることをおすすめになりました。
 しかし皇子は、お父上のおあとはおあにいさまがお継《つ》ぎになるのがほんとうです。おあにいさまをさしおいてお位にのぼるなぞということは、私にはとてもできません。どうぞお許しくださいとおっしゃって、どこまでもお兄上の命《みこと》のお顔をお立てになろうとなさいました。
 しかし命は命で、いかなることがあっても、お父上のお言いつけにそむくことはできないとお言いとおしになり、長い間お二人でお互《たが》いに譲《ゆず》り合っていらっしゃいました。
 そのときある海人《あま》が、天皇へ献上《けんじょう》する物を持ってのぼって来ました。
 その海人が、大雀命《おおささぎのみこと》のところへ伺《うかが》いますと、命《みこと》は、それは若郎子皇子《わかいらつこおうじ》に奉《たてまつ》れ、あの方が天皇でいらっしゃるとおっしゃって、お受けつけになりませんし、それではと言って皇子の方へうかがえば、それはお兄上の方へ献《けん》ぜよとおおせになりました。
 海人《あま》はあっちへ行ったり、こっちへ来たり、それが二度や三度ではなかったので、とうとう行ったり来たりにくたびれて、しまいにはおんおん泣《な》きだしてしまいました。そのために、「海人ではないが、自分のものをもてあまして泣く」ということわざさえできました。
 お二人はそれほどまでになすって、ごめいめいにお義理をつくしていらっしゃいましたが、そのうちに、若郎子皇子《わかいらつこおうじ》がふいにお若死《わかじ》にをなすったので、大雀命《おおささぎのみこと》もやむをえず、ついにお位におつきになりました。後の代から仁徳天皇《にんとくてんのう》とお呼《よ》び申すのがすなわちこの天皇でいらっしゃいます。
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 難波《なにわ》のお宮

       一

 仁徳天皇《にんとくてんのう》はお位におのぼりになりますと、難波《なにわ》の高津《たかつ》の宮《みや》を皇居にお定めになり、葛城《かつらぎ》の曽都彦《そつひこ》という人の娘《むすめ》の岩野媛《いわのひめ》という方を改めて皇后にお立てになりました。
 天皇がまだ皇子《おうじ》大雀命《おおささぎのみこと》でいらっしゃるとき、ある年|摂津《せっつ》の日女島《ひめじま》という島へおいでになって、そこでお酒盛《さかもり》をなすったことがありました。すると、たまたまその島にがんが卵《たまご》をうんでおりました。皇子は、日本でがんが卵をうんだということは、これまで一度もお聞きになったことがな
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