れらの賊たちよりも、もっともっとにくいのはおあにいさまの命《みこと》のお命を奪《うば》った、あの鳥見《とみ》の長髄彦《ながすねひこ》でした。命はかれらに対しては、ちょうどしょうがを食べたあと、口がひりひりするように、いつまでも恨《うら》みをお忘《わす》れになることができませんでした。命は、畑のにらを、根も芽《め》もいっしょに引き抜くように、かれらを根こそぎに討ち亡ぼしてしまいたい、海の中の大きな石に、きしゃごがまっくろに取りついているように、かれらをひしひしと取りまいて、一人残さず討ち取らなければおかないという意味を、勇ましい歌にしてお歌いになりました。そして、とうとうかれらを攻め亡ぼしておしまいになりました。
 そのとき、長髄彦《ながすねひこ》の方に、やはり大空の神のお血すじの、邇芸速日命《にぎはやひのみこと》という神がいました。
 その神が命《みこと》のほうへまいって、
「私は大空の神の御子がおいでになったと承りまして、ご奉公に出ましてございます」と申しあげました。そして大空の神の血筋《ちすじ》だという印《しるし》の宝物を、命に献上《けんじょう》しました。
 命はそれから兄師木《えしき》、弟師木《おとしき》というきょうだいのものをご征伐になりました。その戦《いくさ》で、命の軍勢は伊那佐《いなさ》という山の林の中に盾《たて》を並《なら》べて戦っているうちに、中途でひょうろうがなくなって、少し弱りかけて来ました。命はそのとき、
「おお、私《わし》も飢《う》え疲《つか》れた。このあたりのうを使う者たちよ。早くたべ物を持って助けに来い」という意味のお歌をお歌いになりました。
 命《みこと》はなおひきつづいて、そのほかさまざまの荒《あら》びる神どもをなつけて従わせ、刃《は》向かうものをどんどん攻《せ》め亡《ほろ》ぼして、とうとう天下をお平らげになりました。それでいよいよ大和《やまと》の橿原宮《かしはらのみや》で、われわれの一番最初の天皇のお位におつきになりました。神武天皇《じんむてんのう》とはすなわち、この貴《とうと》い伊波礼毘古命《いわれひこのみこと》のことを申しあげるのです。

       三

 天皇は、はじめ日向《ひゅうが》においでになりますときに、阿比良媛《あひらひめ》という方をお妃《きさき》に召《め》して、多芸志耳命《たぎしみみのみこと》と、もう一方《ひとか
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