大和《やまと》の美和川《みわがわ》のほとりへお出ましになりました。そうすると、一人の娘《むすめ》が、その川で着物を洗っておりました。それはほんとうに美しい、かわいらしい娘でした。天皇は、
「そちはだれの子か」とおたずねになりました。
「私《わたくし》は引田郎《ひけたべ》の赤猪子《あかいのこ》と申します者でございます」と娘はお答え申しました。天皇は、
「それでは、いずれわしのお宮へ召《め》し使ってやるから待っていよ」とおっしゃって、そのままお通りすぎになりました。
 赤猪子《あかいのこ》はたいそう喜んで、それなりお嫁《よめ》にも行かないで、一心にご奉公《ほうこう》を待っておりました。しかし宮中《きゅうちゅう》からは、何十年たっても、とうとうお召《め》しがありませんでした。そのうちに、もうひどいおばあさんになってしまいました。赤猪子《あかいのこ》は、
「これではいよいよお宮へご奉公にあがることはできなくなった。しかしこんなになるまで、いっしょうけんめいにおめしを待っていたことだけは、いちおう申しあげて来たい」こう思って、ある日、いろいろの鳥やお魚《さかな》や野菜ものをおみやげに持って、お宮へおうかがいいたしました。すると天皇は、
「そちはなんという老婆《ろうば》だ。どういうことでまいったのか」とおたずねになりました。赤猪子《あかいのこ》は、
「私は、いついつの年のこれこれの月に、これこれこういうおおせをこうむりましたものでございます。こんにちまでお召《め》しをお待ち申してとうとう何十年という年を過《す》ごしました。もはやこんな老婆《ろうば》になりましたので、もとよりご奉公《ほうこう》には堪《た》えられませんが、ただ私がどこまでもおおせを守《まも》っておりましたことだけを申しあげたいと存じましてわざわざおうかがいいたしました」と申しあげました。天皇《てんのう》はそれをお聞きになって、びっくりなさいました。
「私《わし》はそのことは、もうとっくに忘《わす》れてしまっていた。これはこれはすまないことをした。かわいそうに」とおっしゃって、二つのお歌をお歌いになり、それでもって、赤猪子《あかいのこ》のどこまでも正直《しょうじき》な心根《こころね》をおほめになり、ご自分のために、とうとう一生お嫁《よめ》にも行かないで過ごしたことをしみじみおあわれみになりました。赤猪子《あかいのこ》
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