た。
 すると、向こうの山を、一人のりっぱな人がのぼって行くのがお目にとまりました。その人のお供の者たちも、やはりみんな、赤ひものついた、青ずりの着物を着ていまして、だれが見ても天皇のお行列と寸分《すんぶん》も違《ちが》いませんでした。
 天皇はおどろいて、すぐに人をおつかわしになり、
「日本にはわしを除いて二人と天皇はいないはずだ。それだのに、わしと同じお供を従えて行くそちは、いったい何者だ」と、きびしくお問いつめになりました。すると向こうからも、そのおたずねと同じようなことを問いかえしました。
 天皇はくわッとお怒《いか》りになり、まっ先に矢をぬいておつがえになりました。お供の者も残らず一度に矢をつがえました。そうすると、向こうでも負けていないで、みんなそろって矢をつがえました。天皇は、
「さあ、それでは名を名乗れ。お互《たが》いに名乗り合ったうえで矢を放とう」とお言い送りになりました。向こうからは、
「それではこちらの名まえもあかそう。私《わたし》は悪いことにもただ一言《ひとこと》、いいことにも一言だけお告げをくだす、葛城山《かつらぎやま》の一言主神《ひとことぬしのかみ》だ」とお答えがありました。天皇はそれをお聞きになると、びっくりなすって、
「これはこれはおそれおおい、大神《おおかみ》がご神体をお現わしになったとは思いもかけなかった」とおっしゃって、大急ぎで太刀《たち》や弓矢《ゆみや》をはじめ、お供《とも》の者一同の青ずりの着物をもすっかりおぬがせになり、それをみんな、伏《ふ》し拝《おが》んで、大神《おおかみ》へご献上《けんじょう》になりました。
 すると大神《おおかみ》は手を打ってお喜びになり、その献上物《けんじょうもの》をすっかりお受けいれになりました。それから天皇がご還幸《かんこう》になるときには、大神《おおかみ》はわざわざ山をおりて、遠く長谷《はつせ》の山の口までお見送りになりました。

       五

 天皇はつぎにはまたあるとき、その長谷《はつせ》にあるももえつきという大きな、大けやきの木の下でお酒宴《さかもり》をお催《もよお》しになりました。
 そのとき伊勢《いせ》の生まれの三重采女《みえのうねめ》という女官《じょかん》が、天皇におさかずきを捧《ささ》げて、お酒をおつぎ申しました。すると、あいにく、けやきの葉が一つ、そのさかずきの中へ落ちこ
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