としておしまいになりました。そして、なお飽《あ》き足《た》らずに、そのおからだをずたずたに切り刻《きざ》んで、それをうまの飼葉《かいば》を入れるおけの中へ投げ入れて、土の中へ埋《う》めておしまいになりました。

       四

 忍歯王《おしはのみこ》には意富祁王《おおけのみこ》、袁祁王《おけのみこ》というお二人のお子さまがいらっしゃいました。
 お二人はお父上がお殺されになったとお聞きになりまして、それでは自分たちも、うかうかしてはいられないとおぼしめして、急いで大和《やまと》をお逃《に》げになりました。
 そのお途中でお二人が、山城《やましろ》の苅羽井《かりはい》というところでおべんとうをめしあがっておりますと、そこへ、ちょう役《えき》あがりの印《しるし》に、顔《かお》へ入墨《いれずみ》をされている、一人の老人《ろうじん》が出て来て、お二人が食べかけていらっしゃるおべんとうを奪《うば》い取りました。お二人は、
「そんなものは惜《お》しくもないけれど、いったいおまえは何者だ」とおたしなめになりました。
「おれは山城《やましろ》でお上《かみ》のししを飼《か》っているしし飼《かい》だ」とその悪者《わるもの》の老人は言いました。
 お二人は、それから河内《かわち》の玖須婆川《くすばがわ》という川をお渡《わた》りになり、とうとう播磨《はりま》まで逃げのびていらっしゃいました。そして固くご身分をかくして、志自牟《しじむ》という者のうちへ下男におやとわれになり、いやしいうし飼、うま飼の仕事《しごと》をして、お命をつないでいらっしゃいました。
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 とんぼのお歌

       一

 大長谷皇子《おおはつせのおうじ》は、まもなく雄略天皇《ゆうりゃくてんのう》としてご即位《そくい》になり、大和《やまと》の朝倉宮《あさくらのみや》にお移《うつ》りになりました。皇后には、例《れい》の大日下王《おおくさかのみこ》のお妹さまの若日下王《わかくさかのみこ》をお立てになりました。
 その若日下王《わかくさかのみこ》が、まだ河内《かわち》の日下《くさか》というところにいらしったときに、ある日天皇は、大和《やまと》からお近道《ちかみち》をおとりになり、日下《くさか》の直越《ただごえ》という峠《とうげ》をお越《こ》えになって、王《みこ》のところへおいでになったことがありました。

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